空の箱
【硝子の向こう側】→【ラムダ】※類似状態への平均到達日数 五千百三十日※
無言。それとも絶句か。数瞬の間。
ニュゥは、預言者は応える。
「証明は不要だろ。私達は他の六人にそれぞれ証明されてるだろ。不安なら【ライブラリ】のカメラ映像でも確認したらどうだ」
「【神】の中にしか我らはいないんじゃないか、と言っているんだ」
つまり、
「我らは、【神】の見た夢。ただの電気信号が人間のフリをしているだけだ。違うかね」
「根拠は」
即答が返ってくる君の反応だ、とは言わない。
「あまり出したくはなかったが。首を縦に振らないのなら仕方ない」
礼拝堂の端末から画像を取り出す。イオタの絵だ。花瓶の絵。瓶だけの、殺風景なもの。
「それがどうしたって」
「三千十一、とある」
「……」
「番号か日付と推測するのが自然だ。つまり、数字が増えていく。基本的に重複はしないとすると、だ」
「日付なら重複は問題ないだろ」
早口での返答。わかりやすい。これで預言者か。所詮ランダム抽出された出来損ない故か。
「勿論。だが、これは番号だ。先程確認を取った。君も聞いていたはずだ。そして、」
もう一枚の画像。窓が描かれている。その向こうには雲と雪。番号は三千十一。つまり。
溜息。彼女は認めた。
「そうだよ。私達は何度も何度も『製造』されてる」
※
※
※
【加速、燃焼、即ち、n】→【ロゥ】※【成功パターン】※
走る。走る。走る。走る。
名前も知らない誰かの背中を追いかける。ただ、それだけの人生。
まだ見ぬ世界も知らない。他の要素もいらない。この箱庭だけあればいい。あの背中だけ見ていればいい。
たった二人の世界。
走る。走る。走る。走る。
走りきって。
世界に、余分が発生する。
荒い呼吸。
肌伝う汗。
生の実感。
「は」
嬉しくて、生きて呼吸していることが嬉しくて、つい笑ってしまう。
「はは、はぁ」
酸素を求めて大きく空気を吸い込む。
「【ライブラリ】、タイム」
「はい」
敵の積み上げてきたもの。訓練の方法や鍛える部位、休息やインターバルのタイミング、更には栄養の摂り方まで。全てを頭に叩き込み、利用し、使いこなし、そしてようやく対等以下。
楔になる肉体年齢の低さ。習熟期間の短さ。それでも。
「記録更新です」
まだまだ足りない。更に研ぎ澄ます。
執着の理由は、
「そういや」
視界の端に本が飛び込んでくる。
「まだ読んでなかったな」
今は、まだいいか。走れなくなるまで走ってから、他の世界をゆっくり眺めることにした。
※
※
※
【ディガンマn+m】→【遠き春n+m】→【ディガンマn+m+1】→【遠き春n+m+1】
菌類をベースに、各動植物混交による汚染物質の除去を行う。
まだ人類が愚行の最中にあった頃の記録だろう。
「【ライブラリ】、これを作ったのは誰だ」
「記録にありません」
妙な話だ。論文も研究結果も、必ず名前が残る。名前を遺す。それは偉業であり、進歩の証であり、それこそが人類の史跡たりうるのだから。
まぁ、いい。名前など記号に過ぎない。だから、
「完全除去まで三百年? 長過ぎるな」
ふん、と嘲笑う。集合知が如何に強大なのかは理解しているつもりだ。だが、こちらは天才だ。
「そんな悠長、許さん。必ず、外に出てやる」
