迷宮 VII

 ドサッと音を立てて、ベッドに座り込んだ。

 緋色の顔を見れば、疲弊の色が窺える。

 先程までエスティアと、この世界に置いての基本情報を、二時間近く交換しあっていたのだ。

 エスティアの「一度で覚えなさい」と言う無茶振り通りに、気力や集中力を大幅に使ったのだから無理もない。


「にしても……まさか、バレてるとは思わなかった」

『ああ。あれには些か私も驚いたよ。無論、相棒の話にもだが』


 テントの中で二人してエスティアの規格外っぷりを、しみじみと噛み締めるように語らう。

 緋色とラグナロクがそう感じたのには、二時間前に理由があった。


 *


 エスティアからの養子の話を受け入れた後、緋色は大事な話があるのでまだその場に残っていた。


「あら、まだ何かありまして?」

「ああ。養子になる以上、大事な話をしておかないとって思ってさ」

「それは異世界の事についてかしら──?」

「そうそう、異世界のって……なっ!?」


 息が止まった。

 緋色の大事な話とはまさにエスティアの言った、こことは違う異世界……地球の事。

 だが緋色が切り出すよりも早く、その口から異世界と言う言葉が出るとは、誰も予想できないだろう。

 驚愕に目を見開く緋色を見て、エスティアは微笑を浮かべる。


「何故分かったのか、と言いたげな顔ね」

「いや、本当になんで、いつ分かった?」


 緋色が異世界出身だと決定付けるものは、大してなかったはずだ。

 それなのにエスティアは、どうしてか確信を得ているような物言いをしている。

 別段隠すような事でもないが、それでも何故どうやって知られたのか、それが気になって仕方ない。

 エスティアはコップを置き、順を追って丁寧に説明を始めた。


「始めからよ」


 始めから、そんな初期から異世界の事が疑われていた事実に言葉が出なかった。


「疑い始めたのは、気絶している貴方をベッドに運んだ時。この時に貴方の着ている服に違和感を持ちましたの」

「違和感?」

「ええ。余りに上質過ぎたことに対する違和感」


 上質とエスティアは言ったが、緋色の現在着ている服はブランド物でもなんでもない、そこら辺の服屋で売っている安物だ。

 そんなものが上質だと言われても、しっくりこなかった。


「そんないいものじゃないぞ、この服」

「それは貴方の価値観でしょう? 少なくとも、この世界の基準からしたら上質の部類には入ってしまうわ」


 そういうものなのだろうか。

 確かに言われてみれば、この野営地の兵士達の軍服は少し粗く感じなくもない。

 目の前のエスティアが特別高品質な服を着ているだけで、この世界の文明レベルは地球よりも僅かに下程度のものなのかもしれない。


「そのような衣服を来ている事から、始めはどこかの国の貴族とアタリをつけましたのだけれど……貴方が目を覚ました時に、貴族特有の雰囲気が無いことからそれは無いと分かったわ」


