第2話水しぶきは一つも上がらない
前方に木々が生い茂っている小さな水場が見えた。
上空をトンボが数匹飛んでいる。注意して見ていると、水場から一定の距離をとったトンボがふと姿を消した。
しかし、しばらくすると違うところから姿を現す。近くで見るとトンボの羽根は少年が両手を広げた長さと同じくらいあった。
木々は古代の原生林で、巨大なシダ科の植物が少年よりも高い位置に頭を出している。
小さなジャングルをすり抜け、少年は水場に出た。
例によって少年はこの世界のものに触れることは出来ない。
水の色が濃かったので一見深いように思えたが、実際の水深は五十㎝ほどだった。無論、少年は本当に水に浸かっているわけではなかった。いくら足を動かしても、手で水面を叩いても、水しぶきは一つも上がらない。
水面は穏やかだったが、ほんの数メートル先で急に水場が途切れていた。
水場の境界部分は例えるならオーロラのようで、光が不安定に屈折して全体像が捉えられなくなっている。
そこから先は赤土の荒涼とした大地がどこまでも続いていた。少年はしばらくの間じっとしていた。
右側にそびえる氷塊の彼方、妖しく光る青い太陽を見つめる。
数分の後、いつもと同じように不思議と心が穏やかになり、安堵感に満たされる。
あれはいったいなんだろう、と少年は思う。
かなり離れた場所にあるらしく、いつも向かっている最中に目が覚めてしまい、一度もたどり着いたことがなかった。
少年の足は自然に青い太陽に向かう。
ふと足元を見るとカンブリア紀の捕食者アノマロカリスが悠然と横切っていった。
ホログラムの小さなオアシスを後にした少年は、やはり真っ直ぐ最短距離を行こうと思い、先ほどの氷塊の中に入っていった。
視界の前後左右、全てが白の世界を少年は長い時間歩いた。
途中、青い太陽の位置を確認したかったが、頭の上も氷塊が覆っているのでそれは出来なかった。
少年は己の感覚を信じて進んだ。
もし迷って氷塊から抜け出せなくなっても、次の夜にはまた違う場所に自分が現れることを知っていた。そういう意味では少年はかなり気楽だった。
氷塊を抜け、針葉樹の森へ入った少年は木々の隙間から青い太陽を探した。目的のものはすぐに見つかったが、まったく見当違いの場所にあった。
まっすぐ歩いてきたつもりだったが、自分との位置関係から大分左へ逸れていたことが分かった。
森の中は薄暗かった。地面は長年堆積した葉や枝が腐葉土となり、その上に倒壊した古い木が複雑に折り重なって、とてもじゃないが歩けそうにない。
しかしそれも少年には関係のない話で、他の場所と同様に全てのものが身体を透過していく。
改めて青い太陽に向かって歩き出した少年は、数分と経たないうちに、朽ち捨てられた集落に行き着いた。丸太で作られた異国のログハウスが五つほど並んでいるが、そのほとんどが半壊していた。
寄り道する気はなかったので、少年は集落の外側を歩いた。
ふと集落の中で動きがあった。
人がいる。
少年の位置からは三人が見えた。屋根の無くなった廃屋で腕を組んで立ち話をしている。そのうちの一人、大柄な黒人の男性が少年の方を見た。
少年はその視線に気が付いたが、先ほどの街の時と同様に人も幻の一部だろうと思って気にしなかった。
しかし、何かが頭の中に引っかかった。もう一度視線を戻す。
原因が分かり少年の身は強張った。
三人のうちの一人、アラブ系女性の半身が、廃材の丸太と重なっていた。
――――自分と同じ、生身の人間……〈あの人〉以外にもいたんだ……。
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