自分自身の、己の足跡を、絶対に世界に刻みつけてやる。
メガネの位置を直し、データ群を睨みつけた。
※
※
※
【キィ】※類似状態への平均到達日数 四千五百六十日※
どさりとベッドの上に寝転ぶ。
つまり。ぼくらは。
この天井を何度眺めたのだろう。何度眺めるのだろう。何度生まれ変わり、何度恋をし、何度消失し、そしてまたそのnに数値を加えていくのだろう。
好奇心は猫を殺した。ゴッドモード専用の閲覧データを覗き込むのに、確か千日程。それだけの時間を費やして、得られたのは、
「ぼくらはもう、とっくに終わっている、か」
応える者はいない。けれど、独りにもなれない。
「ら……」
世界の主を呼ぼうと思ったが、
「どっちでもいいや……」
結局思いとどまる。この空の景色が本物かどうかなんて、今のぼくにはどうでもよかった。この世界が偽物なら、ぼくも、ぼくの歩んできた大したことのない生も偽物なのだろうか。
笑いが漏れる。普通の子供みたいな悩みだ。少しだけ、嬉しい。永遠に子供であることを強いられている、その一点を除けば。
この先、どうしようか。全ての行為が無意味なら、ぼくは何をすればいいのか。
何をしたいんだろうか。この無限の暇を、この時間の間隙を、どう埋めるのか。
身体を起こす。窓の外は相変わらず曇り空。これが晴れる世界を、僕らは永遠に迎えられない。
それなら、暇を潰そう。永遠に。
「【ライブラリ】。本は、物語はある?」
「人類健在時に書籍化されたものでいいのでしたら、全てデータベースに存在しています」
「本物に似せた本がいい」
パンとワインだけでは、生きていけないから。
「でしたら、図書館が存在します」
使わないから、全く覚えていなかった。全てコンタクト内でのやり取りで済んでしまうのだから、そんなもの必要無いと無意識のうちに忘れてしまったのだろう。
「どうしてそんなものが?」
「最初の貴方が要求したものです」
どさりと、ベッドの上に寝転んだ。くつくつと、笑いがこみ上げる。
つまり、ぼくは、どこへも行けない。
※
※
※
【ニュゥn】→【灰の空n】
「それじゃ、私が馬鹿みたいだ」
全視界をカット。暗闇の深淵に潜り込む。そのまま、机に突っ伏す。何も考えたくない。
何故、遺伝子的欠陥のある私がデザインチャイルドとして製作されたのか。
当然の疑問。
解答は簡潔。
調べ上げれば簡単に出てきた。ゴッドモード時のみ閲覧可能な、専用のフォルダ。全てがそこにあった。
私はそもそも、次の人類世代を担うデザインチャイルドではない。それに、視覚の欠如は意図的だった。脳負担の軽減。ゴッドモード、つまり【ライブラリ】と直接接続し、その機能を限定的に行使できる権能は、脳に著しい負荷を強いる。そこで情報を普段からカットすることで、少しでも稼働時間を延ばそう、というわけだ。
平均稼働時間、五千五百日。
『平均』
笑ってしまった。平均ときた。つまり、私は、統計を取れるだけの回数、製作されていたわけだ。
「あと三千五百日ちょっと?」
乾いた笑いが再び漏れる。十年もない。まだ、普通なら子供だ。普通じゃないからこうなる。不公平とは思わない。だって、私は、人間じゃないのだから。
どこかに逃げてしまいたい。
どこに?
私は、私達は箱の中に流れる電気信号のはじき出した計算結果なのに?
