第78話心の中では逆だよ、

父との最後を思い出す。父の大きな手の感触がまだ頭に残っている。もっと話せばよかった。何を話したかあまり覚えていない。もう二度と話せないのに。――――後悔ばかりだ。


マルベックはエナの肖像画を物憂げな瞳で見つめ、指で優しくエナを撫でた。まるで本人にそうするかのように。


「お主らの母は現世に行った。しばらく平穏に暮らしたと聞いたが、ある日〈境壊〉を起こしたそうじゃ」


「きょうかい?」


「精霊に憑かれた者に発症する病気じゃ。稀におるのじゃよ。憑かれたものはやがて自我の境界が薄れ、最後には肉体が消えて無くなるのじゃ。そちらの世界に渡る前に憑かれていたんじゃろ。世界を跨いでも、どうやら精霊は剥がれなかったようじゃな。アオイを生んだまではよかった。その後すぐに発症し、意識を失ってしまった。世界が違ったからなのか、肉体に影響がなかったのは不幸中の幸いよ。そうして六年の月日が経ってから――――腹に赤子がいることがわかった。ハルキ、お前じゃ」


 一瞬何を言われたのか分からなかった。


「成長速度が遅く、六年かけて育ったと聞いておる」


「……六年、お腹の中に?」


アオイが驚きの声を上げる。

「まさに……人知を超えた出来事じゃ。そうしてお前は手術によって取り出されたのじゃ」

 部屋が静まり返った。


「そんなことありえるの」


 オリビアですら知らなかったことらしい。アイレンはポカンとした表情だった。


「十中八九、精霊の仕業じゃの。まあ、そのあたりはウエムラの方が詳しいじゃろ」


 僕は人間じゃないのか? 自分の存在が根底から覆された気分だ。急に血の気が引いて、足元がふらつき、机に手を付いた。


「ハルキ、大丈夫?」


 アオイが腕を掴み支えてくれた。


「大丈夫……」


「……安心せい、顔立ちはタダノブそっくりじゃ。二人の子供ということは間違いない」


その後、母の身体をこちらの世界に移し、それをタダノブが強奪し、精霊研究が一番進んでいるシャガルムに向かった。


「――――デストゥルネル・バリアン。どんな取引があったのかは知らんが、帝国でも指折りの貴族の名を貰ったのじゃ……。デストゥルネル家は精霊研究所を複数所有しておるからの」


マルベックはそう続け、ハルキの頭に手を置いた。大きくて分厚い手は父同様に温かかった。


「しかしハルキよ、事情を知らぬ者は裏切り者と呼んでおったが……これだけは覚えておいてくれ。お前の父は立派な男じゃった。誇りに思え。父の最後の姿を、決して忘れるでないぞ」


 父が、あの禍々しい鎧を身に着けていたバリアンが、悪人じゃない。真相を知る人物からそう明かされ、最後のパズルが合ったかのように、心がすっと落ち着き、気が付けば涙を流していた。


 アオイがハルキをそっと抱きしめた。途端、咳を切ったかのようにハルキは嗚咽を漏らした。




昼に村が総出で食事を振る舞ってくれた。湖が一望できる村の集会場に皆で集まった。

テーブルには鳥の丸焼き〈チテ鶏の炭焼き〉や羊肉の煮物〈モスラータ〉、獲れたての野菜料理が並び、歓迎ぶりが伺える。


「そもそも、どうして二つの世界が繋がったんでしょうか」


 ふと思い出したように呟いたアオイの疑問に、マルベックが答えた。


「分からんの……ただ、歴史の端々に異世界の痕跡はあったと聞いておる……とするとだいぶ昔からという事になるの」


「不思議よね。どうしてこんなことに」


アイレンに薄焼きパン〈ハラス〉を取ってあげながら、オリビアも同調する。ハルキは会話に入らないながらも、話は聞いていた。鳥の皮がパリパリしておいしい。


「……お互いの世界がお互いの夢を見合っているという事……」


 アオイはそう言って、黄色い芋のスープ〈ポニートのミルク煮〉を飲んでいた手を止めた。


「その表現、ちょっと素敵ね」


 オリビアの柔らかい声で、難しい顔をしていたアオイも少し笑顔を見せた。


「もし、繋がってなかったら、どうだったんだろう。何か変わってたかな……」


 ハルキの一言につかの間の沈黙が訪れた。


「そしたらハルキ、お主は生まれておらんぞ、アオイも」


「あ、そうか」


 拍子抜けたハルキの声に周りは笑った。


「でも、繋がってなかったら……わ、私は、ハルキ君とも会えてなかったよ。この国は無くなってたかもしれないし、私も死んでたかも……」


小さい声だったにも関わらず、皆の注目を集めてしまってアイレンは慌てて下を向いた。ハルキと目が合う。


「そうだね……痛くて怖い事ばかりだったけど……皆と会えたことだけは……良かったことかな」


 ハルキはアイレンを見ながら微笑んだ。アイレンも笑ってくれた。少しずつ回復していてよかったという周りの眼差しも感じ、これで少しは安心してくれたかなと頭の隅で考えた。


「お主らはどう考えておるのじゃ」


 マルベックは〈タラタラ〉という果物の酒を一口飲み、リュウの方に顔を向けた。リュウはカブに似た野菜〈パト〉にチーズがかけてある一皿をまじまじと見ていたが、話を振られてその皿を静かに置いた。


「我々は現時点で並行世界という仮説の元、研究を行っています」


「並行……世界?」


「微妙に違う世界がいくつも横に並んでいる、と言えばわかりやすいかもしれません」


 私も専門外ですが……と続いたリュウの講義に大人が聞き入っている間、ハルキは隣のアオイに強く手を握られ、小声でささやかれた。


「もう大丈夫だから。私がずっとついてるからね」


 ありがとう。そう答えたハルキだったが、心の中では逆だよ、と呟いていた。


(お姉ちゃんは、僕が守るよ)

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