3-3 交錯する道ゆき
手続きと言っても、大層なことは何もない。
書類を一枚渡されて、名前や職業、出国の理由などを書ける範囲で埋めて、持っていれば身分証と一緒に提出するだけ。
それを管理官が確認し、問題なしと判断したら身分証を返してくれる。
旅人などは手続きしても特に利点はないが、身分のはっきりしたライヴァン国民であれば『国民証』という証書を渡されて、他国に行っても身元を保証してもらえる。
身分証を持たない旅人でも制限なく出国はできるが、国家としてその保証をすることはない、というわけだ。
セロアが自分とルベルの名を記入し、自分の学院証を手渡すと、管理官はあっさり国民証二枚を学院証と一緒に渡してくれた。
国民証にはルベルの身元引き受け人としてルウィーニの名が記されていたから、昨日のうちに彼が連絡を入れてくれたのだろうと察する。
「さすがはルゥイさん、早いですね。ゼオは手続き必要ないんですか?」
「オレァ元々国民じゃねーからな」
腕を組んで横に立っているだけでも無駄に威圧感がある風貌だが、管理官は気にする様子もない。
ルウィーニはゼオについてもあらかじめ伝えておいたのかもしれない。
「なるほど。さて、船の出航まではあと六時間。陸路ならその間に町境まで行って、馬車を拾えるかもしれませんね。時間的にはどちらもあまり変わらないかもしれませんよ」
壁の地図を見ながらセロアが言ったので、ルベルも隣で背伸びするように地図を見上げた。
目的地はティスティル帝国の首都・スターナ。シルヴァンと同様な海際の都市で、陸路だとしても、海岸沿いに行けばそれほど遠くはない。
「走れば早く着きますか?」
子どもの発想は時々、不思議だ。それでもセロアは丁寧に答える。
「ルベルちゃんが走らなくても、馬が馬車を引いてくれるから大丈夫ですよ」
「馬を借りて行けばもっと早いですか?」
畳み掛けられた問いにセロアは一瞬固まり、微妙な表情で笑った。
「ルベルちゃん、馬に乗れるんですか?」
「乗ったことはあるけど、ちょっとだけです」
「それなら、馬車の方が速いですよ?」
隣で聞いていたゼオがぼそっと突っ込んだ。
「隠居、馬も苦手か」
「あはは、あんまり得意ではないですね」
ケ、と
「いてッ」
「ゼオくん、失礼ですっ」
「まぁ、本当のことですから」
セロアがたしなめる。喧嘩できるほどに仲良しなのは確かだとしても、いちいち自分のことで
セロアの困り顔にルベルは聞き分けたのか、大きく目を見開いて尋ねてきた。
「セロアさん、ティスティルの女王さまに会ったことありますか?」
「会ったことはありませんね。遠くからお姿を拝見したことはありますけど」
「オィ、まさかお嬢、いきなり
横からゼオに突っ込まれて、ルベルは
「
「面識あったって、おいそれと発券できるもンじゃねーってばよ」
ガリガリと頭を
精霊は人と異なり、こういった決まり事や駆け引きに
国政の中枢に関わるルウィーニの影響も大きいだろうが、それだけでなく彼の人へ抱く興味のほどが知れる気がして、セロアはつい頬を
他国民の身で国主に会うための人脈、というのはだいぶ限られているが、皆無……というわけでもない。
「会うだけなら、もしかしたらなんとかできるかもしれません。ティスティルの魔法学園の教授になら、知った方がいますからね。……とは言っても、会えない可能性だって同じくらいありますよ?」
一瞬、目を輝かせたルベルに言い含めるように、セロアが身を屈めて視線を合わせる。
「女王様は優しい方だそうです。ちゃんと事情を説明して助力を仰ぐのが、一番かもしれませんね」
こくり、とルベルは頷いた。
と、不意に
「失礼、ちょっとうかがいたいことがあるのだが宜しいか」
凜とした声がかけられて、セロアは顔を上げた。
そこには、姿勢良く背の高い少女が立っていた。濃い蒼色の髪と、意志の強そうなサファイアの双眸。
尖った耳は
「ええ、大丈夫ですよ」
