迷宮 Ⅵ
────は?
とエスティアから出た言葉が理解出来なかった。
呆然。緋色の心境を表すのに、この二文字こそ相応しいものは無い。
あまりに衝撃が大きかったのか、警戒心は忘却の彼方へと消えていた。
「あら理解出来なかったのかしら。貴方には私の弟になってもらうと、そう言っているのよ?」
「い、いや、待て待て。よく分からないぞ、何故そうなる? そもそも何の目的と利があって……」
「目的と利ならあるわ。いいえ、これは目的と利益が大半の話でしてよ」
緋色を養子に迎える事で、エスティアは目的と利益の両方が得られると言う。
むしろその両方の為に必要な事だと。
この話は冗談ではない、とエスティアが出す鋭利な雰囲気が語っていた。
『なるほどな……』
エスティアの狙いがわかったのか、静観を決めていたラグナロクから声が上がる。
この場で唯一理解していないのは、緋色一人となった。
言いようない居心地悪さを感じる。
「どういう事だ、ラグナロク?」
『なに、分からないのなら彼女の口から語られるだろう。私から言えることは一つ、この話受けざるを得ないぞ
流石に緋色もイラついてきたのか、エスティアに対して早く説明しろと言った面持ちになる。
そんな緋色に対し、何が面白いのかくすくすと笑うように口を開いた。
「まあまあ落ち着きなさいな。説明ならしてあげるから」
重苦しい重圧を和らげるように、エスティアは声音を軽くした。
エスティアは天幕内にある唯一豪華な、自信が座る椅子から立ち上がり、近くにあったティーポットを手に取って二つ分のコップに紅茶を注いだ。
緋色の近くに椅子を用意し、紅茶の入ったコップを緋色の前に置く。
「座りなさい。紅茶が苦手なのなら、飲まなくてもいいわ」
話が長くなるのだろう。
指示された通り木製の椅子に腰を下ろす。
ひんやりとした質感と、木製特有の固さを感じた。
「そも貴方は、今身に付けているその“
聞かれて言葉が出なかった。
迷宮に居た時ラグナロクからその存在を聞かされたが、詳細までは何一つ分かっていない。
迷宮を脱出する為に使った事から、人の手には余る兵器だという事だけは身に染みているが……逆を言えば、それだけだ。
「そう。やはり分からないのね」
「……悪い」
「いいわ。今からそれを説明するのですもの」
緋色に知識が無いことは、ある程度予想していたのだろう。
顔を変えず話を続けた。
「千年近くも昔の話よ。この世界にまだ神と人とが共存していたとされた時代。世には魔法が溢れ、神秘が充満していたその時代において、一人の天才が居たわ。名をアルシェーラ・エフェメラ。“神器霊装”を作った人物よ」
天才魔術師アルシェーラ。
ラグナロクを作った生みの親であり、その時代において災厄と呼ばれた少女。あるいは少年。
千年も時が経った今では、その存在の詳細を知る者はおらず。
彼女あるいは彼に関する遺物や情報の少なさから、当時の人々が作り出した架空の人物では無いかとまで言われている。
「実際。神器霊装なんて代物を人が創れるとは思えない事から、アルシェーラの存在を否定する者は少なく無いわ」
『居るよ。彼女は確かに存在していた』
エスティアから出た言葉に、半ば反射的にラグナロクが答えた。
それが意外だったのか多少驚いて、一言「そう……」とだけ呟いた。
「彼女の存在の是非については興味があるのだけれど、一番の問題はそこじゃないわ。……問題は、神器霊装のその凶悪なまでの力」
緋色もエスティアが言いたい事は分かった。
事実として、幾層にも重なった巨大迷路を破壊したのだ。
力を振るった本人の緋色でさえ、あれは危険すぎると心底感じていた。
「何を目的に作ったかは定かではないのだけれど、彼女の生み出した『十二の
人の生み出した兵器が、一つの時代の終焉を告げた。
話のスケールのでかさに、現実味が無さすぎてまるで御伽噺を聞いているように感じる。
確かにラグナロクの力は脅威だが、一つの歴史を終わらせられるとは緋色は思えなかった。
その時代に神という存在が居たのなら尚のこと。
「本当かどうかは分からないわ。知りたいのなら貴方のパートナーに聞きなさいな」
緋色の釈然としない顔を見たからだろう、エスティアは苦笑いをするようにそう言った。
エスティアは手に持った紅茶を一口飲み、話を続ける。
「一つの時代が幕を閉じて幾百年……。
「……?」
「時が進むにつれて、いくつかの神器霊装が発掘された。貴方のを除いて、今は合計で八つが見つかっているわ。そしてそれを見つけ手に入れた者達は神器霊装を使って富を栄誉を力を、様々なものを手に入れた」
ラグナロクの様な神器霊装があれば、何か成し遂げるのは容易い事だろう。
こと武力に置いては無類の強さを誇り、やろうと思えば一人で一国の戦争に勝つことすら出来る。
「帝国と皇国を除いて、今は各国々がそれぞれ一つずつ神器霊装を保有しているの」
なるほど、と話の結末が大体見えてきた緋色は紅茶に口をつけた。
「……それで私達アルスティア皇国の調査隊が調べた結果、この迷宮に神器霊装があるとされた」
「それがこの“ラグナロク”か……」
「そうよ」
エスティアの話をまとめると、時代を動かせる程の兵器を探していた、という事になる。
