第79話一番信頼できる誰かに

湖の湖畔に遊歩道が伸びていた。街灯とベンチがいくつかある。ずっと歩いていくと隣村に着くそうだ。波打ち際の手前には黄色い花畑が広がっている。天気はいいが、相変わらず日の光が弱く、かなり冷えた。湖面を白い鳥の群れが飛んでいる。


「ここにいたんですか」


 ベンチの一つにリュウが座っていた。


「ああいうところは苦手でな」


 集会場ではまだ食事会が続いていた。時折風に乗って賑やかな声が聞こえる。アオイはリュウの隣に腰かけた。二人の間にはもう一人座れる空間がある。


「ありがとうございました。ここまで来れたのもリュウさんのおかげです」


「まあ、よく頑張ったよ。向こう見ずで無鉄砲なところには正直ヒヤッとしたけどな」


武骨な手がアオイの頭をぐしゃっと撫でる。アオイはへへっと舌を出した。


ここ数日で距離はぐっと近付いた。でも、帰ったら会えないかもしれない。後悔はしたくない。というよりも、一度ついた火は気付いたら大きな篝火になっていた。もう自力では消せやしない。――――今なら、いいかな。


「帰ったら連絡先教えてもらっていいですか」


 言えた。しかし――――。


リュウは難しい顔をして黙ってしまった。嫌な予感がして、アオイはごくりと喉を鳴らした。やがてリュウはゆっくりとこちらを向いた。


「そのセリフ、発言する前によく考えたか? もしかしたらただのつり橋効果かもしれないと思わなかったか? 知ってるか、つり橋効果って」


触れようとしたら避けられた。

言葉が胸をえぐる。


同時に気付かれていたことがひどく恥ずかしく、自分がとても幼稚に思えた。これが大人と子供の違いかとショックも受けた。


同級生じゃないのだ、目の前にいるのは。


連絡先聞いただけじゃないですか、と軽口を叩いてごまかす事も出来たが、そんなことはしたくなかった。


「ご、ごめんなさい」


顔は真っ赤だ。浮かれた自分がバカだった。


普通じゃない体験をして、頼れる年上の異性が触れられるほど近くにいて……言われた通り、舞い上がってしまっただけなのかもしれない。


「謝るな。別にお前のことが嫌いだから言ってるわけじゃない。ただ……俺にとってこれは仕事で、お前はただの警護対象でしかない。それに十も離れていたら俺にはお前は子供にしか見えないんだよ」


 最後の言葉に胸の奥がズキンと痛んだ。もう一刻も早くこの場から消えてしまいたい。


「……分かりました。今の……なしで。聞かなかったことにして下さい。私も、何も言ってませんから」


取り繕った顔が痛々しいことは、鏡を見なくても分かる。


「あーきれいなお花。こんなの見たことないナー」


棒読みもいいところなセリフを残し、アオイは目の前の花畑に入っていった。




「いんですか? もったいない」と、にやついたガクが後ろから出てきた。


「恋に恋してるだけだ。あの年頃は……ってお前いつからいたんだよ」


「リュウさんかっこつけちゃって。あーでも恋されてるってことは自覚あるんですね? ナルシストですね、自意識過剰ですね」


後輩にからかわれる事ほど頭にくることはない。


「お前、なんかレイイチに似てきたな。飄々と毒吐くなんざ、完全にレイイチイズム継承してるぞ。俺は悲しいよ、お前とは職場一緒だからこっち派だと思ってたのに」


「そうですか? どっちかっていったら俺はエリさん派ですけどね、エリ班所属だし。てか毒ですか、今の。照れてるからそう感じるんじゃないですか。てか俺が暗殺者だったら首飛んでますよ、電源切りすぎですよ」


深いため息をつく。言い合う気分でもなかった。視界の隅で波打ち際をうろつくアオイが見える。


「さみー」と言いながらガクは酒を片手にリュウの隣に座った。手渡されたリュウも一口煽った。


「でも、アオイちゃん、無意識下で心の穴を埋めたかっただけかもしれませんね。父を失い、弟はあんな痛々しい姿で、死んだと思っていた母が違う世界の敵国にいる……それ以前にこの世界の存在知ったのってついこの間でしょ? 頭パニックだと思いますよ。不安で不安でちょっと寄りかかりたかっただけなのかもしれない。一番信頼できる誰かに……なーんて。あっ、本人でも気付いていない深層心理の話ですけどね、あくまでも」


わざとらしいのは、楽しんでるからか。数日前まで死にかけてたくせに。諭すつもりか。可愛くないヤローだ。語りはマイルドだがもはやリトルレイイチにしか見えない。ここにいないくせに口うるさいとは、なんなんだ、あいつは。俺の親か!


「それに今回の〈CS計画〉が終わっても、まだしばらく面倒見なきゃいけない状況でしょ。ね? リュウさん、ホラホラ」


「お前二度とシフト変わってやらねえからな!」


「ホテルめちゃくちゃだから当分営業しないですよ」


なんとなく目で追っていたアオイが、花を見ながら何度も目を擦っていることに気が付いた。


「ああ、くそ! どっちもめんどくせえっ!」


 リュウは髪を掻きむしりながら立ち上がり、ガクの頭を小突いてから、まっすぐアオイのもとに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る