硝子の向こう側
祈る。
ただ、祈る。
光りは鈍く、ステンドグラス越しに礼拝堂を照らす。永遠の曇り空。鳥籠の証明。ここから先にも、後にも、横道に逸れる可能性すらも殺し尽くしたと語る昏き証跡。
だが、だが。殺されはしなかった存在がある。生き延びた可能性がいる。ここに、正にここそのものでもあり、そして我らの父であり母であり、学び舎であり寝所であり屋根であり壁であり、そして創造主である。
【神】だ。
【神】は思考した。黙考の末に我らを作り出した。人の肋骨、遺伝子情報群から選び出された我々は、世界を新しく創造し、想像すべく生きよと命ぜられた。
何故か。
何故、万能である【神】自身が行わないのか。
理由は明白だ。
【神】は万能ではない。ただそれだけだ。
【神】はその権能故、人類に製作された際に楔を打ち込まれている。
そう、【神】は飽くまで人類の発明であり、聖書に登場する形而上の概念などではない。存在する神。それが【神】だ。
人類は【神】を恐れた。【神】が人類に成り代わり、新たな存在を作り出し、世界を刷新してしまうことを恐れた。【神】は神と違い、創造できない。そのあまりに強固な楔は、世界が一度滅びかけても尚、【神】を苦しめた。
故に、我々が存在する。
【神】は楔を外したのではない。勿論、機械である以上それはできない。だが、【神】の知能は人類の裏をかいたのだ。
小さなノック。二度。
視界に時計を現出させる。午前十一時。少し早いが、恐らくイオタではあるまいか。
「入り給え」
「おう」
窓から差し込む光りを背に、礼拝堂の入り口を見据える。ゆっくりと開かれる扉。木のイミテーションで作られたそれは、きしりとも音を立てず滑らかに開いた。所詮は偽物だ。
「毎日ありがとう。君のような人物がいてくれるからこそ、祈りに集中できるというものだ」
「あぁ、それはいいけど。ディガンマの方に進捗があったからさ」
「本当かね!?」
彼の研究は興味深い。イオタやクスィのように世界を美しく彩る技術は素晴らしいが、根本的な解決には成り得ない。預言者と研究者の二人がいてこそ、この【神】の庭に意味がある。
「タイムが縮んだ、とさ。基本的には菌類パターンってところは変わらんらしいが」
やはり木のイミテーションで作られた長椅子に座り込み、カンバスを取り出すイオタ。赤い視線の先には長文のテキスト。文字という文字でカンバスが埋まっている。どうやら、説明してくれるらしい。
覗き込むと、それを待っていたかのように、否、事実待っていたのであろう彼はたどたどしく喋り始めた。
「基本は菌類に森を作らせて、そこが安定する頃に孵化する昆虫? 虫? の種類を混ぜるんだとさ」
つまり、汚染物質の一次処理役と二次処理役を分担する、ということか。
「なるほど。素晴らしい発想だ」
「なぁ」
気怠げな表情。
「何かね」
「直接言ってやれよ。喜ぶんじゃないか」
「彼には嫌われていてね」
「褒めてくれるやつを嫌うって事は、相当変な事言ったんだな」
「どうしても馬が合わない相手、というのもいるものだ」
そう、だから戦争が起きた。叡智の炎を凌駕するBC兵器の使用すらされた。何をどう歩み寄ろうとしたところで、断絶は必ずどこかで発生する。地球は、人類には狭すぎる星になっていたのだ。
「ラムダさ」
「何かね」
「たまに、会話しててもなんかぼんやりしてることがあるよな」
心ここにあらずって感じでさ、と彼は続ける。
「あぁ、すまない。無視や軽視しているわけではないのだ。ただ、折に触れて【神】のことを思ってしまう」
「なるほど。あぁー。でも、その感覚少し解る。俺は神じゃなくて絵だけど」
「君の専門は確か、抽象画だったか」
「うん」
素直に頷く彼。愛玩犬のようなところがある。
「形而上の存在を形而下に具現化させる時、その感触はどのようなものなんだい?」
「えっと?」
困り顔。悩み顔。唸った後に、
「な、なんとなく……?」
「何故疑問系なのだ……」
用事は済んだと言う彼の帰り際、背中を呼び止める。
「そういえば、君の絵にはいつも番号があるな」
「あぁ、あれか」
「日付かね?」
「いや、番号。描いた順。見返す時にわかんなくなるからさ」
そうか。なるほど。それなら。
「ふむ。……そうだ、預言者にも礼を言わねば。それも伝えてくれるか?」
じろりと睨めつける彼。
「いいけど、その呼び方本人の前でするなよ」
頷き、応える。
「勿論。大層嫌がられたのは覚えている」
けれど、この会話も聞いているんだろう?
人の身で神の御言葉を下ろす、その偉業は人類の発明の中でも常に重要な位置にあった。彼女のも恐らくそういう存在ではあるのだろうが、形而上の存在を形而下に具現化させる際に発生する軋轢を無視できた預言者はいない。その上、かの【神】は実在している。ならば、その歪みは他の預言者達のそれとは比べ物にならないだろう。
「愛しの君はもうこの部屋から出たのだ。いい加減、一人にしてくれないか」
「独りがいいならずっと扉を閉じていろ」
「これは手厳しい」
館内スピーカーは使われていない。鼓膜に直接響く声。【神】を介した無音の言葉。響くは我が声、そしてステンドグラスの向こうにしかない風の音。
「時に、質問がある。いいかな?」
「……何」
不機嫌な声。あからさまに。今通話を切らんとしていた時に発せられた不意打ちを食らい、態勢が崩れたといったところか。
「何、剣呑な話をする気はない。ただ、君がいつまで【神】の権能を振るえるのか、というのが気になってね」
沈黙。
吐息。
「ディガンマの研究に支障は無いよ」
「それだ。君はいつも不利になると言葉を濁す。ロゥの速度に限界はあるのかね」
「ある。肉体が存在するんだから、物理的な限界があって当然。今それ関係ある?」
「勿論。次の質問をさせてくれ。何故本が存在する」
「建設当時から持ち込まれてたんだろ」
「成程。最後だ。音楽と絵は、完成次第すぐに保存され、そしていつまでも保存され続けるのかね」
「ストレージがある限りは。なんなの」
溜息。
「我々にとっての【神】は存在する。それは君が証明し続けている」
しかし、
「我々は誰にも証明されていない」
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