第6話 そうして、日常が始まって。
その日からヨハンは潜水艦「ノーチラス号」の一員となった。入ってすぐわかったことには、この船の人間はみな一概に親切で、猜疑心をほとんど、あるいはまったく持っていないように見受けられることであった。粛清に怯え密告に恐怖する、そんな生活を長年送ってきたヨハンからすると、これは非常に印象的な点であった。船に女性はリーナしかいないということにもすぐ気付いた。リーナは格段特別扱いを受けている風でもなく、せっせと料理やら裁縫に打ち込んでいた。実際、リーナだけでなく船の皆が勤勉であった。ヨハンも技師としての高い能力を買われて船の改修工事の設計に携わることになった。ヨハンは余暇を読書や議論に充てることで大きな満足を得た。この船の住人たちは正確な、つまり党によって改ざんされていない歴史の知識を有していたから、彼らに昔の話を聞いたり本でより詳しく学んだりすることは非常に有益であった。彼が初めて地球の環境問題を知ったのも、昔ソビエトでスターリンが行った大粛清を耳にしたのもこの船に入ってからであった。彼は正しい歴史感覚を身につけようと毎晩ノートを取った。それをある日まとめてみると今まで疑問を抱いていたさまざまな点が一挙に解決されるのがわかった。彼のノートにはこう記されていた。
二十世紀から二十一世紀初頭にかけて全世界で急速に進んだ工業化は地球環境にさまざまな悪影響を及ぼし始めた。はじめは局所的な公害として、のちには地球温暖化に代表されうる種々の全地球的異変として。西暦2020年の時点で、人類には大まかに三つの選択肢が残されていた。世界経済の成長を維持するために宇宙空間に進出しさらなる資源を獲得すること。経済成長をあきらめて地球の資源の許す範囲内へ経済を縮小すること。そして、資源を奪い合い戦争状態に突入すること。結局人類は最後の、最悪の選択肢を選んだ。しかし、ある意味資本主義経済の根本原理(すなわち成長のための成長)と未熟な宇宙技術から人類にははじめからその道しか残されていなかったともいえる。
戦争は再軍備化を完了した日本と海洋進出・東アジア支配を狙う中国の間で勃発した。西暦2023年、日本海上空で日本軍の哨戒機が中国の戦闘機と接触、墜落し乗組員が全員死亡。中国軍機も墜落した。中国側は相次ぐ国内問題から民衆の目をそらすため強硬な対日姿勢を取っていたこともあり、これを日本軍の先制攻撃の結果と主張、結果両軍の全面衝突となった。米国は日米同盟に基づき軍を出動させ、これに反発するロシアが中国側につくとヨーロッパ連合も日本側について参戦。第三次世界大戦となった。
一年近くにわたる戦闘の結果、ロシアの先制核攻撃で米国は壊滅、ニューヨーク、ワシントン特別区をはじめとする諸都市と核基地をすべて失い敗北した。日本も米軍の壊滅に伴い無条件降伏。これに勢いを得た中ロ両軍は中東の石油地帯を占領。ドバイ、アブダビの高層ビル群を劫火の中に葬り去った。資源の乏しいヨーロッパ連合は間もなく劣勢に立たされ、歴史上初めてロシア軍が大挙して全ヨーロッパを占領した。最後の砦英国も間もなく降伏。かくて世界は環大西洋をロシアが、環太平洋を中国が支配する二国体制に入った。唯一の例外が豪州であった。豪州は戦争勃発とともに英連邦を離脱、中立国として戦禍を免れた。
しかし、相次ぐ戦争とその後の復興で地球環境は急激に悪化、豪州は度重なる干ばつに襲われ無政府状態に転落した。2032年のことである。最終的に豪州でも全体主義政権が発足し、かくて中ロ豪の三カ国が世界地図を塗り分ける構図となった。
しかし、資源問題をきっかけに三国間で成立していた平和状態はやがて絶え間ない植民地獲得戦争が始まった。中東・アフリカは再び先進諸国の戦場と化し、ついに実用化に至った自動化兵器の大量投入からアフリカの人口は往時の半分まで激減した。
こうして、もはや宇宙進出をする力も失った世界は果てなき軍需生産・戦争という資本の歯車に押しつぶされることになった。
ここまで書いてヨハンは「世界論」を手に取った。すでに読み終わったその本にはおおよそ同じことが、第三次世界大戦の直前にすでに書かれていた。いったいこのゲン・キミツという著者はいったいどこでこれだけのことを知ったのだろう?十数年も前に―いや、渦中にいなかったからこそ書けたものなのかもしれない。
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