追懐

 


 手紙が届いた。

 差出人がこの世で最も疎ましい男の名だったから、問答無用で破り捨てようとしたら、同居人シェルシャに止められた。

 仕方なく封を開いて閲覧すれば、招待状だった。


 そういえば、もう五年が経つのか。

 世にも無謀な物語のヒロインが、鮮やかで見事な終幕を魅せつけてくれてから。



 

 紅茶は不味いが、料理はまあまあといった所か。

 『火蜥蜴の欠伸』亭という看板通り、店主はライオン染みた風貌に赤髪逆立つ人間フェルヴァーの男。恐らく酒は美味いのだろうが、相席の相手が子供では意味がない。

 喫茶店と指定した筈がなぜ酒場になったのかと問い合わせれば、当の本人がここの店主と親しくなって勝手に決めて来たのだという。

 その本人は今、私の向かいに座って、ミルクティーを堪能中だ。


 赤いリボンを飾ったポニーテールはオレンジに近い赤金。瞳の大きなあかね色の両目がじっと私を観察している。

 細く長い手足は程良く日に焼け、すっきりした目鼻立ちと相俟あいまって見る者に快活な印象を与えるだろう。

 身に宿す炎の属性に相応しい、可愛らしい娘なのだが。


「年頃の娘が出入りする場所ではあるまい。ここは喫茶店でも食堂でもなく、酒場だろう、ルヴェリエリウ」


 私の記憶が間違いでなければ、今年で十五の筈ではなかったか。


「ここのマスターには去年の帝星祭でお世話になって、それからセロアさんと何度か食事に来たんです」

「成る程」


 恋しい相手が二十四も歳上だからか、それとも不良教師ルウィーニの悪い見本のせいか。

 若い娘らしい潔癖さや色気づいた様子のない、変わった気質の持ち主なのは確かだ。


「父親とも来るのかね」

「はい。パパとも一度、来たことがあります。お酒が美味しいって喜んでました」


 ふうむ、やはりな。


「おまえは飲まないのか」

「飲んだことないです。それに、午後から授業があります」


 飲ませて酔わせてみようか、と思ったら、斜め向かいのテーブルから殺気が飛んできた。護衛の灼虎に悟られたらしい。


「今度一緒に飲んでみるか、父親も連れて」

「はい!」


 途端に殺気の温度が急上昇したが、本人が喜んで応じているのだから手は出せまい。教師のつらを被った稀代の放蕩魔術師ルウィーニでさえ、この娘には敵わない程なのだ。

 ルヴェリエリウ=メルヴェ=レジオーラ。

 幸運を引き連れ、一国を動かし、世界を味方につけてのぞみを叶えた人間フェルヴァーの娘。

 間違いなく私自身も、彼女が引き寄せた幸運に巻き込まれた一人だと断言できる。


「ルヴェリエリウ。おまえは今、幸せか?」


 私の問いに彼女は嬉しそうに笑って、はい、と応じた。




 久方ぶりの再会に、ルヴェリエリウが一番初めに述べたのは感謝の言葉だった。

 普通の人族であれば間違いなく萎縮するだろう、私の紅い双眸をまっすぐ見据えて。

 彼女の瞳が一点の曇りもないのは、猜疑さいぎてたからなのか。

 無垢な子供のように〝知らない〟訳ではない筈だ。知らずに生きて来られる程総てに恵まれていたならば、彼女に旅を決意する理由などなかっただろう。


 孤独も絶望も受け入れた先で、娘は父に手を伸ばした。だからこそ掴み難い、その瞳がどこまでを見抜いているかは。

 時々不意に迫り上がるのは、酷く残酷な衝動だ。

 あのまっすぐで混じりけのない瞳を私だけの色に染め上げるのは、どんなにかたのしいだろう。

 遠い記憶の向こう側、かつて私を愛したあの娘のように。


「……威嚇するな、ゼオ。本気ではないさ」


 彼女の心には既に、恋慕う存在が住んでいる。それを無理矢理ねじ曲げて奪い取る程の執着は持っていない、と。

 約束通り昼より前には彼女を送り出し、一人残された店内で私はそう呟いた。

 信じるも疑うも好きにすればいい。

 もし私が本気になれば止める者は誰もいないと、言うまでもなく知っているだろう。