 貴族や王族の放つ特有の空気、それには種類がある。

 傲慢なもの、高潔なもの、清廉なもの、実に様々でそれは周りの環境によってしか育まれないものだ。

 長年貴族社会に身を浸していたエスティアは、そう言った独特の空気を感じ取ることが出来るのだが、緋色にはそれを感じなかった事から一つ目の考えを破棄した。


「次に過去、あるいは未来からの時間旅行者かとも考えたのだけれど、それも魔法を知らないと言う事から違うとすぐに分かる。この世界の歴史は魔法の歴史ですもの」

「なるほど……」

「三つ目に、遠い異国の線もあったのだけれど……。これは直ぐに否定したわ」

「なんで?」

「これも、あなたの服が理由よ」

「服?」


 先程の会話で、緋色の着ている服の話があったがそれが関係しているのだろう。

 緋色は視線を下ろし、一度自分の服をちゃんと見てみた。


「それほどの品ですもの。有名とは行かないまでも、風の噂程度には耳に入るでしょう。それも無いということは、三つ目の考えも外れ。そして最後に考えたのが──」

「異世界説と……」

「ええ」


 この話を聞いて、緋色は目の前の人物の異常さを知った。

 たった服装一つで全てを見抜く、その目。

 エスティアの洞察力は、明らかに常人のものを遥かに超えている。

 何より、直ぐに答えに至るその思考速度が卓越していた。

 この世界の情報を聞いたのは、緋色がエスティアの逸脱した能力の一部を、目の当たりにした後の事だった。


 *


「本当あの人は化け物だな」


 引き攣った笑いを浮かべながら吐き出す。


『流石はあの若さでだ元帥になっただけの事はある』

「元帥ってたしか、軍人の中で一番のお偉いさんだったか?」


 軍には自身の身分を表す階級があり、下から二等兵一等兵……兵士長と上がっていく。

 最下級から上に上がる事は無論、楽なことではない。

 何十年と軍に身を置く人間でも、尉官に成れればエリート。

 佐官以上になればこの上なく大出世だ。

 そんな中で最上位階級の元帥に、それも十九という若さにしてなったと言う事は、並々ならぬ天賦の才と数々の偉業を打ち立てたからだろう。


「そう言えば、ラグナロクは俺が寝てる間エスティアと話しをしたんだっけか?」

『ああ。保護された相棒の事情と容態をな。あの時は随分と驚かれたよ、「一つの意志を持った喋る神器霊装アストラルがあるなんて」とな』


 へぇー、と興味なさげに返事を返した。

 事実緋色に興味などなかったので、そんな返事になってしまったのだが。


『にしても……相棒は異世界の出身だったか。ならば私の言葉を理解出来なかったのも頷ける』


 少しして、ボーッとしていると下の指輪から腑に落ちたと言った具合に、声が発された。


「まぁな。おかげで、お前の付けてくれた自動翻訳の魔法はありがたいよ」

『それは良かった。ところで相棒、君に聞きたいのだが……』

「何だ?」


 何気に初めて緋色の事で質問をしてくれたラグナロクに、ベッドの上で寝転がりながら答える。

 緋色からラグナロクに問い掛けることはあっても、ラグナロクから緋色への質問など無かった為、ラグナロクの聞きたいことの内容に興味もあった。


『異世界の人間というのは、こうも莫大な魔力を有しているのか? それとも、相棒が特別なのか?』


 はて? と、質問に対し首を傾げてしまう。

 ラグナロクの言う魔力というのは、何か分からないからだ。

 いや、言葉の意味は理解出来るし、サブカルチャー好きのオタクとしては、よく聞くし言う有り触れた二文字でもある。

 だが実際にそれを宿しているのかと聞かれれば、聞いたことも感じた事も無い物をハッキリと無いと断じる事も出来ないため、分からない、としか言いようのない。

 緋色の世界に置いて、魔力や魔法といった概念は、空想の産物であり夢物語に出てくるものなのだ。


「いや、無いと思う。多分だけど、魔力そのものが……」

『ん? それは可笑しい。相棒から感じられる魔力は、それこそ歴史に名を刻んでも可笑しくな──』


 何かに思い至ったのか、言葉が途中で途切れる。

 次の時には焦った様子で、ラグナロクがあることを緋色に聞いてきた。


『相棒、あの迷宮で光る水みたいな物を口にしたか?』

(光る水……?)


