公爵家の隠し子 Ⅲ

 走行する馬車の中。

 王城での謁見を済ませ、肩の荷を下ろした緋色達は現在、オーレリア家に向かっていた。

 車内には緋色とエスティアの二人のみで、馬車も豪華な物とは打って変わって無骨なものになっている。

 これはエスティアが乗っていると悟られない為の対処だ。


「そう言えば、さっきの歓声は何なんだ。異常だろ、あれ」


 脳裏に浮かぶのは、悲鳴にも似た歓声を上げる人の群れ。

 耳栓を付けなければ人体に影響を与える程の歓声、一目でも見ようと、馬車の中に向けてくる無数の視線。

 エスティアがいくら有名と言っても、あれは異常すぎた。

 初めて体験した緋色には耐え難いものだ。


「私、この国じゃ英雄扱いをされているの」

「英雄ねぇ……」

「ええ、それには私のしてきた事に理由があるのだけれど。この国で暮らしていくのですもの、それは後からいくらでも耳に入るでしょう」


 それ以上は話す気がないエスティアは、何処から隠し持っていた本を黙って読み始める。

 本人が喋る必要なしと断じた事を深堀する訳には行かないので、緋色は窓から顔を覗かせた。

 ゴトゴト揺れる馬車が、目に映る景色を捲っていく。

 水の通り道に掛かる橋を超え、城下町の広場とは真逆の道を馬車は進む。

 数分もしないうちに景色は大きく変わり、小さな建前や店が並ぶ通りから、貴族達の住む大きな屋敷が立ち並んだ住宅街へ。


「すげぇな……」


 日本にいた頃は、画面越しでしか見ることの出来なかった豪邸という建物。

 それが目の前に並んでいる。

 横並びに建設されているそれらに、僅かに圧倒され、無意識に言葉が漏れ出ていた。

 尚も馬車は止まらず、住宅区を走り抜ける。

 やがて辺りに建物の気配が無くなり、青葉生やす並木道の緩やかな坂を登っていく。

 馬車に揺られて十数分。辿り着いたのは、大層な装飾の門と、門の向こう側に見える美しい庭園。

 そして住宅街とは比べ物にならないくらい、壮観の一言に尽きる邸宅だった。


「……」


 大きいだろうなとは思っていたが、ある意味で予想以上の屋敷に口を開き驚くしかない。


「何をしているのかしら?」


 言外に呆けるな、と告げる声にハッと動き出す。

 いつの間にか、門のそばに立っていたエスティアに近づく。

 門の横に備えてある呼び鈴をエスティアが鳴らすと、庭園から一人のメイドが白と黒の特徴的な服を揺らし、駆け寄って来た。

 門は見た目よりも軽いのだろうか、いかにも女らしい細腕で二メートルを超える門を開けている。


「お帰りなさいませエスティア様!」


 敷居を跨ぐと、メイドは花を思わせる笑顔で出迎えた。


「ええ、ただいまエリス」


 エリスと呼ばれた少女、第一印象で表すなら天真爛漫そうな少女だ。

 明るい茶髪に桃色の瞳。幼い顔立ちとは裏腹に、胸は微妙だが小柄ながらも女らしい体付きをしている。

 有り体に言って可愛らしい。


「エスティア様、そちらはもしかして」

「そうよ。彼がヒイロ」


 やっぱりと言った顔を浮かべると、緋色の方を向き。


「使いの者より聞いています。初めまして、ヒイロ様! エスティア様お付の侍女のエリスです! 以後お見知りおきを」


 スカートの端を優雅に摘み、見たことの無い程綺麗なお辞儀をした後、パァっと眩しいくらいの笑顔を咲かせた。

 エリスの太陽にも負けない破顔に、少し気後れする。

 しかし向こうが名乗ったのだ、ここで自己紹介をしない訳にもいかない。

 気持ち立て直し、なるべく明るい感じで切り出した。


「ああ、よろしく。知ってると思うけど、改めて……緋色だ。色々と勝手が分からないから、教えてくれると助かる」

「はいな!」


 自己紹介を済ませると、エスティアが喋り出す。


「私は自分の部屋に居るわ」

「わかりました」

「それと、湯浴みの準備をしといて貰えるかしら?」

「遠征ではお風呂に入れないですもんね。わかりました。他の者達に準備をさせるように言っておきます」

「ええ、お願い」


 それでは行きましょう、と話を終えエリスは緋色とエスティアを先導して屋敷に足を動かす。

 緋色は歩いている最中も、物珍しさから視線を上下左右に動かし、感銘を受け口を開けっぱなしにする。