『力ずくで何もかも手に入るなんて考えは大間違いなんだよッ!』



 こんな時に甦るのがいつも、この世で最も腹立たしく憎らしい相手の言葉だというのは、何とかならぬものだろうか。

 ライヴァンの建国王でありルウィーニの先祖に当たる、狼の目をした剣士。

 私を圧し、私の命を容赦した、唯一最後の仇敵たる男。


「ああ、貴様の言う通りだろうな」


 自嘲のつもりはない。他にすべを知らず生き延びて来た当時の私に、それが理解出来なかったとは認めるが。

 こぼれ落ちた呟きがゼオに知られる事はあっても、彼の元へ届く事はないだろう。容赦なく過ぎる時は人間の短い生など呆気なく食い尽くし、記憶すらも掻き消してしまうだけだ。


 奪われて堪るか。――そう思ったのは、もう霧に霞んだ遠い遠い幼子おさなごの時。

 激しい怒りと憎悪と絶望に心を食い尽くされたあの時から、もうそれ程の時が流れたのか、とふと思った。




 

「おまえさ、一体どんだけ食えば気が済むんだよっ! マジで駄目だって、どうやって払うんだコレ!」


 喧噪の片隅、ふと耳に入ってきたのは、いやに悲痛な怒鳴り声だ。

 見るともなく見た先に、テーブルに突っ伏し眠りこける魔族ジェマ娘と、伝票を見て蒼褪あおざめている人間フェルヴァーの少年がいる。


「コラ寝るな! 寝るにしても出てから寝ろっ! おいユーってば!」


 ツインテールに結った桜色の髪が無造作にテーブル上へこぼれ落ちていた。小柄で色素が薄く、幼げな顔立ちの娘だ。それに比べれば少年の黄砂色の目と青いバンダナの下から覗く茶髪は、やや地味な印象を受ける。

 二人とも見た目の年齢はほぼ同じくらいか。

 娘の方は、相当でかい声で訴えかけられているというのに起きる気配もない。見事な眠り姫だ、と思いながら眺めていると、少年が不意に勢いよく立ち上がった。


「ぜってーおまえの前世ってコアラの獣人なうぇあだろ、でなきゃフクロウだろ」


 口の中で妙に興味深いことを呟いたかと思うと、眠りこける娘を担ぎ上げ、脇目もふらず早足でこちらへ向かってくる。

 成る程、食い逃げか。

 軽く視線を傾ければ、店の出口は私の後方だった。慎重に真剣に人とテーブルを避けつつ隣を行き過ぎようとした少年が、不意に表情を凍らせて私を見た。


 目が、合う。


 見られていた――正確には行動を見抜かれていた事に気づいたらしい、彼は僅かに後退ると、一転踵を返して駆け出そうとした。

 突き出すつもりなどなかった、のだが。ふと気が変わったのは、背負われたまま眠る娘に全く変化がなかったからだった。


「待て」


 言葉に魔力を乗せる。床から影の手が伸び、少年の足を掴んだ。勢いを殺され体勢を崩す彼に、周囲の客と店主の視線が向く。

 少年が引きった顔でこちらを見たので、笑顔を返してやった。何やらますます顔色が悪くなった気もするが、気のせいだろう。


「おい小僧、タダ食いする気じゃねぇだろうな」

「あ、いえ、……っと」


 凄む店主と泣き出しそうな少年に、周囲の客は見て見ぬ振りを決め込んでいる。そんな修羅場直前の状況でさえ、背中の娘は熟睡したまま無反応だった。

 実に、面白い。


「有り得ねぇくれえ大量の飯食らっておきながら代金踏み倒してトンズラきやがった日にゃあ、どんな事になるか解ってンのか、オイ」


 路地裏に棲みつくチンピラでも、今の店主の形相程に柄が悪くはあるまい。

 ライオン店主に詰め寄られ竦み上がった風を装っているが、あの少年は今、頭の中で逃げる方法を高速で算段中なのだろうな、と思う。

 さて、どうしてくれようか。


「まだ子供だろう、その辺で勘弁してあげてはどうだね?」


 さり気ない風を装って声を掛ければ、途端に店主の頭上から立ち上っていたどす黒いオーラが縮小した。難しい顔で振り返った店主の持つ伝票には、十人前はありそうな品数と金額が記してある。