 数秒の間記憶を辿ると、あっと声を上げ思い出した。


「それなら」


 上体を起こし手を翳して、自身のリュックをイメージする。

 すると、体からすっと抜ける感覚と同時に、光の粒子が緋色のイメージ通りに形を成していく。

 触れる事の出来ない光は実態を持ち、緋色のイメージした通りのリュックとなって現出した。

 そうしてリュックから取り出したのは、一本のペットボトル。

 中には蒼く淡く光る水が、三分の一程度入っていた。

 そう、これは緋色が洞窟で見つけた水場から汲み取った水だった。


「これの事か?」

『あぁやはり……! いや、しかしそうなると……相棒が無事なのは可笑しい……』


 一人でブツブツと喋り出したラグナロクに、「おい」と声を掛けた。


『ん、すまない相棒』

「この水がどうかしたのか?」


 一見すれば、光るだけのただの水だ。

 飲んでもみたがこれといった異変もなく、普通の水の味なのだが、ラグナロクの様子からして口にしては駄目だったようだ。

 毒でも入っているのだろうか、しかしそれにしては何の変化も無い。

 遅延性の毒だったとしても、二日も寝ている間に変化は無かったのだから、毒ではない別の何かが含まれているのかもしれない。


『それはダンタリオン迷宮の“魔力の源水”さ』

「魔力の源水……」

『そう。ダンタリオン迷宮は魔力を有さない特性を持った、迷宮の中でも珍しい部類でな。変わりに最下層の地面に液体状の魔力が流れているのさ』

「それが、この水ってわけか……」

『うん。私の知る時代の人間からは、龍脈と呼ばれていた』


 魔力と言う概念が当たり前に存在するこの世界で、龍脈というのは星の生命に当たる代物。

 人がその体に血管を巡らせ血液を流動させるように、星もまた地中に膨大な魔力を流動させている。

 それが龍脈と呼ばれる、触れることの出来る『物質魔力』だ。

 ラグナロクの封じられていた隠し部屋や、部屋に続く通路に刻まれた魔法は、この龍脈を応用したものでもある。


『さて、ここからが本題で問題だ。その水は莫大な魔力の集積体。とても人に耐えられるものではない、人体に有害な水だ』

「……それをもし、飲んだりしたら?」

『良くて植物状態、最悪即死だ』


 ラグナロクの話を聞いて顔を青くするが、それも一瞬の事。

 次にはあれ、と顔に疑問の色を浮かび上がらせる。


「おい、俺はこれをがぶ飲みしたぞ。なのになんの異変も起きてないが……」

『がぶ飲みって……。まあいい、今は置いておくとして。何の異変もないことこそが問題さ』


 龍脈と呼ばれる形ある魔力は、その濃密さから人の手には余る代物だ。

 仮に人間がそれを一滴でも体内に摂取すれば、魔力に含まれた不浄の悪性部分が、たちまちに人体の機能や内蔵などの器官をズタボロにしてしまう。

 命は助かっても、人としてまともな生活を送ることはほぼ不可能になる程の後遺症は確実に残ってしまう。

 が、しかしだ……。

 緋色は一滴どころか、一リットル近くを取り込んだのにも関わらず、体調の変化や身体性能に異常はない。

 自覚が無いだけで、中では色々と起きているのかもしれないが……それでも、目に見えて変わったところなど無かった。


『相棒』

「なんだ?」

『相棒は魔力を元々持っていないと言っていたな?』

「ああ」

『恐らくだが……相棒が、魔力を手に入れた原因はその水さ』


 緋色は手に持ったペットボトルに視線を落とす。


『理由は不明だが相棒は龍脈を体内に取り込んだ時、人体に有害な悪性部分だけを弾いたのだろう。そうして残った濃い魔力を、何らかの方法で身体に馴染ませ魔力を得た』

「どうやって?」


 何らかの方法。

 緋色には自分ですら分かっていない力を使って、毒を弾き魔力を手に入れたという事になる。

 だが生憎と緋色には特別な力も無い、自身に有害な物だけを無効化すると言った特異体質でもない。

 この世界に来てから、疑問ばかりが緋色の中で膨らんでいく。


『……分からない。だが、相棒が龍脈の毒を無効化出来る力、あるいは何かがある筈なのは間違いない』

「そうか、分かんねぇか」

『私から推察しておいて肝心な部分が分からず、すまない』

「気にするなって。そのうち分かるさ」

『ああ』

「さて、色々考えるのはやめだ! 今日はもう疲れた」


 ベッドから飛び降りると、少し声を張ってそう言った。

 その後体を拭いたり、着替えたりして就寝準備を整え、アルスティア皇国への帰還に備え眠りについた。

 沈んでいく意識の中で、緋色はこの世界で生きて行く覚悟を胸に秘めて。

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