エピローグ

 ぱちりと目を開けたら、暗かった。

 ほっぺたを預けてるのは冷たいコンクリートなんかじゃなくて、いつもの枕。

 ベッドの先には、読書兼勉強用の机があった。


 戻ってきた……。


 現実のはず、なんだよね。でも何か証拠がほしくなるのは、さっきまで自分がいたのも現実といえば現実だったから。

 そうだ。がばっと起きて、枕元を見る。


 『時計塔のアリス』が、枕の左に変わらない姿で置いてあった。

 よかった……と安堵して、思わず抱き寄せる。

 『境界のない理想の世界』は、最初からなかったみたいに消えてた。二千円失っただけかあ、なんて考えが真っ先に浮かんで、ちょっとがっかり。


 窓の外も薄暗い。というかカーテン閉めてなかったっけ?

 スマホはどこだー、と探したら机の上に見つかった。

 まさか壊れたままってことはないよね……とちょっとだけ不安な気持ちで手に取り、ボタンを押す。


 ぱっと画面がついた。ほっとして、ふうって息を吐く。

 デジタルの数字で、今は十八時三十分を過ぎたところみたいだ。


「あれ? 十八時?」

 六時じゃなくて? というか、朝じゃなくて夕方?

 窓まで走って、外を見る。建ち並ぶ住宅には明かりが灯ってるものばかりで、空も見た感じ朝じゃない。

 またスマホの画面を見る。十八時三十五分。


 爆睡にも程があるでしょ……って思いながら表示されてる日付と時刻を眺めてたら、もっとおかしい事に気付いた。


 階段を駆け下りて、キッチンに向かう。お母さんがいて、とりあえず何事もなく野菜を切ってたことにほっとした。

 でも今は、他に知りたいことがある。

「ねえお母さん、今日って何曜日だっけ?」


 話しかけると、とんとんリズムよく鳴っていた包丁の動きが止まって、お母さんがこっちに振り向いた。首をかしげてる。

「木曜だけど、急にどうしたの?」

 ああ、やっぱり木曜なんだ。ええー、マジですか。


 時間が巻き戻ってる。日付がそうだった。

 一週間近く眠ったんじゃなくて、目が覚めたら昨日の夕方になってた。

 いや昨日というか、今日なんだけど。あーややこしい。


「いや、うん。やっぱ木曜なんだ。ねえ、それって夕食? 朝食じゃなくて?」

 コンロの上で、火にかけられてる鍋を見る。木曜の夕食メニューってなんだったっけ? 確か……。

「当たり前でしょ。千理、どうしたの? あ、わかった。寝たから昼夜の感覚がおかしくなったんでしょ」


 言ってることはその通りなんだけど、なんか違うっていうか。普通は眠ったら時間が進むはずなんだけど、今回は、ああもうわけが分からない。

「そもそも私、なんで寝てたの?」

「知らないわよそんなの。学校から帰ってきて、そのまま部屋のベッドで寝ちゃったんでしょ? 寝ぼけてないで、とにかく着替えなさい。制服、シワになるわよ」


 言われて、制服を着てることに気付いた。

「うん……」

 釈然としないけど、部屋に戻ろう。

 そうだ、木曜はカレーだった。


 部屋着になってダイニングに行くと、仕事から帰ってきたお父さんがいた。

 いつもの席について、新聞を読みながら夕食がテーブルに並ぶのを待ってる。

「おかえり」

「ああ、ただいま千理。今日は面白そうな番組があるなあ」

「え?」

 あれ、なんだかすごいデジャヴ。


「超能力の生放送だってさ」

 お父さんが、リモコンを手に取ってテレビのチャンネルを変える。

『――スペシャル、このあとすぐ!』

 切り替わった画面では、あの時の司会者が喋っていた。すぐにCMに切り替わる。


 そうか……木曜に戻ったってことは、またKJが出演する生放送があるんだ。


「あなた相変わらず、超能力だとかUFOだとか好きねえ」

 そう言ってお母さんが、テーブルに味噌汁の入ったお椀を置いた。ははは、とお父さんが照れ笑いする。


「今日って、カレーじゃなかった?」

「千理が寝てたから、明日にしたの。さ、ご飯よそってちょうだい」

 なるほど。カレー作るって言ったの私だし、まあいいか。

