公爵家の隠し子 IV

落ち着いた色合いの部屋に、奥に置かれた品の漂うエグゼクティブデスク。

 玉座と言っても納得しそうになる椅子に腰掛け、薄氷色のシャツに白のベスト、白のレースがついた紺のスカートと言う、ラフな格好をしたエスティア。

 あれがエスティアの部屋着だ。

 風呂上がりということもあって、多少の水気が残った髪は艶めかしく。

 シャツを押しのける隆起した、女性特有の双岳に視線が引き寄せられるが、緋色は理性で動きそうになる視線を留める。


「ヒイロ。貴方に紹介したい子がいるの」


 トンッとデスクの上に置かれたチェス盤の駒を、エスティアが動かす。

 デスクを挟んで正面に椅子を置き座っている、対手の緋色はエスティアの言葉を聞きながら、指された一手をどう返そうかと熟考する。


「……どんな奴?」


 トン、トンッ。

 一手指すが、秒で返された。

 迷いの無い返しに、読まれていたと知りクッと苦い顔になる。


「私の妹」

「妹……? 姉さんに妹なんていたのか?」


 途端思考は吹き飛び、チェスの事を忘れる。

 緋色の頭に浮かんだのは、エスティアに似た銀髪の小悪魔的少女の姿。

 今のチェスを見て分かる通り、いとも簡単に緋色を手玉に取るエスティアだ。

 彼女の妹と言う事は、姉妹揃って緋色はいびられるかもしれない。


「ええ。それでいて貴方の妹にもなる子でしてよ」


 緋色は人知れず、まだ見ぬ義妹となる子に弄ばれる覚悟を固めた。


「……とと」


 自分がチェスをしている事を思い出し、慌ててナイトの駒を動かす。


「悪手ですわ」


 あ、と声を出した時にはもう遅い。

 ふっと笑ったエスティアに、動かしたナイトを取られた。

 これで二個全てのナイトを取られた緋色は、盤上の動きを大幅に制限される。

 ナイト二つ、ビショップ一つ、ルーク二つ、ポーン四つ。緋色の取られた駒の数だ。

 対するエスティアはポーン一つしか落としていない。

 その一つもサクリファイスに使った一駒なため、緋色が取った駒の数は実質ゼロ。

 より頭を働かせ駒の一つ一つを動かさねば、すぐにチェックメイトだ。

 考える事数分。どんな一手を出そうが、緋色は悉くエスティアに取られる想像しか浮かばない。

 半ばやけくそ気味に、残る駒を動かす。


「──チェックメイト」


 勝負が着いたのは、緋色の長考から僅か数手先の事。


「く、負けか。強過ぎだろ」


 当然とばかりに静かに微笑むエスティアを横目に、緋色はぷはぁーと盛大に息を吐き、背筋を伸ばす。

 あちこちからボキボキと骨が鳴り、凝り固まった体をほぐしていく。


「妹で思い出した。そう言えば姉さんの両親は?」


 屋敷を歩いている最中、親らしき人物とはすれ違わなかった。

 だから緋色は、部屋に籠って仕事でもしているのだろうと思っていた。

 養子にされるのだ、エスティアの両親には一度会って、色々と事情を説明して挨拶をしなければいけない。

 だがしかし、エスティアから返されたのは思いもよらない返答だった。


「居ないわ。──二人とも既に死んでいるの」


 予想していなかった言葉に、数瞬硬直する。


「わ、悪い……」


 礼儀知らずな緋色とは言え、流石に今のは不躾な質問だったと謝罪と共に反省した。


「いいわ。気にしてないから」


 部屋の空気が、心なしか変わった気がする。

 エスティアと緋色の間に漂う、なんとも言えない室内の沈黙を破ったのは、ノック音を響かせ丁寧に扉を開け入ってきたエリスの声だった。

 エスティアは視線だけを、緋色は体を後ろに向ける。


「エスティア様、シャロン様がお帰りになられました」

「そう。じゃあここへ──」


 バン! と閉められた扉が勢いよく開かれた。

 奥から現れたのは、砂金の如き綺羅と輝く金髪の少女。


「お姉様!」

「シャロン、もう少し落ち着いて入りなさい。行儀が悪くてよ」

「ご、ごめんなさい! でも、お姉様が遠征から帰られたと聞きいて、私嬉しくて」


 華やかな学校の制服と思われる衣装に身を包み、品格を感じる金髪を揺らし頭を下げる。

 見た目からして十四歳前後、中学生ぐらいの年齢だろう。

 金髪の少女──シャロンは、叱られているというのに姉に会えた喜びから、美しい笑みを浮かべていた。


(似てない……)


