White day~俺から彼女へ~
彼女から半ば無理やりにもらったチョコレートのことが、頭から離れなかった。
既に1ヶ月が経とうとしているのに。
彼女が作りすぎたというブラウニーを家に帰ってから食べた。
他にも女子から受け取ったチョコレートはあったが、真っ先に彼女のブラウニーを食べた。
口に入れた瞬間にチョコレートの風味が広がった。
それを噛むと何かは分からないが酸味を感じた。
一口目は失敗したのかと考えたが、二口目でそんな疑念はなくなった。
酸味の正体はラム酒だった。
1ヶ月間、毎日三度の飯を欠かさなかったのに、彼女が作ったブラウニーの味を忘れることができなかった。
前日に買ったマカロンを持って家を出た。
今日は3月14日。
例え彼女から無理やりもらったブラウニーだったとしても、返すものがないのは男として恥ずかしいと思ったからだ。
自転車に乗ってこぎ出すと、ちょうど隣家に住む幼馴染みの彼女も家を出たところだった。
俺は一瞬で大量の冷や汗をかいた。
もうマフラーは着けていない。
表情を隠すことはできない。
突然出て来た彼女にどんな言葉をかけたらいいのか分からず、俺は自転車のスピードを上げた。
「えっ、ちょっと待ってよ!」
後ろから彼女が追いかけてくる声が聞こえた。
諦めて俺がスピードを落とすと、彼女はすぐに追いついた。
「急に逃げるなんてひどくない!? あいさつくらいしてくれてもいいじゃん」
口をとがらせて隣を走る彼女を、ちらりと横目で見てみる。
彼女にとって今日は寒いのか、まだマフラーを着用していた。
不覚にも少し可愛いと思ってしまった。
マカロンのことを思い出し、俺はまた自転車のスピードを上げた。
しかし、ほんの少しだけだったので、彼女もすぐに追いついた。
彼女はそんな俺を見て不思議に思ったのか、不審そうに尋ねてきた。
「どうしたの? 今日のあんた、おかしいよ」
そんなこと自覚してる。
反論してやりたかったが、弱みを握られそうで少し怖かった。
故に、自分の嘘で自分を騙した。
「んなことねぇだろ。お前の方がおかしい」
余計な一言を付け加えて、そっちに気を引かせようとした。
彼女はこういう台詞に対しては地獄耳だから。
しかし、今回その地獄耳は発動しなかった。
「えぇー、おかしいよ絶対おかしい。何か隠しごとでもしてる?」
まるで俺の顔を覗き込むかのように彼女は言った。
心の奥をちょんちょんと突かれている気分だった。
呆れた。地獄耳ってこういうときのもんだろ。こいつの地獄耳はただの付属部品かよ。
学校に到着して別れて教室に入るまで、ずっと質問攻めだったが、どうにかホワイトデーの話題は避けられた。
しかし、マカロンを渡すタイミングがなかった。
今から彼女のクラスに行ったところで、他の男子にからかわれるだけだ。
これは部活開始のタイミングを見計らうしか道はなかった。
授業も友達と話している最中も、ずっと上の空だった。
しかし授業はこなした。
生活に支障が出るほどではなかった。
帰りのホームルームが終了し、運動部に所属している者たちは三々五々に散らばり部活へ向かった。
帰り支度さえも上の空でやっていると、彼女が廊下を歩く姿が目の端にとまった。
早く行かなければ部活が始まって渡せなくなってしまう。
彼女が階段にさしかかる前に帰り支度を済ませた。
手には確かにマカロンの入った袋。
彼女が部室に着く前に……。
間に合えっ……!