 子供みたく瞳を輝かせる緋色が可愛かったのか、エスティアは口元に手を添えクスクス笑う。

 エスティアの笑い声に気付いた緋色は、気恥しさが込み上げ顔を赤く染めた。

 今の緋色はどこをどう見ても、田舎から都会に出てきた少年そのものの反応であった。

 背を向けているエリスに気付かれなかったのが唯一の幸い。

 エリスにまで笑われていたら、緋色は恥ずかしさで逃げ出してしまう所だった。


「私の弟は可愛いわね、ふふ」

「ほっとけ……」


 姉弟仲のいい? 会話をしている内に、エスティアは自分の部屋に着いたのでそこで分かれて。

 話す相手兼笑ってくる相手が消え、口を閉じて静かにエリスの後を付いて行った。

 それから緋色の部屋に着いたのは二分後。

 中に入ると、その余りの広さに言葉も出なかった。

 ホテルのラウンジ程の広さと、潔白な壁に飾られた爛々と輝く装飾、床に広がる赤い絨毯。

 吊るされたシャンデリアは仄かな輝きを放っている。

 部屋の左奥にキングサイズを超えるベッド。

 中央付近には、細部まで拘った彫刻がされている座卓と簡素なソファーがある。

 庶民だった緋色が暮らすには、明らかに過ぎたる室内だった。


「こちらがヒイロ様のお部屋になります。何分急なことだったので、ゲストルームにあった家具です。御容赦下さいませ」


 申し訳なさそうな顔で、頭を下げるエリス。

 使える者に最高の物を用意する侍女としての矜持なのだろうか。

 緋色に客人用の家具を使わせる事に、悔しそうな雰囲気を漂わせている。

 なんと声を掛ければいいのか分からない緋色は、「あ、そう……」としか言えなかった。


「エスティア様より、後日緋色に見合った専用の家具や服装等を買い付けるようお申し付けられました。それまではお待ちください」

「ああ」

「はい! 何かお困りになったら、私かその他の侍女執事にお声を。ではではごゆるりとお休みくださいませ!」

「分かった。ありがとう」


 コクっと緋色が頷いて、笑顔を振り撒きながらエリスは部屋を出た。

 扉がちゃんと閉まるのを確認してから、足をよろめかせ草臥れた体を──バフンっとベッドに叩き付けた。

 このまま休もうと思ったが、案外息苦しかったので仰向けになる。


『お疲れだな、相棒バディ


 指に嵌められたリングから聞こえる、深みのある落ち着いた声。

 緋色は一度、リングを自身の上に翳し視界に入れて、またベッドへと戻す。


「疲れたなんてもんじゃない。慣れない事ばかりで、疲労困憊どころか満身創痍にまで行ってるね」

『はは、そこまでか』


 ラグナロクに表情があったのならば、きっと苦笑いをしていただろう。

 そんな事が容易に想像出来るほど、聞こえた声音は引き攣っていた。


『なに、これから貴族として生きる事になるんだ。嫌でも慣れるし、慣れなければいけない』

「……そう……だよな」


 ラグナロクの言葉に、これから先もこういった堅苦しいものが続くのかと思うと、不安と気疲れを孕んだ溜息しか口を出なかった。

 元々お堅いのが嫌いで基本何事にも物臭な緋色。

 だからこそ普通校では無く、自宅でパソコン等の必要機材があれば授業を受けられる通信制の高校を選んだというのに。

 嫌だ嫌だ、とフカフカなベッドをのたうち回っていると、トントンと軽快なノック音が緋色の耳に入る。


「……」


 少し待つが、一向に入ってくる様子は無い。

 何故と首を傾げるが、もしやと思い口を開いた。


「どうぞ」


 緋色が扉に向けて言うと、「失礼します」とエリスとは違う女性の声が聞こえた。

 やはり扉の向こうの侍女は、緋色の許可が下りるまで待機をしていたようだ。

 流石は本物のメイド。よく出来ていると思う反面、一々許可を出さなければいけないのかと面倒に感じた。


「紅茶をお持ち致しました」


 台車を引き入ってきたのは緋色と比べて、明るい黒髪を肩まで伸ばした侍女。

 エリスとは対照的に落ち着いた、月を思わせるクールな雰囲気を纏っている。

 そしてこれまたエリスとは違い、胸が大きく緋色は一瞬だけそちらに気を取られた。