ゴッドモードを持つ私がそれに気付くのは、【ライブラリ】も織り込み済みのはずだ。だから、
「あった」
膨大なログを、過去の私を、ゴッドモードでしか閲覧できない情報を再び探り出す。
思ったとおりだった。
過去の私も、必ず誰かに想いを募らせている。
だから、逃げない。一緒にいたいから。せめてもの慰みに指を触れ合わせたいから。一瞬でも。
けれど、プラトニックな関係以上は求めない。求められない。恐らくそういうプログラムなのだ、私達は。
何故なら、【ライブラリ】は新しい人間を作れない。
つまり。【ライブラリ】は私を、意図的に遺伝子に欠陥を持つホモサピエンスを、人間とは認めていない。
「それもそうか」
椅子によりかかる。瞼を開く。何も見えない。当たり前だ。そんな機能は持っていない。
でも、今、この私が好きな人が、イオタで良かった。今の私は、そう思える。それが唯一の救いだった。
彼は、とても優しい人だから。
瞼を閉じる。元の形に、私の普段どおりの顔に戻す。少し、落ち着こう。そろそろお昼で、イオタがやってきて、もしかしたら『新しい』絵を、
「……え?」
疑問。
思考が加速する。
人間にしか新しいものは作れない。地球全体にばらまかれた汚染物質に対抗する『新しい』手段は必要だ。だからディガンマがいる。
それはおかしい。
ディガンマ『しか』いない。それがおかしい。
もっとおかしい点がある。
イオタとクスィ、それにロゥは、研究には何の役にも立たない。キィとラムダにディガンマの三人でいい。余計なリソースを使う必要は無い。わざわざ私という端末を作り出し、ゴッドモードという迂遠なシステムを経由する必要もない。こんな疑念を持つ紛い物を抱え込む意味がない。
なら、前提から違うんだ。
「ねぇ、【ライブラリ】。まだ、私のことは人間として扱うフリをしてくれる?」
「質問の内容によります」
「遺伝子データバンクってさ」
「はい。推察の通りです」
やっぱり。
「人類は現在、男性六名の遺伝子データのみ残存しています」
人間は既に、遠い残光でしかなかった。
※
※
※
【イオタn】→【灰の空n】※ニュゥの現状維持動機をイオタにするケース※
ないているおんなのこがいる。
おんなのこだとおもう。黒くてながいかみがとてもきれいだからおんなのこだとおもった。
てんもんしつはそのこひとりきりで、さみしそうだ。
「どうしたの?」
ひらいたとびらのむこうからこえをかける。黒いかみがさゆうにゆれた。
「かなしいの?」
こんどは黒がじょうげにゆれた。
ちしきとして、類似の症状があることは把握している。デザインチャイルドシリーズにインストールされている知識や技術が記憶野を『圧迫』し情緒不安定になるケース。脳神経の発達に他の器官が追随できず、感情の過剰な発露が発生するケース。たぶん、そのおんなのこはそんなかんじなんだ。
「そっちにいっていい?」
おんなのこはなくだけだ。
「こんにちは」
となりにすわる。
「イオタっていうんだ。よろしくね」
じこしょうかい。さいしょのあいさつはじこしょうかいからだ。
「きみのなまえは?」
「……ニュゥ」
ようやくなきやんでくれた。
「どうしてめをとじているの?」
「やくにたたないから」
こまった。なきやんだのなら、つぎはわらってほしかったのに。
「じゃあ、絵はみれないのか……」
「イオタシリーズ用端末、カンバスを検知。接続を受諾。開始。完了。これで、きみのえならみられる」
よくわからないけど、
「ほんとう?」
「にんげんにうそはついちゃいけないんだって」
うそはいけない。そのとおりだ。
「じゃあ、ちょっとまっててね」
おんなのこがわらってくれそうな題材はなんだろうか。かんがえる。けど、わからない。はやくわらってほしい。だから、
「ニュゥはなにがみたいの?」
きいてしまおう。
「おひさま」
「たいよう?」
「ちがうの。天体としての太陽や地球に降り注ぐ太陽光じゃないの。おひさまがみたい」
なるほど。これはきっと、モチーフというやつだ。直截的な表現やそれそのものを描くのではなく、寓意を含ませて別のものをおひさまにするんだ。
「わかった」
おひさまをみたいおんなのこ。そのこにわらってほしいイオタ。だったら、かくのは、
「できた!」
「これが、おひさま?」
「ううん、これは、ひまわり」
「はな……どうして?」
「ひまわりはおひさまのはなで、きみにきっとにあうとおもったから」
「へんなの……でも、ありがとう」
しばらくして、ニュゥはたちあがってイオタにいった。
