公爵家の隠し子 Ⅱ
「ここがアルスティア皇国……!」
張り巡らされた水路と色鮮やかな自然。
人々の活気で賑わう城下町に、そこらじゅうから聞こえる優雅で盛大な音楽。
壮大であり、繊麗であり、風雅な大国。
その国の在り方から、他国の人々には“華咲く都”と謳われ、ラースタリア大陸に点在する国々で最も美しいとされる皇国。
──それがアルスティアだ。
「あれは噴水か?」
緋色は視線の遠く先に見える、広場の中心にある女神を模した像が立つ大きな噴水に興味を引かれた。
四段に積み重なった天使達の寛ぐ大理石の上に、右腕にハープを持ち左腕に鷲を乗せている美しい女神の石像。
噴水の石像は勝利と平和を司る、アルスティア皇国の象徴となった女神を象って作ったものだ。
石像を含め、あれ程の美しくデカい噴水は中々見れるものでは無い。
元の世界で観光名所となった場所に、トレビの泉というものがあるが、あれに勝るとも劣らない。
緋色が目を輝かせ噴水を見ていると、横の馬車からエスティアに呼び戻される。
「ヒイロ、馬車にお戻りなさい。入国手続きが済みましてよ」
後ろ髪を引かれるが、この国で生きる事になるのだ。
広場へ行く機会どころか、この街を探索する時間はいくらでも出来るようになる。
それこそ飽きる程に。
最後に一瞥して、エスティアの言葉に頷き馬車に入る。
「ヒイロ様、こちらを」
中には戻ると、エスティアの隣に座る女の護衛兵システィナに耳栓を渡された。
ここで耳栓を渡される意味が分からなかったが、見ればシスティナも横のジークも、さらにはエスティアも耳栓をしているではないか。
「今にわかります」
それだけ言って、兎に角緋色に耳栓を付けるように進言する。
断る理由もない緋色は、取り敢えず受け取って自身の耳に蓋をした。
──そして馬車で数分程揺られた時だった。
『キャアアアアァァァァ──ッ!!』
鼓膜が破れたのではないかと錯覚する程、耳を突き抜く人の歓声が聞こえた。
耳栓をしていてこれなのだ、していなかったら本当に鼓膜が破れていたかもしれない。
キーン! と頭の深い部分で耳鳴りがする。
反射的に体を丸めて二つの手で両耳を抑えながら、涙目でエスティアを見上げると、苦笑いをしていた。
何度も経験済みなのだろう、その顔からは慣れたと言うより、諦めのようなものを感じた。
緋色が状況を理解出来ないでいると、エスティアが窓の外を指差す。
「マジかよ……」
引き攣った声音が漏れたのは、緋色が窓の外に広がる光景を見たことがなかったからだ。
そこには好奇、羨望、畏怖と言った感情を孕んだ大量の視線。
これでもかと言う程に、道を埋め尽くし群衆を成す人の海。
耳栓越しに聞こえる声は、判別出来る言葉の全てがエスティアを賞賛するものばかり。
一度人の群れから視線を外して、エスティアを見てみれば彼女は窓の外に向かって優雅に手を振っていた。
エスティアのした行為が、人々の感情を昂らせ、歓声を通り越して悲鳴へと加速させる。
塞いでも防ぎきれない人の声が止んだのは、蒼と白が織り成す昂然的で絢爛たる城に着いた頃だった。
「クソったれ。まだ頭がガンガンしやがる──アイタッ」
外した耳栓をジークに預け。
頭蓋を抑えながら言葉を吐き捨てると、エスティアからデコピンをされる。
「その汚らしい言葉遣いを改めなさい。私と二人ならまだしも、これから貴方はアルスティア王と謁見するのよ」
「分かってるって……ます。姉さん」
「よろしい」
静まってきた耳鳴りに安堵しながら、蒼穹の城を見上げた。
「ここに来る途中から思ってたが、やっぱりでけぇな」
緋色が何気なしに呟いた言葉に、エスティアが反応する。
「当然でしてよ。アルスティアの皇城はどの国にも負けないと自負しているの」
「さいですか」
「行くわよ」
眼前の城が放つ威圧感に萎縮する緋色とは違って、歩み出したエスティアの背は堂々たるものだった。
近衛兵を連れ城門を潜るエスティアほど、城という背景が似合うものは無い、と緋色は深く思う。
*
「──面を上げよ」
堅苦しい低音の声が部屋に響いた。
空気を震わせながら、気品の塊と言える声音は、なるほど王と名乗るに相応なもの。
言葉通り、顔だけを上げ壇の上にある玉座に腰掛ける人物を視界に捉える。
長く靡く金髪に顎にこしらえた髭、僅かばかり老いを感じる顔のシワは、それはそれで似合う。
跪くエスティアと緋色の両者を、コバルトブルーの双眸で見下ろしているのが、現アルスティア国王“ザイリード・アッシュ・アルスティア”。
「此度の遠征、もう幾日か掛かると予想していたが……ふむ、流石と言うべきか。褒めて遣わす」
伸びた髭を撫でながら、人好きのする笑みで賞賛する。
「陛下。
エスティアの言葉を受けて、蒼の視線が横へとズレる。
ザイリードが向ける視線に、緋色は僅かばかり緊張の色を浮かべ固まった。
この国で一番偉い人物との謁見なのだ、無理もない。
誰だって大統領と会い、言葉を交わすとなれば緊張する。
しない人物は、それこそ同じ階級の人間だけだ。
「ほう、そやつが。話は先程、遠征に出向いた兵から聞いているぞ。生き別れた弟らしいな」