 この屋敷に入ってから何度も思っていたことだが、どうやらここでは平均的に美男美女が多い。

 部屋に来る途中にすれ違った、侍女や執事のどれもが目を引き付けられるレベルだ。

 その中でも目の前の侍女とエリスは、頭一つ抜きん出ている。


「ありがとう」


 ベッドから離れ、台車の近くに行く。

 台車に置かれた紅茶のセットとお菓子を取ろうとすると、


「いえ、ヒイロ様お掛けになってください。これはメイドの仕事です」


 とにべもない語調で簡潔に言い切られた。

 はっきりとした言葉に少したじろぎ、言われた通りにソファーに腰をかける。

 侍女は目の前で紅茶を淹れ初めた。

 自分でやらなくていい分、物臭の緋色には実に楽で素晴らしいのだが……どうにも落ち着かない。

 無言の室内に、コポコポコポコポと紅茶を準備する音が木霊する。

 いよいよ耐えられなくなった緋色は、目の前の侍女に話しかけた。


「茶ありがとな……えっと……」


 名前を知りたいのだと察した侍女は、手を動かしながら答える。


「ノキアです」

「うん、ありがとうなノキア」

「いえ、これがメイドの本分ですから。ヒイロ様はお気になさらず。そのままソファーに寛いで頂ければ何よりです」

「あ、はい」


 無機質な機械を相手にしているようだった。

 会話を続けようにも話題が思い浮かばない。

  この気不味い沈黙をどうしようか考えていると、意外な事にノキアから話しかけてきた。


「すみません。喋る事は苦手な訳では無いのですが、どうにも受け答えが下手で会話を広げられず……」


 前言撤回。

 ノキアを機械と評したが、その実単にどう返せば良いのか分からなかっただけのようだ。

 よくよく見てみれば、顔を顰め苦い表情をしている。


「なるほど。ああでも気にすんな。話し掛けてる俺もそこまでか会話は得意じゃない」

「そうなのですか?」


 今度はノキアが意外そうな顔をした。

 見た目から緋色が話術を得意としているとでも思っていたのだろう。

 緋色の見た目は整っており、コミュ障の印象が無い。いや実際にコミュ障ではないのだが、かと言って会話が得意なのかと聞かれれば、否だ。

 緋色はどちらかと言えば、振られた話題に乗って会話をする人間であり。自分から話題を振って話の輪を広げる人間ではない。

 こういった誤解は、まだ学校に通っていた時に少なからずあった為慣れている。


「そうなのです」

「フフ──」


 おちゃらけた風に答えると、顔を崩し笑ってくれた。

 気不味かった沈黙が和らぎ、緋色はノキアと少しでも距離を縮める事に成功した。


「こちらが茶菓子となっております」


 漸く出された紅茶と、羊羹に似たような食べ物が目の前に置かれる。

 洋風の茶に和菓子に似た食べ物という、ミスマッチそうな組み合わせ。

 紅茶には普通ならばケーキやクッキーなどが1緒に出されるが、こちらではこの羊羹に似た食べ物がそれと同じ扱いをされているのだろうか。

 デザートフォークを使い──一口。


「美味い……!」


 滑らかな口溶けに広がる甘すぎない甘味。

 見た目だけで無く食感も羊羹に似ているが、こちらの方が柔らかい。

 プリン程では無いがプルプルして、柔らかく口に入れたらすっと消えていく感じだ。

 次いでカップを手に取り紅茶を飲むと、これも文句のつけようがないぐらい美味だった。

 エスティアの淹れた紅茶もそれなりに美味かったが、ノキアの方が何倍も緋色の口に合っていた。


「お気に召されたようで何よりです」

「ああ、うん。これ気に入った。この菓子はなんて言うんだ?」


 羊羹紛いのものを指差す。

 緋色は甘い物は得意ではないが、糖分が控え目で口当たりの良いこの茶菓子は好きになった。


「ミトラス、と言うゼリーの一種です」

「ほぉ〜ミトラスか」

「お代わりもありますので、どうぞごゆるりとご堪能下さいませ」

「分かった」


 こんな生活を遅れるのなら、貴族生活も悪くは無いと、多少考えを改め。

 その後、エスティアからの呼び出しが来るまでの十五分間、緋色は出された菓子と紅茶を味わい続けた。

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