第37話〈球史全書〉
深い緑色に染まるガシャの森に、カン、カンと軽快な音が響く。森の中の野営地で、木製の模擬刀を打ち合っているのは十二歳から十四歳までの子供たちだ。
赤いコートを身に付けた二十人ほどの小さな戦士たちは、各都市の兵学校から集められたエリートで、ゆくゆくはミュンヘル王国軍の中核を担うべき金の卵である。
ハルキは四日前からその中にいた。もちろん剣技や体力面、それにこの世界での学術が優れていたわけではなく、〈球史全書〉と呼ばれるこの世界の予言書のようなものに、ハルキの名前が載っていたからだった。
〈球史全書〉とはこの世界、つまり〈第三夢層〉の古代文明の遺産で、今まで起こった出来事や、これから起こる未来のことまで、この世の全てを記したとされる古文書である。
古文書と聞いてハルキは古びた分厚い本を思い浮かべたが、実際は複数の巨大な石板であり、しかもそれはこの星の至る所に散っているという話だった。
ミュンヘル王国が所属する南側の連合国でも数十枚保有しているが、北の大陸のほぼ全てを支配するシャガルム帝国は、その十倍、二十倍も保有しているという。それでもまだ全ての〈球史全書〉を人類が回収出来たわけではなく、全部で何枚あるのかも分かっていないらしい。
もっとも、深い海の底や、遥か地面の下、宇宙空間にまで散っているそうなので、全てを回収するのは現段階では不可能という事だ。
多くの平民には浸透していないが、両国の上層部、王族や貴族、高官など上流階級の者たちは〈球史全書〉の存在を知っている。そしてその重要性も。
そこにハルキの名前が載っていたのだ。〈世界を終わらせる者〉として。
空は相変わらずの灰色だった。そこにカンっと一際大きな音を立てて、ハルキの模擬刀が宙高く舞った。
「うわわっ」
「チッ! よわっちい奴だな。なんでお前みたいなのがここにいるんだよ? ここには選ばれた奴しか来れないんだよ」
ハルキと打ち合っていた大柄な男の子、トウゴは見下した目を向けた。トウゴだけではない。他のほとんどの子供たちにも、ハルキは煙たがられていた。施設育ちのハルキにとって、即座に場の空気を察してしまう能力が、この時ばかりは鬱陶しかった。
「俺の親父は王様の近衛兵団長なんだ。みんなもエリートなんだよ。お前はどうせコネで入ってきたんだろ?」
トウゴは尻餅姿のハルキを鼻で笑って去って行った。近くの樹の上でその様子を見ていた羽兎族の二人がハルキを指差して何か囁き合っている。だが森の奥の方から凶悪な獣の鳴声が聴こえてくると、その兎のぬいぐるみのような種族は二足歩行から四足歩行になり、短い羽根をぱたぱた動かして、枝から枝へ消えていった。
(勘弁してよ、オリビアさん……)
ハルキはかじかんだ手に自らの吐息をかけ温めた。
この訓練キャンプにハルキを紛れ込ませたのはオリビアとリリー、それに数人の戦士たちだった。
彼らは王女シャルル直属の部隊で、正規兵とは命令系統が違う。
軍内部では〈王女の左手〉と呼ばれ、その権限は通常の将校よりも上であることが多い。
第二夢層(マクート・ガシャ)に行ける許可があるのも原則、彼らと〈王の弓〉だけである。ハルキが第三夢層に入ってから今日までずっと、最低でも〈王女の左手〉の誰か一人は必ず傍にいた。
彼らは、他の子供たちに自分がここにいる理由を喋ってはいけないと言うが、子供たちは〈球史全書〉の存在を知らないわけだし、そもそもこの訓練に無理があるとハルキは思っていた。
トウゴのみならず、みんな鍛え抜いた身体をしているし、何より自分がすべきことを分かっていた。自らの道を知る者は強い。とりあえず〈光球霊塔〉を破壊すれば帰れると聞いたので、こうして訓練しているが、不確定な未来に胸中は不安だらけだった。
「大丈夫か、ハルキ」
手を差し伸べてくれたのはリリーだった。金髪は後ろで一つに結ばれ、しっかり前の閉じられた丈の長いコートの上には、肩から斜めに独特な戦闘ベストが付けられていた。
そこには短刀や様々な石の入った小瓶などが綺麗に並んでいて、背中には小型の連射式ボウガンを背負っている
。口元にはいつも通り軽い笑みを浮かべていた。
「ずいぶんやられたな。少しはやり返せよ」
「無理だよ。みんな強いんだ。それに僕だけここにいる理由が違うもん」
リリーは口を尖らしているハルキを起こすと、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「理由なんて何でもいいんだよ。自分の主張をはっきり示さないと相手の言いなりになっちまうぞ。私もマイアミの小学校にいた時はおとなしい子供だった。だからよくクラスメイトに意地悪されていたんだ。だから大人になって軍に入ってからは、何か言われたら必ず言い返すようにした。そうしたらバカにされなくなったし、相手と対等になれたんだ。そこで初めて信頼ってもんが生まれるんだよ。だからハルキ、とにかく最初は、勝てなくても向かってゆけ。倒れても何度も何度もだ。……ああ、けれど実戦では引くのも大事だ」
「ええ、分かんないよ。どっち?」
ハルキは歩き出したリリーの後に続いた。
「ふふ、戦士になれば分かるようになる。だが人間にはな、これ以上は絶対に下がれない、意地と誇りで出来た〈死地線〉という線がある」
「死地線……?」
「そうだ。自分を救うために死んでも守らなきゃならない一線だ。それだけは絶対に越えるなよ。大切なものを失いたくなかったらな」
ハルキは歩きながら眉間にしわを寄せ考え込んだが、いまいちよく分からなかった。
「そういえばどこいくの?」
トウゴたちとは反対方向へリリーは向かっていた。
「ツェワン将軍がお前を呼んでいる」
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