第46話お前の事は俺が守る

 常世箱から出たアオイはバスローブを引っかけてすぐに医務室に向かった。


「ちょっとアオイちゃん、そのままで行く気?」


 驚いたヒグチの声を背中で聞いて、ざっとしか拭いていない髪から水滴を滴らせたまま、切羽詰まった顔でアオイは足早に進んだ。その後を、同じような格好のリュウがついてゆく。


ハルキと離れてからすでに数週間が経つ。目の前のことに集中し、ハルキの事を意識して考えないようにしていたが、今はそれらを抑えていた反動で感極まっていた。自然と涙が溢れてくる。


もちろん、運ばれてきたハルキは、魂の入っていない入れ物のような状態だということは知っている。それでも行方不明だった唯一の肉親が帰ってくるのだ。多少興奮して取り乱しても、周りはやさしく見守ってくれていた。


 医務室には数人が集まっていた。ほとんど知った顔だったが、四人の小型マシンガンを持った武骨な警備たちは初めて目にした。


「ちょっとすいません」


 いつになく張りつめたアオイの声に、数人が振り向き、道を開けてくれた。医務室は高校の保健室ほどの広さで、カーテンのついたベッドが三つ並んでいる。その真ん中にハルキは横たわっていた。


「ハルキっ!」


 喉元から込み上げてくる熱いもので、声が擦れる。アオイは飛びつくように、眠っているハルキに抱きついた。すでに涙で顔はぼろぼろだ。そんなアオイを見て、皆静かに見守っていた。


 しばらくそのままで出会えた喜びに浸っていたが、次第にこの子はどういう状況なのかと不安の方が大きくなった。ハルキの全身から伸びたコードは枕元の機械類に繋がれていて、電極の付いたネットを頭に被っているその姿は、重病患者のようだった。しかし、顔は血色が良く、健康には問題ないように見えた。


白衣を着た医師にそっと促されるまで、アオイはずっとハルキに触れていた。



 次の日の朝、頼み込んで医務室でそのまま眠っていたアオイは、部屋の外の騒がしい喧騒で目が覚めた。時計を見ると朝の九時だった。


ハルキの様子は昨夜と変わりがないように思えた。ほっとしてからドアの外に顔を出すと、警備たちの運ぶ重たそうな台車とぶつかりそうになった。


廊下の奥から数人の声も聞こえる。世間話などではなく、もっと鬼気迫った感じだった。

 アオイはドア脇に立つ怖い顔の警備に尋ねた。


「あの、なにがあったんですか?」


「戦争だよ」


「え?」


 あごひげの男は太い声で答えた。


「俺たちの出番ってわけ。この国の政府が攻めてくるんだとさ」


 男と話している最中にリュウとレイイチがやってきた。


「おはよう、アオイちゃん。悪いけどハルキ君をこの部屋から移動させるよ」


 レイイチはさわやかな笑顔でそう言った後、アオイの返事を待たずに部屋に入り、ベッドの車輪の留め具を外しにかかった。リュウは警備と話している。


「今回は警察どころの話じゃないな」


「ああ、おそらく在日米軍も出してくる……」


遅れてウエムラやエリたちがやってきた。その頃にはすでにモニタ用の機械類も台車に乗せられ、移動の準備は万端だった。

 ハルキをベッドごと運びながら、一行は常世部屋へと向かった。廊下を足早に進みながら、ウエムラは的確に指示を出す。


「レイイチの班はこの施設の防衛。エリとリュウの班は第三夢層へ。ハルキの安全を確保し、ミュンヘルの戦士たちと協力して光球霊塔を破壊しろ」


「この子は?」


 リュウは視線だけをアオイに動かして、ウエムラに尋ねた。


「……行かせて下さい」


 喉の奥から絞り出すような声でアオイはウエムラの顔をじっと見た。


「……いいだろう。少し早いが、そんなことを言っている場合ではないしな。最悪の場合、眠ったままの方が安全だ。奴らにとっちゃナルコレプシーは貴重なサンプルだからな」


 ホテルの地下研究所はいつにも増して足音が多かった。何十人もと擦れ違ったアオイは、こんなに人がいたのかと驚いたほどだ。

 やがてウエムラは数人を連れて上階へと進み、より地下へと向かうリュウたちと別れた。


「リュウ君、君はどうなってもいいけど、アオイちゃんの事は死んでも守ってよ」


 憎まれ口を叩きながら、レイイチも部下を連れて離れていった。


「さて、うまくいけばいいけどね」


 搬入用のエレベーターの中で、エリが呟いた。


「敵さんはこっちの動きを知っている可能性があるってことですよね」


 ユウトというリュウの部下が応じる。


「そう。きっと私たちが来るのを、罠を張って待ってるわ。第二夢層でさえ素直に通してくれないかも。その場合は私が足止めするしかないわね」


 二人の会話には入らず、それまでじっと壁の一点を見つめていたリュウが、ふとアオイの方へ視線を向けた。二人の視線が数秒間交わる。


「……心配すんな。お前の事は俺が守る」


「……すいません」


 やがてエレベーターが開き、長い廊下の先には、常世箱の堅牢な扉が見えた。

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