第62話それでチャラにしておこうか

壊れた電球に、弾痕が穿たれた廊下の壁、舞い上がる粉塵に窓から差し込む光が乱反射している。レイイチの班は2階、西側階段前の防衛を担当していた。客室のドアから半身を乗り出し、階段に向かって銃撃を繰り返す。口の中がざらざらする。


『指令室より全班。現時点で敵戦力の約30%を殲滅。友軍の残存戦力は60%。作戦続行に支障なし。各員プラン通りに進めて下さい』


「ですって班長。聞いてました?」


 ヒグチが弾倉を交換しながら、引き金を引き続けているレイイチを見る。


「聞いてるよ。こりゃ向こうは第二陣を出してきたね。みんな気を付けて、集中力がさっきの連中と違う」


「トラップとガスでだいぶ削りましたもんね。いよいよ本隊のお出ましか」


 向かいの客室にいるカズヒロがそう言いながら手榴弾を投げた。階段下から英語の悪態が聞こえてきた。次いで爆発音。相手の銃撃が止んだ。


「外は一応戦闘ドローンが食い止めているらしいけど、あまり長くはもたないだろうね。もって十分かな。……ってオゼキ君、大丈夫?」


カズヒロの奥にいる顔面蒼白のオゼキが、煤にまみれた顔をこちらに向けた。


「……はい、なんとか」


 苦笑しながらそう返したオゼキに、労いの言葉でもかけてやろうと口を開いたその瞬間、猛烈な勢いで白煙が辺りを覆った。


「スモークッ!」


 反射的に腕で鼻と口を覆ったレイイチだったが、自らの意思とは関係なく咳と涙

と鼻水が溢れてくる。近くで銃声が響いた。同じ部屋のヒグチはバスルーム前にうずくまっているようだ。絶望的な視界の悪さの中、状況を把握しようとした時、背後でガラスの割れる音が聞こえた。レイイチは何も考えず、音のした方に向けて拳銃を撃ちまくった。二、三人仕留めた感覚はあったが、突然出てきた黒い影に拳銃を叩き落され、続いて腹部に重い痛みが走った。口から空気が抜け、あまりの痛さに膝を折りそうになったが、何とか痛みを堪え、相手の手首を掴んでねじり上げた。小さな悲鳴が聞こえた時、割れたガラスからの風で、室内が晴れた。掴んだ腕の主は、ガスマスクと黒い戦闘服を着た大柄な黒人兵士だった。そいつは手首が折れるのを覚悟してか、そのまま力ずくでタックルし、レイイチを壁に叩きつけた。間髪入れずに丸太のような腕から繰り出された強烈なフックがレイイチの脇腹にめり込んだ。肋骨の折れる音が体内を通って耳の内側に響く。だが掴んだ手首は離さず、容赦なく逆方向に思いっきり捻った。ゴリュと骨の折れる音と共に大きな悲鳴が上がる。たまらず敵兵士は遠のいたが、レイイチの腕にはいつの間にかコンバットナイフが突き刺さっていた。ここまででレイイチは、相手が並みの兵士ではなく、幾度も実戦を経験してきたエリートだと判断した。煙が晴れて、辺りが良く見渡せるようになり、若干だが身体も楽になった。敵兵士はゆっくりとガスマスクを取った。レイイチも腕のナイフを抜いた。相手はレイイチより二回り大きく、まるでヘビー級ボクサーのようだった。それを見てもレイイチは全く臆することなく、どうしたら制圧出来るかしか考えていなかった。感情を入れては負けだということはこれまでの経験で理解している。お互い睨み合い、動こうとした刹那、隙を見てヒグチが敵兵士の背中にナイフを突き立てた。一瞬顔をしかめたが、敵兵士はデスク前の大きな鏡を見ながら、素早く身体を捩じり裏拳をヒグチの顔面に炸裂させた。二つ並んだベッドの隙間まで吹っ飛んだヒグチはそのままピクリとも動かなかった。レイイチはこの隙を見逃さず、渾身の一撃を相手の顎に叩きつけた。さすがの巨体もぐらつき、足元がふらつく。間髪入れずに全体重をかけた肘鉄を顔面に喰らわせ鼻と前歯を潰した。しかし敵兵士は雄叫びと共に強烈な頭突きを繰り出し、レイイチの脳を揺さぶった。その隙に敵兵士は後ろに回り、腕を首にかけ、万力のように締め上げた。呼吸を強制的に止められ、頭に血が上る。何度か肘を相手の脇腹に打つが、びくともしない。意識が飛びかけた時、一発の銃声が鳴り響いた。敵兵士の腕から力が抜ける。自由になったレイイチは大きく息を吸い込み、霞んだ目であたりを見回した。そこには拳銃を構えるオゼキの姿があった。


「大丈夫ですか、班長」


 相変わらず顔面蒼白だが、何か吹っ切れたような瞳がそこにはあった。


「なんとかね……ありがとう」


『指令室から全班、フェーズ5に移ります。各班、担当場所に移動して下さい』

 すぐにヒグチの傍に移動し、脈を測る。心臓は動いていたが、鼻が潰れ、顔面は血だらけだった。ヒグチを背中に背負いこみ、「状況は?」と訊いた。


「別班が廊下の奥にいるので、まだ踏み込まれていません。……それよりカズヒロさんが……」


 オゼキは目に涙を浮かべ、嗚咽を漏らした。

 向かいの部屋には頭に銃弾を撃ち込まれ倒れているカズヒロと、敵兵士二人が倒れていた。


「敵が窓から入ってきて、俺怖くて……咄嗟にベッドの隙間に飛び込んだんです。カズヒロさんは後ろから撃たれて……見つかったら殺されるって思って、咳とか涙とか堪えて……でも敵が向かいの部屋に行きそうだったから……敵の後ろからめちゃくちゃに撃って……」


 半分パニックになっているオゼキは早口でまくし立てた。


「……俺のせいで……カズヒロさんは……俺がちゃんとしてれば……」


 その場で泣き出してしまったオゼキをそのままに、レイイチは素早く辺りを確認し、状況把握に努めた。


「……そうだね、君が訓練通り対処していれば、もしかしたらカズヒロは死ななかったかもしれない。それにいつ敵が来てもおかしくないこの状況で、状況確認もせず部屋の真ん中で突っ立ってゆっくりめそめそ泣いていられる君の感覚が僕には理解できないな。……けど、結果的に君は敵二人を仕留め、さらに僕の命を救ってくれた。さっきとは目が違うし、君の中で何かが変わったんだろう。借りも作ってしまったし……それでチャラにしておこうか」


 レイイチはオゼキに微笑みかけ、「行くよ」とその場を離れた。オゼキも安堵の表情で後に続いた。

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