 コアラは雑食ではなかった気がするのだが、まあいい。


「……旦那、そうは言いましても」

「私が彼らの身元を引き受けるよ。生憎と持ち合わせはないが、食事代程度これで間に合うだろう」


 身に着けていた宝飾品を適当に外して手渡すと、明らかに店主の目の色が変わった。確か何かの魔法具マジックツールだった筈だ、売ればこの店のメニュー全部くらい優に買い取れるだろう。


「も、勿論こっちとしては、代金さえ戴ければ文句はございませんとも!」


 そそくさと引っ込む店主を見送ってから、私は茫然としている少年に視線を向ける。びく、と明らかに彼が警戒した。


「そういう訳だ。おまえ達の身柄は私が買い取った、諦めて私に付き合え」

「待て待てっ、いきなり何ですかソレ!?」

「おまえの背中で寝ている娘が気になるだけだ。別に取って食いはしないさ、心配など何もなかろう」

「うぇっ? いや、もっと駄目ですから!」


 ムキになって言い返す少年の方へ数歩近づくと、後退された。仕方なくもっと近づけば、更に後退る。

 面倒になって、再度呪縛バインドを唱えた。


「動くな」

「ひっ、何するンすか!」


 どうにも、私を人攫いか人食いと勘違いしているようだ。失敬な。


「害意はないと言っているだろう? 私はカミル=シャドール。おまえの名前は何という?」


 人で賑わう店のど真ん中だが、この程度の声は幸いにして喧噪が掻き消してくれる。唯一聞こえているだろう少年は、だが私の名乗りに驚いた様子はなかった。

 成る程、学校や知識職とは縁遠そうな身形みなりだし書物が好きそうでもないから、恐らく私の名を知らないのだろう。彼はふて腐れたように眉を寄せ、ぼそぼそと答える。


「り…………もう、適当に呼んで下さい」

「適当でいいなら栗鼠リスと呼ぶが、構わないか?」


 威嚇する様が小動物のようだと思って言ってみれば、当人はあからさまに引き攣った後、かくりと首を項垂れた。


「……それでいいです」


 適当に呼べといった割には芳しくない反応だ。

 そもそも名前を略したり愛称で呼ぶのは私の流儀に反するのだが、名乗りたくない名前を無理矢理聞き出す程性悪でもない。それをわざわざ合わせてやったというのに。

 まあ、その辺も後でゆっくり話し合うことにしよう。


「そうか。では行こうかね、リス」

「は? どこへですか!?」

「無論私の館に決まっているだろう」


 こんな騒がしく薄暗い場所では、ろくに話も出来まい。

 それに私はルヴェリエリウとの会談が済み、おまえたちは食事が済んだのだから、これ以上の長居は店側の迷惑になるではないか。

 と、説明を加えるのも面倒だ。

 リス少年は逃げ出す機会をうかがっているようだし、誰かの邪魔が入っても鬱陶しい事になる。さっさと場所を移動してしまうのが賢明だろう。


「ちょ、ソレって拉致ですよね!? 犯罪ですよねっ!」


 この世の終わりに遭遇してしまったような表情で喚き立てるリスに、私は言い諭すように優しく囁いてやった。


「諦めろ」


 それをキーワードに、転移の魔法が発動する。

 ざわめく騒音が一瞬で遠のき、次の瞬間には見慣れた部屋へと景色が変わった。娘を背負ったまま腰を抜かしたようにへたり込んでしまったリスに歩き寄る。

 手を伸ばせば触れる距離から見下ろせば、眠る娘のまぶたが、ぴくりと動いた。



 起きるがいい、眠り姫。

 おまえの小さな騎士ナイトと共に、私を愉しませるがいい。





 ヴェルク=ザレイア。

 

 おまえがあの時見逃したこの命は、何にも奪われる事なく今も尚ここに在る。

 今なら私は、おまえの言を否定する事はないだろう。

 千に近い巡りを過ごしてすらおまえが課した問の答えを未だ見つけられぬ私を、おまえはわらうだろうか。


 ――否。



 本当は既に、得ているのだろうな。

 ここにあるこの日常を、私は、存外と気に入っているのだから。






 fin.



 +++


 意味深に寸止めしておきながら、多分あの後は、特に何もありません。

 ユー嬢に触ろうとするカミルをりっくんが大騒ぎしながら妨害して、その騒ぎにシェルシャが気づき、彼の説得で次の日には二人を送り返す……という落ちになりそうです。ソレはソレで賑やかそうですが。

 お読みくださり、ありがとうございました!

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