 緋色は目の前のシャロンを見て、ある種の驚愕で胸が満たされていた。

 シャロンがエスティアを「お姉様」と呼んだことから、彼女がエスティアの妹であり、緋色の義妹に当たる少女で間違いない事は明白。

 しかしながら、純真無垢そうな印象は、はっきり言ってエスティアとは真逆。姉妹とは到底思えない。

 まるで『月と太陽』だ。

 ──もしかしたら実は計算高く腹黒いと言う、ギャップを通り過ぎてもはや二重人格を疑いたくなるような秘密を抱えているかもしれないが……。

 それを加味しても、抱いた第一印象では真逆だった。

 見た目で似ているといえば、宝石のような美しい翡翠の瞳と、豊かな胸ぐらいのものだろう。


「あ、そちらの方は……?」


 緋色に気が付いたシャロンが、愛嬌のある顔で小首を傾げる。


「貴方のお兄ちゃん」

「ワァオ、なんと雑な説明」


 それでいいのか、とジト目で告げる。

 が、エスティアは微笑むだけであとはどこ吹く風。

 一周回って主語だけの一行の説明で納得する訳がない。


「えぇ!? お兄様……ですか……?」


 ほら見ろ、やはりシャロンは戸惑っていた。

 どう説明すれば納得するのか、緋色はチェスの時以上に熟考するが、どう切り出してもツッコミ所がありすぎる。


 ──気が付いたら異世界で、訳も分からず貴方の義兄になりました。


 却下。

 まず持って「気が付いたら異世界」と言うことから理解出来ないし、そもそも本当の事を言う訳にはいかない。


 ──生き別れた兄だ。久しいな妹よ。


 いや誰だお前、と内心思われる。

 仮令真実だとしても、いきなり兄貴面は頂けない。

 それにどうして別れ、何故今になって戻ってきたかを上手く説明出来る気がしない。

 エスティアの考えた筋書き通りに話せば何とかなるかもしれないが、その当時のお家の状況がわからない以上、質問が飛んできたりしたら手詰まりだ。予想と想像で話してどんなボロが出るかも分からない。

 唸って考えていると、おずおずと言った風にシャロンが質問をしてきた。


「えっと……お姉様。どういう事でしょうか? お兄様とは、そう簡単に出来るものではないと思うのですが……」


 そこで漸く、エスティアが口を開いた。


「フフ、ごめんなさいね。貴方の反応が面白くてつい。──彼の名前はヒイロ、お父様の子で、世間一般には隠し子と呼ばれる立場にある子よ」

「ああ、なるほど」


 納得したように、シャロンは何度が頷いた。

 今の説明の何処に納得出来る場所があるのか、緋色は分からなかった。

 だがシャロンには通じるものがあるようで、苦笑いを浮かべて呆れ混じりの声を漏らす。


「お父様は女の人にだらしがなかったですからね」

「ええ。そういう事よ」


 エスティアは三日前の朝礼で兵士達の時と同様、一字一句間違えず同じ説明をした。

 シャロンは質問を挟まず、時折頷くだけで黙ってエスティアの声に耳を傾け、最後まで話を聞いた。

 話を聞き終わると、瞳を潤ませジッと緋色を見つめ始める。


「ヒイロが家を出た時、貴方は幼かった。加えてヒイロは余り人前に出ないようにしていたのですもの、覚えていないのも当然」


 最後にそんな言葉を添える。


「……お兄様、今の今まで大変でしたね……。でも、本当に良かったです。またこうして兄妹が揃う事が出来て、シャロンはとても嬉しく思います……」

「あーうん、そうだねー」


 感動で美麗の涙を浮かべるシャロンを前に、感情が死んだ声で同調する。

 何故こうもあっさりとエスティアの言葉を信じるのか、もう少し疑ってもいいだろうに。

 いや、疑われたら疑われたで厄介なのだが……。

 見れば奥に控えていたノキアも、緋色に優しい眼差しを向けているではないか。

 緋色はシャロンがいつか詐欺に引っかかるんじゃないかと、心底心配になった。


「それじゃあ兄妹揃ったところで、遅めの昼食としましょうか。シャロン、昼食は学校で済ませたかしら?」

「いえ、急いで帰宅してきたのでまだです」

「そう。なら、食堂に行きましょう」


 椅子から立ち上がり、エスティアはいつの間にか片付けられていたチェス盤と駒の入った木箱をデスクにしまう。

 彼女の号令に従って、部屋に居た一同はこの場をあとにする。

 部屋を出たちょうどその時、ぐぅ〜とタイムリーに腹がなり微笑ましい視線を集めることとなった緋色は、彼女らから視線を外すのだった。

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