第45話いかなる時も平常心を保て

恐怖は自分の中にある、恐れるな。条件反射で引き金を引け。もしもの時を考えて動けなくなるほど滑稽なことはない――――。


リュウから言われた言葉だ。


 心の中で何度もそれを唱えながら、アオイは一階正面入り口のロビーをゆっくりと進んだ。学生服の上に、弾倉を入れた戦闘ベストを着て、両手で拳銃を保持しながら、アオイは武骨な編み上げブーツを赤い上質なカーペットに沈める。


カウンターには誰もいない。アンティーク調の壁にはおびただしい量の血が飛び散り、スーツ姿のスタッフが数人、ロビーに血まみれで転がっている。


額と手のひらにうっすらと汗が滲んだ。奥歯を噛みしめ、しっかりしろと心の中で叫んだ。


カウンター脇から伸びている廊下に入り、少し進んだ時だった。ふいに壁の中からぬるりと、音もなくシャドが現れた。

まるで赤いジェル状の液体が壁から染み出してきたようだった。


アオイは引き金を引き、それを倒した。

しかし次から次へと新たなシャドが壁から染み出してくる。

出てくる順に拳銃を撃つが、まるで間に合わない。


少しずつ後ろに下がりながらカウンターまで戻ると、その正面の螺旋階段を駆け上がる。時折振り向いて追ってくるシャドを撃った。


二階に着くと、目前に複数の死体が目に入った。ほとんどがホテルのスタッフだが、見覚えのある顔がいくつかあった。レイイチ、ヒグチ、サクライ――――。


その顔は血にまみれ、見開かれた瞳には何も映っていなかった。動揺と恐怖と胸の奥から込み上げてくる熱いものを抑えて、客室が並ぶ廊下を走る。


アオイの記憶だと、そこは確か西洋風の白を基調とした清潔感ある空間だったはずだ。それが今や見る影もない。天井や壁の洒落たランプは割れ、壁には血が飛び散って、至る所が破壊されて下地のコンクリートが剥き出しになっている。床の高級な絨毯には焼け跡がいくつもあり、客室のドアも外れているものが多い。


始めは慎重に進んでいた足も、忙しくならざるを得なかった。床や天井、部屋の中から次々とシャドが襲い掛かってくるのだ。この廊下を抜けた先には宴会場がある。だがそこに到達するまでもなく、廊下の中ほどでアオイは立ち往生してしまった。


拳銃はとっくに捨て、日本刀を振り回しながら、近寄るシャドを切り伏せて砂に変えてゆく。


何とか活路を見出し、廊下を転がるように抜けて、最初に目に飛び込んできたのは、胸に大剣が刺さって動かないエリの姿だった。


ひっと小さな悲鳴を上げ、アオイは一瞬我を忘れた。途端に背後から数えきれないシャドが群がり、アオイはその場に押し倒された。頭を床に押さえつけられ、身体はピクリとさえ動かない。


その時、霞みかけた視界の端に、黒くて丸い物がゆっくり転がってきた。それはアオイのすぐ傍で止まった。視点が定まり、何か分かった瞬間にアオイは叫んでいた。

それはリュウの生首だった。




「おい、何度目だ? しっかりしろ」


 第二夢層の荒涼とした赤土の平原。そこにぺたりと座り込んでいるアオイに、リュウは容赦のない口調だ。


「その汗も血も、お前が無意識に創造し、構築しているものなんだぞ。自分で自分の首を絞めてるってことだ」


 リュウの構築した訓練空間が消えた後も、しばらくアオイは立ち上がれなかった。


「……こんなの酷すぎますよ」


 知り合いの無残な姿をこれでもかと見せられ、今にも泣き出しそうな顔をしていたが、かろうじて涙は流れていなかった。


「……構築師はもっと残酷なものを見せる。これじゃぬるいくらいだ。いいか、何度も言うがいかなる時も平常心を保て。ここは夢の世界、鉄の意志を持てば怪我もしないし疲れることもない」


そう言い放ったリュウは少しの間を開けて、アオイの頭にぽんっと手を置いた。


「……まっ、しかしだな、泣かなくなったところは褒めてやる」


 いつも真顔で、滅多に褒めないリュウが、少し柔らかい表情でそう言ったものだから、アオイは不意打ちを食らってしまった。顔が赤くなる。


 (なんで恥ずかしがらなきゃいけないのよ、こんな鬼みたいな人に)


不覚にも褒められてうれしがっている自分を押さえつけるために、アオイは目をつむって頭を左右に振った。


「なにやってんだ、おまえ?」


胸の内から滲みだす得体の知れない感情に、アオイは動揺しっぱなしだった。

 その時、オペレーターの声が割って入った。


『失礼しますリュウさん。重大ニュースが二つ。たった今会長とマルベックさんの会合が終わりました。ようやく王からの許可が下りたようです。それともう一つは、つい先ほどハルキ君の身体が到着しました。現在医務室にいるそうです。……覚醒しますか?』


 

アオイは立ち上がり、「お願いします」と叫んだ。

それについてリュウは何も言わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る