しかし残念ながら結果は緋色がそれを横取りした形となり、今こうしてエスティアの口から語られている。
話を聞いて多少の申し訳なさを感じるが、肝心の部分がまだ説明されていなかった。
「……で、それをどうやって解釈すれば俺が養子になる話に結びつくんだ?」
「今回の迷宮探索は、国を挙げてのもの。遠征費や諸々の出費が馬鹿にならないわ」
「……」
「大量の費用と人員を使い、三日三晩ここまで歩き続けてきた果てが、見知らずの他人に神器を奪われていました。じゃ済まされないわ」
元々このダンタリオン迷宮は、
それをアルスティア皇国は今回の迷宮攻略に置いて武器や備品、その他の必要と思ったものに金の糸目をつけずに購入し、時間をかけ魔獣を駆逐してきた。
その間実に二年間。
だがその努力も緋色のせいで無になったのだ。
それを国が知ればどうなるかは、話の流れで大方の想像がつく。
「横取りされた。それじゃ体裁が悪いから、養子になれと?」
「そうよ」
「保身の為か?」
思わず言葉が漏れた。
エスティアの保身の為に、自身が利用されている様に感じたからだ。
一変して、エスティアの圧が重くなった。
緋色の言葉に気を悪くしたのだろう。
凍てついた空気が、質量を伴ったようにのしかかる。
普通に生きていたのであれば出せないであろう、相手を縛り付ける覇気。
嫌な汗が、ツーっと流れた。
鋭利なナイフのような視線が緋色を突き刺す。
「それは、断じてなくてよ」
「……そ、そうか」
気圧されて言葉がしどろもどろになる。
次にはエスティアの雰囲気は先程のものに戻っていた。
分かっていた事だ。
エスティアとは知り合って短いがそのあり方は誇り高いものだと、彼女の言動と瞳を介して窺い知る事は出来た。
そんなエスティアがたかだか保身というくだらない事に、緋色を養子にするわけがない。
それを分かっていながら、思わず声が漏れてしまったのだ。
「貴方を養子に迎える事で、神器霊装を手に入れたのは見知らずの他人では無く。あくまでアルスティア皇国の家臣だと他国に主張する事、それが目的の一つ」
「なんでそんな事を? まるで牽制するみたいに……」
「──牽制よ」
緋色の言葉は、間も無く力強い語気で肯定された。
「他神器を有する国家と、近隣諸国に対する牽制。特に隣国のクローヴィス帝国と私達の国とは敵対関係、いつ戦争が始まっても可笑しくない状況なの。私達が古代の兵器を手に入れた、と牽制すること自体に意味があるわ」
クローヴィス帝国。
アルスティア皇国と並びラースタリア大陸で有名な大国家だ。
アルスティアと敵対し度々問題を起こす国であるが、その規模や軍事力はアルスティアと変わらい。
数十年前までは何度か侵略行為を働き、アルスティアと戦争をしていたが、五年前に不可侵条約が結ばれ今は停戦状態にあった。
しかし、お互いがお互いを敵視している事には変わらない。
条約があると言えど、いつ破られるとも知らないのだ。
そこで神器霊装を手に入れそれをアピールする事で、攻めるのは悪手だと思わせる事が目的であった。
例えば、中の悪い相手と会話する時、その相手が武器になるような物を持っていたらどうだろうか。
いきなりそれで殴り掛かることは無いと分かっていても、警戒せずにはいられない。
人とはどうしても、最悪を想定してしまう生き物だ。
要は戦争への抑止力を生み出し、条約を無理矢理守らせるのだ。
「それに、この話は貴方の為にもなる事よ」
「どういう……あっ」
質問しようとして、エスティアの言わんとする事を理解した。
何度もいうように、神器霊装は兵器だ。
それも一夜で国を壊滅させる事が出来る程の代物。
もしそれを何の知識も無い個人が保有していたら、どうだろうか。
例えるなら、無知な子供が核爆弾の起動スイッチを持っているようなもの。
そんな脅威を国が放っておくわけが無い。
全力で保護をしに来るならまだいい、しかし最悪の場合は殺されて奪われる可能性だってあるのだ。
だがもし後ろ盾があればそれも無くなる。
聞けばエスティアは貴族だという。
緋色がその貴族たるオーレリア家の人間だと知れば、良くなる事はなくても最悪の可能性だけは潰れる筈だ。
ここでようやく、ラグナロクの『受けざるを得ない』と言う言葉の意味を察した。
緋色がこの先生きて行くには、どうあれエスティアの援助無くしては成り立たない。
「……話はわかった。けれど、あんた貴族なんだろ? 使用人なんかにバレやしないか?」
血縁関係をでっち上げるにしても、当然の事だがどこかでそれがバレる可能性がない訳では無い。
むしろ、オーレリア家で昔から働き続けている侍女や執事達には確実にバレるだろう。
しかしエスティアから返ってきたのは、それは無いと言った確固たる言葉だった。
「安心なさいな、その可能性はなくってよ」
「なんでだ?」
「それは後々語ってあげるわ。今は養子の話を受け入れるかどうか、それを聞きたいの」
多少の不安は残るものの、彼女本人が問題ないと言ったのだ。
ならば緋色が案ずることなどない。
諦めたように、エスティアの提案に緋色は少し力無く頷いた。
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