立ち上がって向き直る。彼女は困った様子で、壁に掛けられた地図を指差した。
「私はリンドという。数日前にこの地にきたのだが、どうやらこの地図と私の持っている地図とがだいぶ違っているようなのだ。最新の地図というものはどこに行けば入手できるのか、知っていれば教えていただきたいのだが」
「そうそう、オレの地図ともちょっと違うんだよねー」
リンドを追いかけるように、妙に明るい調子で会話に割り込んできたのは、垂れた茶耳の
隣には水色の髪の
他国民の率が高い港町でも、少し珍しい取り合わせだ。三人の中で一番歳上に見える
「ライヴァンのどっかに用事があるんなら、案内してもいいんだけどさー、リンドちゃんアテナシ旅らしいから、ちゃんと地図あった方がいいかなーって……ぉぁっ!? トラだ!」
セロアとルベルを交互に見ながらヘラヘラと話していた彼は、二人の側で腕組みして立っているゼオを見てびっくりしたようだ。
ゼオの火の粉を散らす長い虎尾がぱたりと振られる。
「虎じゃねー」
「じゃねーって……どっからどう見ても虎じゃんっ? すっげー縞柄とか尻尾とか……、って、ええ!?」
炎を散らす尾を見て目を丸くする彼の横、
「うわぁっ、すごいーっ! ホントに燃えてるんですかっ!?」
「えー、手品とか魔法だろー? ストリートパフォーマーとか……ってうわあちちっ!?」
真顔で見入る彼の鼻先をなでるように、再びぱたりと尾が振られる。ゼオはなんだか機嫌良さげだ。
「手品でも魔法でもねェ、体質だってーの。火も吐けるぜ?」
「すごいなっ!? もしかしておまえは精霊なのかっ?」
「あー! そういや聞いたことあるぜっ! なんだっけ?
「そうか、私も知ってるぞ! 確か炎の中位精霊だったよな!?」
「えーっ! 灼虎さんってあんまり見かけないって聞きますよぅ、すごーいっ」
ゼオが前髪を掻き上げて、少し呆れ気味に呟いた。
「おめーら、どうでもイイこと良く知ってンな……」
「どうでもいいことではないだろう!? 精霊は私たち人族にいつも尽くしてくれているのだ、私たちだって精霊への理解を深め、幾らでも何かを返したいと思うじゃないか!」
「おー姫ちゃんさすがっ! 相互理解は大事だよなー、ってことでオレはフリック。
不自然なほどごく自然に、垂れ耳ウサギが自己紹介をねじ込んだ。
ぱちぱちと拍手をしている彼につられるように、
「ボクはアルエスっていいます、アルでいいですよぅ虎のお兄ちゃん、よろしくですっ」
「あー? やっぱ虎認識になるかね。オレァ灼虎のゼオ。テキトーによろしくな」
ゼオの口調はぞんざいだが、表情は楽しげだ。流れに取り残されたセロアとルベルはつい、顔を見合わせる。
「もぅっ、ゼオくん置いて先にティスティル行っちゃってもいいですかっ」
ルベルが拗ねたように言った。それが聞こえたのか、リンドが振り返る。
「もしかして、おまえたちは今からティスティルに行くのか?」
「ええ、その予定ですよ」
ルベルが応じるより早くセロアが答え、重ねて言った。
「リンドさん。この街道は一ヶ月前に整備されたばかりで、地図はまだ図書館か学院でしか扱ってないんですよ。以前の道も通れますが新しい方が歩きやすく安全なので、手持ちの地図に書き込んで行くのがいいかもしれませんね。……ところで」
穏やかな双眸が、何かの確信めいてリンドをまっすぐに見ていた。
「リンドさん、ティスティルの女王陛下と面識があったりしませんか?」
「なぜだ? おまえたちは陛下に用事があるのか?」
セロアは怯む様子もなく、リンドを見返し頷いた。
「ええ、お会いしてお願いしたい事があるんですよ。でも、いきなり謁見させてください……って頼み込むわけにもいきませんし。誰か紹介状を書いて下さりそうな身分の高い方をご存知でしたら、紹介していただけないかと思いまして」
彼は何かの手掛かりをつかんだのだろうか。不安そうにやり取りを見ているルベルに頭に手を乗せたまま、穏やかに言葉を続ける。
