第9話彼はこちらの世界の住人だ

静かな声だが有無を言わさぬ迫力がある。目に見えぬ圧力に押された形で、ハルキは咄嗟にモルコの陰に隠れた。


「なにを言っている! お前たちのせいで……」


 噛みつくリリーを「待て」と制し、エイルは振り返りハルキを見た。


「少年、名を何という?」


 何の抑揚もない声だった。


「ハルキ……」

 

戸惑いながらも恐る恐る自分の名前を言うと、エイルはほんの少し表情を強張らせた。リリーも驚いた顔をしている。

一方でハルキと同じくきょとんとしているのはモルコとオリビアだ。


「なるほど……そういうことか」

 

そう静かに言い放ったエイルはレイイチに向き直り、「お前の申し出、断ると言ったら?」と鋭い目を向けた。


「……断らないことを勧める」


 静かな殺気を全身から発し、レイイチは答えた。

短い沈黙の後、動いたのは二人同時だった。

エイルとレイイチの剣先が衝突し、凶暴な音を出すと、横からリリーがナイフを投げる。難なくそれを避けたレイイチは、二人を相手に余裕そうな笑みを浮かべていた。


「俺も行く。オリビア、この子を頼む」

 

モルコはハルキの手を掴み、オリビアに握らせた。オリビアは空を見上げている。


「ハルキ君、私の後ろにいて。勝手に離れちゃだめよ」


「は、はい」

 

オリビアは背中の筒から弓矢を二本引き抜き、目にも止まらぬ速さで上空に連射した。

 数秒後、二人から少し離れた所に二匹のシャドが落ちてきた。二匹とも身体に矢が刺さっている。


「見つかったわ。私たちだけでも移動しましょう」


 砂となって散ってゆく傍らのシャドから視線を外し、ハルキはオリビアに手を引かれながら、走り出す。ホログラムの兵士や爆発や黒煙と重なりながら、四人の剣劇が少しずつ離れていく。

オリビアは走りながらも、ハルキには見えない位置にいるシャドを次々と落してゆく。二人の通った道は死んだシャドの砂が舞い、まるで砂嵐のようになっていた。

 

突然、前方に霧の渦が現れ、それは瞬く間に黒いスーツ姿になった。


「オリビア、その子を離せ」


 レイイチは息も切らさず、二人の前に立ちはだかる。周りの木々の足元には何人もの兵士が倒れていた。

 オリビアは落ち着いた動作で、さりげなくハルキの前に身体を動かした。


「私は事情を知らないけれど、あなた今、とんでもないことしてるのよ」


ゆっくりとオリビアの手が腰の短刀に伸びる。


「そうかな。交戦してはいけないって契約書なんてなかったと思うけど。……僕たちはお互いそりが合わなくなって離れた。別れた恋人同士みたいにね。違うかい?」


 大げさに手を広げ、口元に笑みを浮かべるレイイチだったが、目つきは鋭いままだった。


「目的はなに? この子は一体何なの?」


「彼はこちらの世界の住人だ。この世界に迷いこんでしまった人を連れ帰るのが僕の仕事さ。だから……」


 意表を突きレイイチが斬りかかってきた。慌ててそれを受け止めたオリビアだったが、続けざまに繰り出された足には反応出来なかった。腹部を蹴られたオリビアは後方に吹き飛ばされた。


「ただそれだけさ」


「……くっ嘘よ。こんなことは今までなかった」

 

苦痛の表情のまま、オリビアは近づいてくるレイイチを見上げた。


「君はそこを動かないでね」


 傍らを通り過ぎるレイイチに笑顔でそう言われ、ハルキは身を固くした。


 気が付くと、ホログラムの雪は強くなっていた。


「よく言うよ。こっちの世界の人たちを見つけては、こそこそとそっちの世界に連れていくくせに。僕らが知らないとでも思っていたか?」


「違うわ! 私たちは救って……」


 オリビアが言い終わらないうちに、頭上からシャドが襲い掛かってきた。立ち上がり様に短刀を一閃し、二匹を片づけると、続けてハルキに向かってきた一匹に矢を放った。寸前で砂になったシャドが、そのままハルキに降りかかる。


レイイチも向かってきた一匹を難なく真っ二つにした。そして何もなかったかのような顔で、オリビアに向き直る。その直後、銀色に光るナイフがレイイチに向かって飛んできた。レイイチは身をよじりながら、それを刀で弾き飛ばす。


「オリビア!」

 

リリーの声だった。ホログラムの木々から三人が飛び出し、レイイチを取り囲んだ。


「あらら、もう追いついちゃったか」

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