「はーい」

 熟睡した後みたいに頭がすっきりしてるし、お腹もぺこぺこ。カレーじゃなくても、食欲はいつも以上だ。


『それでは登場していただきましょう、ミスターKJさんでーす!』

 食卓に並ぶ料理はカレーから和食に変更されたけど、番組にKJが出演することは変わらないみたいだ。

 拍手に迎えられるKJは、にこやかな笑みを浮かべていた。


 ひとまず無事で、元気そうなことに安心してしまう。たとえ悪人でも、死んでましたなんて結末は後味が悪い。

 ただしもう私に関わらないでほしいってことは強く思う。切実に。


『では、実際に超能力を見せていただいてもよろしいでしょうか?』

『ええ。もちろん』

 そうしてトランプの透視が始まった。

 二度目だからか、何の感動もない。


 トランプをめくり終わって、ズームして映されたKJがカメラ目線になりそうだったから視線を逸らす。自然な動きを装って、味噌汁のお椀に手を伸ばす。

 目を合わせなければ見つかることはない。沙也はそう言ってた。


『超能力はあなたの中に眠っています。自覚し、使えば、その力は強力になっていくのです』

 KJが視聴者を指差しながら語っている間は、味噌汁に浮かぶ豆腐を眺めた。


『ありがとうございましたーっ!』

 司会者が興奮気味に言って、拍手が巻き起こる。テレビ画面に視線を戻すと、KJはセット中央にあるカーテンの向こうに入っていくところだった。

 さよなら悪い人。


 

 翌日。二度目の金曜日を迎えた。

 日曜は延期で、また金曜の学校からやり直しというのは正直だるい。すごろくで戻される気分を、まさか現実で味わう日がくるとは思いもしなかった。


 でも土曜も復活してもう一度楽しめるってことを考えると、ちょっと嬉しかったりもする。


 授業は再放送を見てるみたいな全く同じ内容で、悲しい事に当時せっせと書いたノートも白紙に戻っていた。とてもうんざり。

 でも、日常がこうして戻ってきたことや、平和のありがたみだとか、当たり前の大事さを再認識した。やっぱり現実はこうでなくちゃ。


 昼休み。沙也は自分の椅子ごと振り向いて、弁当箱を私の机に置いた。

 私も鞄から弁当箱を取り出す。開けてみると、やっぱり記憶通りのラインナップ。


「千理、昨日の超能力特番は見たかね」

「見たけど、目は合わせなかったよ」

 そこは教え通りに、ばっちり。しっかりとした眼差しで沙也を見たら、その沙也はなんだかぽかーんとしてた。


「……それは、チャンネルは合わせたけど画面は見なかったということかね。だとすると、ラジオ感覚でテレビを聴いたと。なるほど、千理もユーモアというものが分かってきたようだ」

「はい?」

 なんだか話が噛み合ってない。

 冗談を言ったわけじゃないんだけど、沙也はそう受け取ったみたいだ。


「そうじゃなくて、沙也がミスターKJと目を合わせるなって言ったから」

「私が? ほう、そんなこと言ったかなあ。はて……」

 沙也が腕を組んで記憶を辿りだした。なにそれ、演技?


「もしかして沙也は覚えてないの? 私の夢だからかな?」

「夢? どんな夢だね。私に教えてごらん」

「ええと、だから『境界のない理想の世界』っていう本があって……」


 丁寧に語るとそれだけで昼休みが終わっちゃうから、かいつまんでダイジェスト風味で説明した。

 相槌を打ちながら聞き役に徹していた沙也は、私の話が終わるとうんうん頷く。


「なるほど。それはまた、壮大な夢を見たねえ」

「本気で言ってる?」

 沙也は覚えてないのかな。


 いや、時間も巻き戻ってるから、土曜夜から日曜朝にかけての沙也は未来の話になっちゃうのか。なっちゃうの?

「本気とは?」

 きょとんとする沙也。私もきょとん。


「ん……?」

 固まってたら、突然閃いた。

 え……まさか……!

 私は、大きな勘違いをしていたのかもしれない。


 もしかしたら、木曜に帰宅してカレー作ったあたりから夢だった……ってこと?