走って昇降口に行くと、そこに彼女の姿はなかった。
首も動かせず、視界の中だけで彼女をさがした。
もう彼女はいない。
俺は渡せなかった……。
焦りと絶望を同時に感じた。
そのとき、後ろから名前を呼ばれた。
その声に聞き覚えがあった。
急いで振り返ると、そこには先に行ったはずの彼女がいた。
一瞬なぜと思ったが、彼女が目の前にいるという事実に対して安堵が上回った。
「誰かさがしてるの?」
彼女は自分のことだとは露にも思わず俺に問うた。
俺が彼女に近づくと、彼女はまた口を開いた。
「あ、もしかしてバレンタインのお返し? まだ渡せてない子がいるんでしょー」
俺は思った、彼女は阿保だ、と。
なぜここまで来て気づかない。
俺にブラウニーをわたしたことを忘れたのか?
これは俺が話をリードしなくてはと思った。
小さな覚悟と決意をして、手に持っていた袋を彼女に差し出した。
「これ」
彼女は目をぱちくりさせながらも袋を受け取った。
そして少しの間があいて、彼女が顔に、にんまりとした笑みを張り付けた。
「なーにー? これを誰に渡せって?」
まだ彼女は気づかない様子だった。
ため息が出そうになった。
本当に俺が言わないと分からないのか。
「他のヤツじゃねぇ。それはお前にやる」
目線は伏せがちになったが言えた。
これで彼女は分かっただろう。
彼女の理解が及んだことを確認するために、俺は目線を上げた。
すると、彼女は瞬きの方法を忘れたかのように硬直していた。
「お前がくれたブラウニー、美味かった。悔しいけど、今まで食べたものとか他のチョコに比べても、すげぇ美味かった」
早口で感想を伝えると、彼女の表情はみるみるうちに輝いていった。
喜んでくれたみたいで安心した。
彼女はきらきらした笑顔のまま袋の中を覗き込んだ。
「これ、マカロン? なんで?」
マカロンにした理由を直接尋ねられるとは予想もしていなかった。
一応、意味くらいは考えてあるが。
「お前、マカロンの意味、知らないか?」
俺が質問に質問で返すと、彼女は首を横に振った。
彼女が知らないのであれば、正直に打ち明けるしか道はなかった。
「マカロンには……その……。特別な人っていう意味が、あって……」
顔が紅潮していくのが自分でもわかった。
ちらりと彼女の様子を伺うと、考えを一巡りさせてから彼女は再びにんまりとした笑みを浮かべた。
やはり馬鹿にされた。
意味にそこまでこだわっていた訳ではないが、改めて意味を意識してみると恥ずかしかった。
言い訳でも付け加えようとしたところで彼女の声が聞こえた。
「特別って、幼馴染みだからでしょ?」
「えっ……」
俺は彼女の言葉を聞いて返す言葉がなかった。
そうだよな、俺の気持ちに気づくはずがないよな。こいつからもらったブラウニーも義理だった訳だし。
彼女の言葉を反射で否定しそうになったのをどうにか抑え、俺は肯定の意を表現した。
「そ、そうだよ! 他にどんな意味があるんだよ」
俺の乱暴な返答を彼女は少し切なそうな顔で受け止めた。
そして「そうだよね」とぽつり呟いた。
その顔を不思議に思ったが、その思考は遠くからの彼女を呼ぶ声で遮られてしまった。
声のした方を彼女と共に向くと上級生らしい人が手を振っていた。
「あっ、先輩! すぐに行きますね!」
それに彼女が大きな声に手を振ることで応答した。
彼女が今言った通り、すぐこの場を離れてしまうのだろう。
彼女ともっと話していたいのは山々なのだが、彼女を部活動に遅刻させる訳にはいかない。
彼女と向き直ると、相変わらずの陽気な声が届いた。
「マカロンありがとう! まさかお返しが来るなんて思ってなかったからびっくりしちゃった。私、部活に行かなきゃだから。また明日ね、バイバイ!」
早口にそういうと俺の返事も聞かずに手を振って行ってしまった。
一人そこに残された俺は、することもないので帰宅を決意した。
家に着くまでずっと考えていた。
なぜあのとき、彼女の言葉を否定しなかったのか。
あそこで肯いていれば今頃、何か変わっていたかもしれないというのに。
今日の帰路には後悔がばらまかれていた。
心のどこかで、彼女が俺の気持ちに気づいてほしいと願っていた。
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