「はい」
「それは何とも喜ばしいな。しかし……はてさて私の記憶が正しければ、ジギルの奴に長男はいなかったはずだが……」
何とも意地の悪い笑みで、エスティアを見下ろす。
ザイリードの言葉にドキッと、肝が冷えた。
頑張って表面には出さ無かったものの、マズいぞと内心では冷や汗が流れる。
縋る思いでチラッと、エスティアを打ち見。
顔には涼しげにいつもの笑顔を浮かべ、焦った様子がない。
その顔を見た事で多少の冷静さを取り戻し、エスティアがなんとか捌いてくれるだろうと予測した。
「フフ、それはそうでしょう。我が父は、彼の母親ともども当時の貴族の闘争に巻き込む気はありませんでしたから。故に長男の存在を黙っていたのでしょう。彼の事を知っているのは、一部の者のみ。親としては不出来だった、我が父の子へ送る僅かばかりの恩情だと思い、御容赦下さいませ」
エスティアの返しに、浮かべた笑を崩さず面白そうに髭を撫でる。
「なるほど。確かに、お前の父ジギルは人一倍子思いであり、かつ秘密主義な男だったな。その主義たるや、旧知の友たる私に結婚する事を当日まで黙っていた男だ」
ザイリードが愚痴とも言える言葉を漏らすと、エスティアを含めた拝謁の間に集った貴族達が苦笑いをする。
緋色も「それは友達と言えるのか?」と反射的にツッコミそうになったが、なんとか飲み込む。
「どうした笑うとこだぞ?」
言葉にする当人が、苦笑をしているのだ。
笑うに笑えなかった。
それ程までに、ジギルが秘密主義者だったのだろう。
この分ではもっと他にすごい事を黙っていそうだ。
「ともかく、確かにジギルが秘密にしていたのなら私が知らなかった事も頷ける。それに、他に知っていそうな者達は、とうの昔に元帥自ら間引いたのだ。彼の血縁を証明できるのは元帥だけだ」
「ええ、勿論ですわ」
話に一段落ついたのか、ザイリードは一度目を閉じる。
次にその瞼を開けた時、ゆっくりと緋色を見定めた。
「して、貴殿の名は?」
来た、と緊張で筋肉が強ばった。
名を聞かれることは予想済み、アルスティアに来る途中の馬車内で、さんざん受け答えの練習をしている。
後は練習通りに返答するだけ。
「おれ……私は、ヒイロと申します。苗字はありません」
「ヒイロか、変わった名だな。アイツが付けそうな名だ。してヒイロよ、先程元帥の申したように、ダンタリオン迷宮を攻略したと言うではないか。──それも一人で」
最後に発したザイリードの言葉に、周りがどよめく。
ダンタリオンに限らず、迷宮と呼ばれる場所は、殆どが前人未到難攻不落とされている。
理由としては、
何より攻略を不可能たらしめているのは、“
その名称が示す通り、その迷宮を支配する主であり。
最古の時代に『幻獣』と呼ばれ、災厄を振りまいた存在。
幻獣の力は個々で違うが、総じて人が対抗出来るものではなく。
歴史の刻まれた文献では、強力な幻獣が居た迷宮に挑んだある国が、万を超える兵を犠牲にして、漸く攻略出来たとされている。
各迷宮には、それらが封じられおり。
ダンタリオン迷宮では、緋色を襲った多眼の魔蜥蜴ダンタリオンが迷宮主に該当する。
故に迷宮を攻略したという事はつまり、“最終の迷宮主”を打ち破った事に他ならない。
しかも郡では無く、個の力でと言うなら、貴族達が騒ぎ立てるのも当然の事であった。
「確かに、私は一人で迷宮を踏破しました。そこに偽りはありません。しかし、それはこの神器霊装による部分が大きいです。ですから、私自身の力と言うには……過ぎた評価です」
拙い敬語を使い、真実を口にする。
何とか噛まずに言えた事に、バレないように安堵の息を漏らす。
ザイリードの言葉を余り間に受けて欲しくない、と言うより過大評価をして欲しくないのだ。
迷宮の件はそもそも、偶然で攻略できてしまったようなもの。
事実、運良く隠し部屋を見つけられなかったら、今頃緋色はダンタリオンの胃の中だった筈だ。
「ほう……それが」
神器霊装を見つめる視線が鋭くなった。
だがそれも一瞬の事、すぐに通常のものに戻る。
「にしても謙遜か、美徳な事だ」
(いやぁ〜、謙遜じゃなくて本当の事なんだけど……)
残念な事に、ザイリード含め貴族達は緋色の言葉を、ただの謙遜と勘違い。
緋色を見る目が、品行方正な子を見るそれに変わる。
中には流石は元帥の弟だ、と声にして褒める者すら出てきた。
あるぇ? と空気が変になっていくのを感じた。
「聞けばアルスティアを母と出てより、平民と変わらぬ生活をしていたそうだが。くく、中々どうして。最低限の礼儀がなっているではないか」
「いやその、ちがっ──」
「ん?」
「いえ、お褒めいただき光栄です……」
訂正しようとして、やめた。
向こうが勘違いしている以上、何を言っても無駄だと思ったからだ。
訂正しようと喋ってさらに状況を悪化させるより、黙っていた方のが得策と断じた。
そうこうして緋色とアルスティア王の初となる謁見は進み。
些かの過ぎた評価をされたまま、この度の拝謁は幕を閉じた。
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