リンドは素直にそれを聞き、不思議そうに首を傾げた。
「何か
「いいですか? ルベルちゃん」
少女はこく、と頷いた。
瞳の大きな
「ルベルはパパに逢いに、監獄島へ行くんです。それには王さまに旅渡券を発行してもらわなくちゃいけなくて、なのにライヴァン王宮では発行の魔法が壊れちゃってるから、ルベルはティスティルの女王さまにお願いに行くんです」
「バイファル島……? 一体なぜ」
リンドの声がわずかに
その反応に、ゼオが
「お仕事で行って、帰ってこれなくなっちゃいました。でも流刑じゃないです! だから、……パパが帰れないなら、ルベルが逢いに行くんです」
大きな双眸が一瞬泣き出しそうに潤む。
でも、ルベルは泣かなかった。
「ティスティルの女王さまがダメって言うなら、次はお隣のシーセス国に行きます。そこでもダメなら、その隣に行きます。そうやって、いいって言ってくれる国を探します! 世界をひとめぐりしてもダメだったら、炎の王さまにお願いに行きます。炎の王さまでダメなら……」
「分かった、もういいから」
幼い少女の圧倒されるような決意に、リンドは衝撃を受けたようだった。
震える声でそう応じると、腕を回しルベルをぎゅっと抱きしめる。深蒼の両眼に溜まった雫が、瞬いた拍子に零れて落ちた。
「そういう事情なら私に任せてくれ。何なら、今すぐティスティルまで連れて行くこともできるが、それでは急過ぎるか?」
「……え?」
意味が分からずきょとんと聞き返したルベルに、リンドは涙の跡もそのままに笑顔で言った。
「これでもそれなりに修練は積んでいるから、
「え、えぇっマジで姫ちゃんって王宮関係者だったとか!?」
それまで黙っていたフリックが驚きのあまりに声を上げ、ゼオがいきなり、あ、と呟いた。
「道理で初対面ッて気がしねーワケだ」
「虎のお兄ちゃんも、王宮関係者なの?」
アルエスに問われてゼオはうぬぅー、と
「知った顔があるだけで関係者じゃねーケド、その辺ちょいびみょ」
ゼオは困惑しているようだったが、ルベルは食い入るようにリンドを見つめ、言った。
「今すぐでも全然オッケーです!」
「ルベルちゃん気が早いですね……」
至ってマイペースなセロアを、リンドは真剣な目で見上げる。
「善は急げと言うからな! それじゃ早速行こうか!」
「おーい待て待てマテ! ちったァ落ち着けっ!!」
まさに、次の瞬間には消えてしまいかねない二人の勢いに慌てたのだろう、ゼオがルベルの襟首をつかんだ。ルベルは短槍でゼオを叩いて抗議する。
「もぅっゼオくんは後で来てくださいッ!」
「うん? ゼオは後でいいのか? それじゃ二人を連れて行けばいいのか?」
真に受けるリンドをさりげなく押さえるように、セロアが彼女の頭に手を置いた。
「相互理解は大切……ですよね?」
「確かに大切だな、って、済まない。まだ名を聞いていなかったようだ」
賢者はくすりと笑み、ゼオと、ゼオに抱え上げられてしまったルベルを手で示しながら、軽く身を屈める。
「私は、セロア=フォンルージュといいます。堅苦しいことは無しでセロアと呼んでいただいて構いません。彼女はルベル、事情はさっき本人が話した通りです。灼虎のゼオは守護のため彼女の後見人が遣わした精霊です。ルウィーニという名はご存知でしょうか?」
リンドは言葉にしては答えなかったが、セロアは彼女の目に肯定の意を読み取って話を続ける。
「本来なら、正式な外交上の手続きをもってお願いすべきとは承知しているのですが。実は、彼女の父親のバイファル残留については、公式記録では伏事らしく、王宮を通すと逆に面倒な事になってしまうのですよ。厚かましい願いだと承知の上ですが、ルウィーニ氏とライヴァン帝国の名に賭けて女王陛下に害をなすような事は決して致しませんので、せめて謁見だけでも叶えていただけませんか」
リンドはじっと彼の目を見て聞いていたが、やがて強く頷き言った。
