第5話 その話は、ずっと前から。
艦長はじっとヨハンを見つめながら話し始めた。
「私たちは自分たちのことを『同盟軍』と呼んでいる。同盟軍は先の大戦の最後に、当時の極東海戦の生存者によって構成された。公式記録では沈没したことになっているそれらの艦船は今なお生き残っていて、互いに連絡を取りながらいくつかの秘密基地を共有して活動を行っている」
ヨハンが質問した。
「どのような活動ですか?」
「革命だよ。全世界的かつ最終的な革命。革命に備えての活動は大きく分けて二つある。一つは受動的に待つこと、もう一つは新たなる時代を自ら切り開くことだ。後者に関していえば、たとえば地上の協力者を介して優秀な人材を中央政府にスパイとして送り込み、情報を集め、同志を秘密裏に組織化することが挙げられる」
そういって艦長は優しげなまなざしでリーナを見やった。リーナはうつむいて自分のこぶしを見つめていた。そういうことだったのか、とヨハンは思った。
「状況はおおよそわかりました。ですが、あなた方の信条、あるいは思想はどのようなものでしょう?主義主張なしに十年以上もこのような組織が存続できるとは思えませんが」
艦長は立ち上がると、本棚から一冊の分厚い本を取り出し、ヨハンに渡した。
「『世界論―社会有機体の自然淘汰過程としての世界史』。十五年前にある日本人が書いたものだ」
ヨハンは適当に前のほうのページを開いて読んでみた。
第四章 第二節 倫理と社会
あらゆる個的価値体系はその可能性において他者のまなざしのもとに崩れ去る。価値は畢竟個体のなす判断の公準であり、個体の判断基準に依存するからだ。その基準が抽象化され共有されたときにのみ倫理と呼ばれる社会的同意事項が成立する。倫理は思想として定着し、社会の交換様式ぜんたいを支配する。アニミズムを信条とする土着民族、貴族民主制に支えられた古代ギリシャ、キリスト教に支えられた中世封建国家、そしていわゆる民主主義に支えられた近代資本主義国家。これらの生成過程をよく観察すると、倫理は環境に制約を受けながら(ある程度まで)無作為に生成することがわかる。しかし、結果として残ったのは資本主義であった。多くの場合我々は民主主義が正しいから、その正しさに向かって努力してきた結果民主主義が生き残ったのだと考える(フランス革命、アメリカ独立、国家社会主義の敗北とソ連の崩壊)。しかし、事情はまったく逆である。不断の経済的、軍事的競争を仮定し、無作為な倫理観を初期条件として世界地図に一様にばらまいたと仮定しよう。結果、起こることはこうである。人口、技術、組織の三点で他に勝る社会を下支える交換様式を正当化する倫理が、世界を制するのだ。したがって、標語的にこう言おう。
「正しい」倫理とは、強い社会を支える倫理である
ヨハンはその通りだと思った。意外性を感じないことにむしろ違和感を受けたほどであった。西暦二千年を過ぎてからおこった新全体主義の台頭も、これで矛盾なく説明できるではないか。しかし…
「『正しい』倫理とは、強い社会を支える倫理である、しかしこれでは、正しさは強さであり、強いものは何をしても許されるということにならないでしょうか?」
「許す、と君は言うが誰が『許す』のかね?神や、そのほかの形而上学的仮定物はすべて滅び去った過去の社会に属する倫理の遺物なのだよ」
「では、いったい何が良くて何が悪いのかわからなくなってしまいますね」
「第六章のあたりを読むといい」
ヨハンは言われたとおりに本を開いた。
第六章 第二節 論理=言語と倫理=社会
以上の考察では倫理生成の無作為な側面にのみ注目してきた。しかし、これはマルクス以前の経済学者が行った商品価値の研究と類似して不完全なものである。マルクスは商品生産の場に目を向けて、商品の「自然な」価値を見出した。同様に、我々も倫理の生成現場へ赴く必要がある。
倫理は論理と密接な関係にある。論理を可能性の「言語化」であるとするならば、倫理は妥当性の「言語化」である。詳細は以後に論じるとして、我々は一つの作業仮説を立てる。
論理において「矛盾」が果たす役割を、倫理においては「悪」が果たす
つまり言語の構造上倫理には制約があるという訳だ。ヨハンは半ば得心しながら本を閉じ、表紙を再び見つめた。著者はゲン・キミツという日本人だ。
「彼は今も生きているのでしょうか」
「うむ、我々の同盟軍に参加しているよ。今は旗艦のアルテミスにいるはずだ」
「そうですか…」
「さて、本題に入るが、君は私たちに協力してくれるかな?」
「ええ、大丈夫です。私はこの通りのお尋ねものですから、ほかに行くところもありませんし」
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