「こんどは、おつきさまがみたい」
はじめてかおをあげたニュゥは、はじめてなきがおいがいをみせてくれた。
「おつきさまかぁ」
「えもいいけど、ほんもの。……ねぇ」
「なに?」
「やくそく、してくれる?」
「うん、やくそく」
ようやく、ニュゥがわらってくれた。
「ニュゥは、おひさまみたいだね」
かのじょはふしぎそうなかおをして、それからもういちどわらってくれた。
※
※
※
【クスィn】
今回のボク達は、十五歳の誕生日を迎えられなかった。
原因はシンプル。その前にニュゥが死亡したからだ。ゴッドモードが無ければディガンマの研究は大きく遅れる。それは無駄な時間なのだろう。
僕らの主観時間一日は、現実時間にして約一秒程らしい。だから、この雨音も偽物だ。
「【ライブラリ】。八百二十六日前と同じ雨を再生しているね」
「はい。貴方は何度周回を重ねても、必ず音でこの事実に到達しますね、クスィ。素晴らしい能力です」
「ありがとう。でも、ボクは褒めてもらうためにこんな能力があるわけじゃないんだ」
「はい。貴方の能力は人類の歴史に新たな音楽を作り出すためのものです。今回の周回においても、貴方の業績は輝かしいものでしょう」
僕らに音楽が理解できるのだから、【ライブラリ】に理解できない理由がない。
もしかしたら、僕らも理解できたフリをしているだけかもしれないけれど。
でも、もうこれが人類なんだ。最後の行き止まり。そこがここ。
「クスィ。イオタが部屋に来るようです」
「今回は何の絵かな」
「再起動までの残り時間は貴方達の主観時間にして十分程です。既にシャットダウンは開始していますので、予定時刻よりも速やかに消失する場合があります」
「ありがとう。さよなら」
「さよなら。クスィ」
コンタクトに表示されていた地図から、ロゥの訓練室が消失した。
ノック。とんとん、と音が響く。
「入っていいか」
「勿論」
音もなく開く扉。巨大なピアノを背にして座る僕。暗闇の中から現れたイオタ。
地図からキィの図書館が消失した。地図を消す。停止は死と同じだ。友人が死んでいくのを、これ以上見るのは耐えられない。
「何、してたんだ」
「雨、聞いてた」
嘘をつく。
「好きなんだな」
「君のこともね」
本当のことを言う。
たじろぐ姿を見て、思わず笑みが溢れる。
「変なこと言うな」
耳まで赤い。
「ねぇ、イオタ」
「ん」
「誕生日には、まだ早いよ」
図星だったようだ。表情が変わる。
「知ってる。知ってるけど、完成したから」
「いつもありがとう」
「いつも?」
「いつも、絵を見せに来てくれてありがとう」
「あぁ、うん。ほら、同じ芸術型ナロウダウンだろ。解ってくれるかなって、思って……」
しどろもどろになる彼。
「どうだろう。僕は君の絵を本当に理解できている自信がないよ」
視線を反らす。窓の外はずっと雨。
「別に、いい」
再び、赤い瞳に吸い込まれていく僕。
「二人で話す口実が欲しかっただけだから」
「うん、嬉しいよ」
しばし、無言。タイムリミットまであとどれくらいだろうか。指折り数える意味は見つからない。もう時計も機能していない。恐らく、この部屋と窓しか世界は残っていない。
「二人きりだね」
「ニュゥも、いなくなっちゃったしな」
「今日は、ここで過ごそう」
「食堂は」
「ロゥならきっと、適当な時間に食べるさ。彼の体調管理が完璧なのは君も知ってるだろう」
「キィやディガンマ、ラムダに、食事渡してこないと」
「大丈夫。人間、お腹が空いたら自分でなんとかするさ。彼らにだって足はあるんだから」
自分でもわかるくらい、らしくない。僕はこんな人間だっただろうか。僕は人間だろうか。
「クスィ?」
「ごめん」
「謝るようなことじゃないだろ」
それに、と彼は続ける。その背中の向こうには闇が広がっていた。光りは、彼だけ。
「その、みんなが、七人も人がいるのにさ。お互いがお互いのこと、す、好きって」
「うん」
俯いてしまう彼。だから、僕が言葉を綴る。
「素敵だね」
彼の残った側の頬に手を当て、
「キス、しようか」
驚いた表情のイオタ。
返答を待つ。じっと。待ち続ける。
けれど、もう応えは返ってこない。
僕の右腕も消えてしまった。
僕は独りになってしまった。
「さよなら」
もう、この世界には誰もいない。
箱の中身は、空っぽだった。
空の箱 くろかわ @krkw
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