「了承した。本来は、部外者をいきなり王宮内に入れるのは許される事ではないが、私が仲介をして話を繋いでも混乱するだけに思う。ひとまず私の友人として城内に招くので、連絡の行き違いで失礼などがあった場合は許してくれ」
「はい、解りました」
セロアは頷き、ルベルに説明を加えて言った。
「不審者と思われる可能性もありますから、ルベルちゃんはゼオから離れないでくださいね」
「はい」
「うあ、イキナリど真ん中なのかよー……」
性質的に偽りを語ることができない精霊は、ある意味、最も信頼の置ける身分証明になる。
加えてゼオは、ティスティル帝国の要人と面識があるようだから尚のこと、だ。
ゼオは不満そうだが、ルベルは素直に頷いて灼虎の腕をぎゅっと掴んだ。
……と、黙って様子を見ていたアルエスがおずおずと言った。
「あっあの、リンドさん。ティスティルのお城に……ええと、
リンドがきょとんとアルエスを見返す。
「実は……ボク、
段々と声が小さくなって、最後には誤魔化すようにえへへと笑いながら、でも迷惑だよねー……と呟いた。
リンドはそのアルエスの手を取って、全開の笑顔で答える。
「迷惑なんてことはない、私も
「え、ええっイイの?」
アルエスは、このまま別れがたかったというのもあるのだろう。
その気持ちが何となく分かったフリックは、少女二人の顔に浮かぶ
「そっかー、じゃみんなはこれからティスティル王城ツアー、ってカンジ? 気をつけて行くんだぜー、オレはそれじゃまたお宝探しとか行こうかなっ」
心中を寂しさが占めていてもそれを気取られたくはない。
心配させたくない気持ちから極力明るく笑いながら、両手を振って言ったら、誰より先にゼオがそれに反応した。
「ウサギも来ィや、道連れだ」
「……へっ?」
いきなり襟首を掴まれたフリックも目が点だが、ルベルとセロアも驚いてゼオを見やる。リンドが困惑した風で言った。
「言いにくいのだが……、私の魔法力では自分含めて四、五人を転移させるのがやっと、なのだが」
「ああ、問題ねーさ。お嬢ちょっと下ろすぜ」
じいっと見守るルベルをセロアの隣に立たせ、ゼオはリンドを見下ろす。
「オレは頭数に入れねーでいい。ッてか、魔法力補助は任せておけ。今から変幻する剣はリンド、お前が持てな」
「剣……? ゼオは剣になれるのか?」
口にされた疑問の答えは目の前で起きた。ゆらりと陽炎のように空気が歪み、ゼオの姿が一瞬消え、次の瞬間には柄と鞘に不思議な意匠が施された剣が現れた。
リンドはそれを空中でつかみ取ってしげしげと眺める。
「魔法剣……のようだな。ここで鞘から抜いたらまずいだろうか」
「管理官の方が驚くかもしれませんね」
セロアに言われて思わず窓口を振り向き見たが、彼は相変わらず黙々と仕事をしているようだ。
「フリックさんは一緒に来ても構わないんですか?」
急展開に
フリックはあははーと変な笑いで答えた。
「まぁ、定職に就いてる身でもないしその日暮らしだし……家族もないから構わないぜー……、てーか、ついてって迷惑じゃね?」
なぜこんな事になったのか、フリックにはよく分からない。通りすがりで見ず知らずな上に無関係な自分が、首を突っ込んでいい事情ではない気がするのだが。
しかしルベルは意外にも、真剣な表情で彼を見上げ断言した。
「ルベルは迷惑じゃないですっ。そのままバイファルまで一緒してもオッケーなんです」
「バイファルまででもオッケーなんですか?」
つい、聞き返してしまったセロアに、少女はきらきらした笑顔を向ける。
「はい! だって、オトコ手はいくらあっても足りないくらいですもん」
……それは、つまり。
「まさかルベルちゃん、……力ずくでお父さんを連れ戻す気じゃ、ないですよね」
セロアの呟きに、少女は何も言わずにこにこ笑って彼を見上げた。
to next.
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