「…………ふふっ」

 いやいやそんなわけないでしょって、おかしくて笑う。

「どうした急に笑い出して」

「何でもない。そうだった、あれは私の夢だ」

 夢だと思ったから、今があるんだ。夢だと思うことが大事。


「そういえば沙也は、その超能力番組見たの?」

「ああ見たとも。偽物ばかりでつまらんかった」

 あれ、前と違う。沙也は見てなかったはずなのに。

「そうなんだ。でも沙也って、昨日は外食じゃなかったっけ?」

「そのはずだったんだけども、まあ予定変更というやつだよ」


 もしかしたら、沙也も寝てたから外出するタイミングを逃したのかな。

 私も寝てたからカレーを作り損ねたし。


「しかし、どうして昨日が外食の予定だったと千理は知ってるのさ。話した覚えはないんだが」

 どう答えようか。でもやっぱりここは、いつも通りにいこう。それがいい。

 ふふふ、と不敵な笑みを浮かべる。

「だって私、超能力者だから」

「な、なんだってー」

 冗談めかして言うと、沙也もわざとらしくのけぞった。

 やっぱりこの時間は楽しい。



「ところでKJって何の略なのかね」

 昼休みも半分が過ぎたところで、ふと沙也がそんな疑問を口にする。

 喋るのが忙しくて、弁当は半分ぐらい残ってた。ペース上げないと。


「そりゃ、イニシャルでしょ」

「なら、どんな名前か当ててみよう」

 うーん、正直どうでもいい。でも沙也は、目を閉じ顎に手を当てて思案顔。

 しばらく待ったら、かっと目を見開いて私を見た。


「ジョウシマ・カツロウ?」

「いや、答え合わせを求められても、私だって知らないから……」

 ネタに走らず真面目に考えたっぽいけど、そうなるとむしろ反応に困る。

「ジャンボ・カツロウ」

「カツロウは確定なんだ……」


 そう反応しつつ、冷凍食品の豚カツをぱくり。カツ繋がりで、咀嚼中にKJの顔が脳裏に浮かぶ。なんか嫌だなあ。

 KJ……イニシャル。私だったら倉坂千理だから、SKか。


「あっ」

「どうした千理」

 沙也に尋ねられたけど、首を横に振る。もうその話は終わりだから。

 なんというか、あの人なりの小細工だったんだろうけど、今になってやっと気付いた。


「なんでもない。それより沙也、豚カツ食べる?」

 豚カツは二つ入っていたから、もう一つある。提案すると沙也は、幸運が向こうからやってきたーって感じの顔をした。

「実は欲しいと思ってたんだよ。さすが超能力者」


 これは豚カツ見てたからカツロウって言ったな。

 箸でつまんで差し出すと、ぱくっとサヤの口が取っていった。


「うむ、うまい」

 もぐもぐしてる沙也を見てると、あっそうだって不意に思い出す。

 確かめてみよう。

「豚カツのお礼に、明日の天気を教えてよ」

「決まってるさ。晴れだよ。その次の日もね」

 自信たっぷりに沙也が即答する。

「そっか。よかった」

 その答えに満足して、なんとなく窓の外を見た。


 のどかな景色を眺めながら、今回の出来事を振り返る。

 自分自身を納得させるためにも、ここで結論を出しておこう。


 誰に話しても、多分一緒。

 夢でも見たんでしょなんて言われるだろうから、私はそうだねって返す。

 私は夢を見た。結局は、そういうこと。よし納得。



 帰宅して、夕食やお風呂を済ませる。

 その後は自室にて、机に向かって読書タイム。

 『ドラゴンズテイル』に挟んでいたしおりは、木曜に図書室で読み進めたページに戻っていた。


 でも、前の土曜日に読み終えたからストーリーは覚えてる。しおりを取って先を読んでみたら、やっぱり同じ内容だった。

 明日、二巻と三巻を買いに行こう。


 本を閉じて、今度は『時計塔のアリス』を開く。

 私はアリスの本があるから寂しくない。作品を通して会えるから。

 でもアリスは、私の本がないから会えない。それは不公平だ。


 そう思ったから、なにか一冊ぐらい、私を主人公にした作品を書いてみようと思う。自分で。

 完成したら夢の中でアリスに渡そう、という自己満足。

 思いつきの衝動、気の赴くままに。


 全ては私の脳内で繰り広げられる物語でしかないけれど、それでも今の私は、意欲に満ちている。


 まずは作品名を考えなくちゃ。

 そう考えて、『時計塔のアリス』の横にメモ帳を出した。

 ペンを握って、何か閃けーと悩む。


 うーん、こんなのはどうだろう。ペンを走らせた。



 『夢と現実と創作の境界』……よし、これにしよう。



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夢と現実と創作の境界 雨雲雷 @amagumo_rai

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