第5話児童養護施設〈明和学園〉

ハルキが男子部屋を出たのは昼過ぎだった。重たい頭を抱えて、廊下をふらふらと進み、一階へと続く階段を降りようとした時だった。


「お、なんだよハルキ、今起きたのかよ」


 同室で同学年、おまけにクラスも一緒の孝太郎が、下から階段を一段抜かしで駆け上がってきた。脇にはサッカーボールを抱えている。


「お前、目覚まし時計鳴ってんのに全然起きねえのな。俺が毎日止めてやってんだからな」


孝太郎はハルキの頭を軽く叩いた。


「いて、……ごめん」


「まあまあ、孝太郎だってよくハルキに宿題教えてもらってるだろ? ギブ&テイクってやつだ」


 ポケットに手を突っ込み、下からゆっくりと上がってくるのは、ハルキたちより二歳年上、中学二年の洋平だ。ツンツンに立てた髪型で、すらりと背の高い洋平は余裕たっぷりにそう言った後、孝太郎の肩に手を置いた。


「でもまあ、ハルキもここのところ起きるのが遅いよな。昨日も少し遅刻したみたいじゃないか。今日は日曜だからいいけど、もう少し気をつけろよ」


「……うん、分かった」


二人と別れ、階段を下っていたら、上から洋平の声が降ってきた。


「ああ、そうだ。食堂でお前の姉ちゃんが待ってたぞ」


 続いて「おい、ハルキ。夕飯の後、孝之たちとゲームするからお前も来いよ」と孝太郎の声。ハルキはそれぞれに返事をし、一階の廊下に出た。


左側の窓には、敷地内にある松の木の隙間から、雲一つない秋空が見えた。階段を下りてすぐ、右側に続く男子トイレ、女子トイレ、事務室、倉庫を通り過ぎ、突き当りの食堂に着いた。


「ハルキ君今起きたの?」と五歳の翔太が鼻水を垂らしながら、すれ違いざまに言ってきたが、振り返った時には七歳の菜々と一緒に大声で叫びながら廊下を駆けて行ってしまった。


ハルキの姉、アオイは食卓テーブルで同じ部屋の女子二人と談笑していた。そこから繋がっている二十畳ほどの居間には四、五名の小さい子たちがおもちゃ箱をひっくり返し遊んでいる。その後ろの大画面テレビには、ニュースを読むアナウンサーの顔が映し出されていた。


厨房はすでに綺麗に片づけられていた。朝食も昼食も、もうないという証である。


ハルキとアオイが暮らす児童養護施設〈明和学園〉には、現在五歳から十八歳までの二十五名が生活している。共同生活をしてゆく上で、いくつものルールが決められているが、そのうちの一つが、ご飯の時間に食卓にいなければ、その食事はなしというものだった。


「ハルキ」


 アオイが手招きしていた。テーブルの上には玉子チャーハンの乗った皿にラップがかけてある。


「これ、あんたのとっといてあげたから。食べなさい」


「……うん」


 このまま夕飯まで何も食べれないのはキツイ。ハルキは早速アオイの隣に座った。


「ねえハルキ、最近本当にどうしたの? 日に日に起きる時間が遅くなってるじゃない。私はあと半年もしないうちにここを出なくちゃならないのよ? ハルキとはもう毎日会えなくなるの。ここを出た後は原則戻ってくるの禁止なんだから。こんなんじゃ私は心配です」


 語尾が敬語になっているのはアオイが怒っている証拠だ。口をとがらせて小言を言ってくる姉を尻目に、ハルキはラップを取ってチャーハンを食べ始めた。


「大学に入れたらまだいいけど、落ちたら私は自衛隊に入る予定なの。宿舎住まい。分かる? 本当に長い間会えないのよ? もっとしっかりして下さい。他のみんなに迷惑かけないで、自分のことは自分で管理するの。分かりましたか?」


起きてもまだ冴えない重い頭に、アオイの言葉が雨のように降り注ぐ。チャーハンを口に入れたまま仏頂面で生返事をした後、ハルキは立ち上がり、厨房の電子レンジに向かって歩き出した。やはり冷えたご飯より温かい方がおいしい。


アオイのため息が聞こえる。


「ハルキ君のさあ、あれ、なんだっけ、アオイさん。ナルト……ナルトプシ? だっけ? 今流行ってるビョーキのやつ。じゃない?」


 首を傾げながら曖昧な記憶を頼って口を開いたのは、高校一年の彩友美だ。金髪のロングヘアは根元の部分が少しだけ黒くなってきている。


「違いますよ、ナルコレプシーですよ、彩友美さん。睡眠障害ってやつ」

 

黒縁メガネを掛けた、いかにも真面目そうな中学三年の風子がそれを訂正した。


「ああ、それそれ。さすが風子、なんでも知ってるねー。同い年なら助かったのになー、あたし勉強とか嫌いだしー。教えてもらえてたのになぁ」


 早くも別の方向へ転がっていった話の内容は、アオイの耳にはもう入っていないようだ。


「新型ナルコレプシー……か」


 誰に言うでもなく呟いたアオイの一言は、チャーハンを温めて戻ってきたハルキの耳に入った。


「なに、お姉ちゃん? なんて言ったの?」


「ん? いや……」


アオイは何かに気づき、弾かれたようにハルキの肩を掴んだ。

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