第42話精霊使いの誕生

ハルキは何とか剣で受け止めたが、体重の乗った強力な一撃はその身を力ずくで吹き飛ばした。地面に転がったハルキだったが、すぐに起き上がり間合いを取る。

全身の毛穴が開いて、一気に嫌な汗が滲む。


トウゴの剣の切っ先から目が離れなかった。あれが自分の肉体に突き刺さったら……そう考えると、今すぐこの場から逃げ出したかった。

恐怖が胃の奥からせり上がってきて、ハルキは思わずごくりと喉を鳴らした。


 考える間も与えずトウゴは何度も剣を振り下ろす。

頭上でそれを受けるハルキ。

金属同士の凶暴な音が辺りに響く。何度目かの斬撃をかわし、ハルキは真横に飛んだ。そのまま一回転し、すぐに間合いを詰めて剣を水平に振りぬいた。


無心だった。

恐怖は無く、気が付けば勝手に身体が動いていた。ハルキの一撃はトウゴの頬から耳にかけてを切り裂く。

しかし、トウゴの剣先もまたハルキの肩に刺さっていた。

二人は一瞬の間の後、互いに飛びのき、距離を開けた。


 肩の傷は深くないようだった。血も服に少し滲む程度だし、痛みも少ない。トウゴの方もかすった程度で、赤い線からツゥっと一筋の血が垂れただけだった。


「この野郎っ!」


 その血を手で拭い、プライドを崩されたトウゴは怒りの形相で向かってきた。

 その時、タルサとオロンの叫び声が上がった。

一呼吸おいてアイレンの声も。


三人は慌てた様子でハルキとトウゴの脇を駆け、森と反対側の位置に移動した。


「な、なんだよ」


 トウゴも足を止め、困惑している。


「ああああ、あれ」


 オロンは森の方を指差した。黒く陰った森の中より、白く発光する人型の精霊種が、複数出てきた。全部で八人、周りには鳥や魚の精霊たちが宙を泳いでいる。


「おお、おれ、大人呼んでくる」


 震える声で言ったタルサの足音がだんだん小さくなるのを、ハルキは背中で聞いていた。トウゴもオロンも固まってしまったかのように動かない。いつの間にかアイレンが傍に来ていた。ハルキの袖を遠慮がちに引っ張っている。


「に、にげよ」


 掠れた小声でそう呟くと、潤んだ瞳をハルキに向けた。


「ちょっと待って……あの精霊たち、僕のことを見てない?」


「え?」


 見えないシグナルのようなものを、彼らから受けているような気がした。しばらくすると人型の精霊たちが中央を空けるように移動し始めた。

そこから現れたのは、虹色の角を生やした一角獣の群れだった。一番先頭の一際大きな個体が、ゆっくりと頭を動かし、ハルキを見た。その一体だけがハルキに向かって、角と同様に輝く虹色の蹄を踏み出す。

 

ほぼ同時に、数人の兵士たちが馬に乗ってやってきた。訓練教官たち、リリー、〈王の弓〉、それにツェワンまでが駆けつけた。その後ろからも、まだたくさん向かってくる。


「リーチェだ……」


 誰かの呟きが聞こえる。馬を下りたものの、誰も動けなかった。精霊種を前に人間は無力だと、全員が知っているからだ。


 リーチェと呼ばれた一角獣はハルキの前で立ち止まった。アイレンがハルキに身を寄せる。馬ほどの大きさだが、額から生えている立派な角のおかげで、別格の存在感だった。近くにいたトウゴが、その場に尻餅をつくのが視界の端で見えた。


「動くなよ、お前ら」と、大人の緊迫した声が届く。

 近くで見るリーチェは身体の表面が陽炎のように揺らいでいて、目を凝らすと、精霊種と同様に白い光で身体が構成されていた。黒いつぶらな瞳も、なびくたてがみも、柔らかそうな尻尾も、全てが光で細部まで創られていた。唯一違うのが虹色に輝く角と蹄だ。


「うう、動かないで。リーチェは動物と精霊種の混血だから、さ、触ったら……」


 そこで言い淀んだアイレンに、ハルキは「……死んでしまう?」と訊いた。

二人とも視線は目の前のリーチェから動かせない。


 しばらくの間、ハルキとリーチェは互いを見つめ合った。リーチェの瞳は何かを確かめているように思えた。ハルキはしっかりとそのまなざしを受け止める。

見ていると、このリーチェがかなりの高齢だということに気が付いた。見た目では分からないが、佇まいからそう感じたのだ。


ふいにリーチェは大きく息を吐き、前足を持ち上げた。急に大きさが倍近くになって、威圧感に圧されそうになる。そして背筋に鳥肌が立つほどの、堂々たる嘶きをしてみせた。攻撃されるのかと思って、アイレンが短い悲鳴を上げる。


「大丈夫だよ……」


 アイレンを宥めたが、自分でもなぜ大丈夫かは分からない。ただリーチェに攻撃の意思はなかった。何かを伝えたいのだ。


そしてリーチェは前足を折り、その場に倒れこんだ。静かにゆっくりと。

倒れる音も振動もない。まるで実体が無いかのように。


横たわったまま、リーチェは小さく嘶いた。呼ばれた……そう思い、ハルキはリーチェの傍に片膝をついた。


「お、おいっ!」とツェワンが叫んだ。周りも息を呑む。ハルキがリーチェの首を抱き上げたからだ。なぜか触れても大丈夫だと思った。リーチェの目がそう語っていたのだ。


 スッと突き抜けて触れないのかと思ったが、以外にも触れた。不思議な弾力があり、わたあめを触っているようだった。光の粒子がさらさらと水のように流れており、手のひらを撫でる感触は、穏やかな川の水流に似ている。


 リーチェの目から徐々に力が抜けてゆく。ハルキは何も出来ない自分がもどかしかった。手のひらに当たる光の体流も、だんだん弱くなってゆく。出会ったばかりなのに、なぜか大切な家族との死別のように感じられた。


 (ああ、死んでしまう……)


 リーチェの瞳がゆっくりゆっくりと閉じられてゆく。それでも視線は、弱々しいながらも決してハルキから逸らされはしなかった。


 そして、ついにその不思議な生き物の鼓動が止まった。辺りは計ったかのように静かで、声を出すものは一人もいなかったし、この時ばかりは森も哀しんでいるかのように静寂に包まれていた。人型の精霊種も微動だにせず、こちらを伺い続けている。


 しばらくすると、リーチェの身体がスゥと消えた。ハルキは小さく「あ……」と呟き、呆然とした。今までのは全部幻だったんじゃないかと思えてくる。残ったのはいずれも虹色に輝いている四つの蹄と、綺麗な螺旋状の角。


ハルキは目の前の角をおもむろに掴み、立ち上がった。付け根の部分が少し窪んでいて、そこを持つとちょうど剣のようだった。


 誰もが沈黙している中、ツェワンが「精霊使いの誕生だ……」と呟いた。


 森の淵にいた人型の精霊たちは、いつの間にか姿を消していた。

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