迷宮 Ⅴ

 ……星を見た。

 ……理に縛られぬ星を見た。

 それは暗闇の中で、赤黒く輝いている。

 己の存在を主張するかのように、刹那の輝きを幾万、幾億と繰り返す。


 ──あ……た……どお……う?


 酷いノイズと共に声が聞こえた。

 星から発せられた声だろうか。

 聞こえた言葉を理解する事はできないが、その声音に退屈と一抹の哀愁を感じ取ることは出来た。


 ──せか……て……こわ……まえ。


 星が強く発光した。

 声に共鳴するように、全てを飲み込もうと脈動を始める。

 退屈と不安、怒りと憎しみ、達観と観念……様々な感情が濁流のように流れんでくる。

 これは一体誰の感情モノなのだろうか。

 ……分からない。

 何もかもが分からないが、ただ言える事がある。

 この感情を抱いていた人物はきっと、世界が灰色に見えていたのだろう。


 *


「……あ?」


 ちゅんちゅんちゅん、と小鳥の囀りが聞こえる。

 心地よい音色がすっと身に入っていき、気分は爽快な朝……とは、いかなかった。

 囀りとは真逆の、ガシャガシャと重苦しい金属音が響いて来た。

 見れば、体に包帯を巻かれベッドの上で腕を縛られている。

 どんな状況だ、と緋色は頭上に疑問符を浮かべた。


『漸くお目覚めか、相棒バディ


 下の方からラグナロクの声が聞こえ、反射的にそちらを振り向いた。

 しかし下にあるのは真っ白いベッドだけで、迷宮で見た黒い鎧は無い。

 どこからだ、と視線を少し動かすと自身の中指に黒い指輪が嵌められていた。

 付けた覚えがない指輪に、首を傾げているとそこから再びラグナロクの声が発せられる。


『はは、どうやら指輪これに疑問があるらしいな』

「ああ」

『私達“神器霊装”は、普段邪魔にならないよう携帯に適した形に変わる事が出来るのさ。相棒の睡眠を阻害しないため、今回は指環リングになっている』

「なるほど便利だな」


 だろ、と同調して緋色の疑問に答えた。

 指輪に関しては理解出来たが、問題がまだ残っていた。

 むしろその問題が一番知りたいものだが……。

 どうしようかと考えた所で、テント内の入口から人が入ってきた。

 当然、緋色の目はそちらを向く。


「あら、目覚めたのね。二日も寝ていたから、もしかしたら永遠に眠り続けたままなのではないかと、そう思っていた頃でしてよ」


 腕を組みながら上品な言葉遣いと共に現れたのは、月光を閉じ込めたように美しい銀髪と、宝石の如き翡翠色の瞳をした軍服の女性だった。

 幾許か目を奪われるが、彼女の出す空気が友好的なものでは無いのを感じ取り身構えた。


「見知らぬ人物に対して即座に身構えるのは、あまり良い態度とは言えなくってよ?」

「……目覚めたら知らないベッドの上で、枷を付けられた状態。更に軍服の女が現れたんだ。警戒するなって方が無理だろ?」

「フフ、確かにそうね」


 女性は一理あると腕を口元に添えながら笑う。

 挙動の一つ一つが上品で、見た目もあってか見惚れてしまう。

 湧いてくる余計な邪念を振り払い、相手の出方を緋色は伺った。


「私はエスティア・オーレリア……って言っても貴方は存じないでしょうね。取り敢えず軍人でしてよ」


 それは見た目からしてそれはなんとなくわかる、と緋色は思うと同時に考えを巡らせた。

 目の前の女性、エスティアは自分の名を緋色は存じないと言った。

 彼女の発言を深く捉え、逆を考えればそれは緋色以外ならば、名乗れば誰なのかどんな奴なのか分かるほどに有名だとも取れる。

 今後そんな彼女の名前を知らずにいれば、どこかで浮いた存在になるかもしれない。

 ならば、彼女の名前を覚えておくに越したことはないだろう。


「それで、貴方は?」

『む、そう言えば私も相棒の名を聞いていなかったな』


 横から、ではなく下からエスティアの言葉に割って入る。

 そう言えば相棒バディなんて呼ばれている割には、ゴタゴタしすぎていて自己紹介をしていなかったことを思い出す。


「俺はあき……ヒイロ緋色アキツキ秋月


 一度普通に名乗ろうとして、言い直した。

 ここは明らかに日本ではないし、名乗りはこちら側に合わせた方が無難だと思ったのだ。

 ……あっているとも限らないが、それでも可笑しくはなっていないだろう。


「そう。ではヒイロ、貴方は何者かしら? ここら辺の人間ではないないわね?」

「さあ、どうかな。そうは言いきれないんじゃねぇか?」

「少なくとも、私にはこの大陸の人間には見えなくってよ」


 射抜くような視線が向けられる。

 見透かされているような、嘘をいえば何をされるか分からないと容易に感じ取れた。

 思い沈黙が数秒続いた後観念するように、緋色は口から息を吐き出す。


「……そうだよ。俺はこの大陸の、というかこの大陸とやらを知らない」

「あら、それはおかしな話ね。ラースタリア大陸は幼児でも知っている事なのよ」

「そんな大陸知らん。気付いたら迷宮あそこに居た」

「転移をしてきたと……?」

「……それも分からない」


 自分でも分からない、と言い続ける緋色にエスティアは短く、「そう」と呟き緋色の事を多少聞いて、テントを出ていった。

 その際何も問題を起こさない事を条件に、緋色は嵌められた手錠を外してもらい運ばれた食事を口にした。


「あ、ラグナロク。俺のリュックはどうした?」


 そう言えば、と持参してきた荷物の存在思い出す。


『荷物か、それならほら』


 スゥと体から何か抜けて行く感覚を感じた。

 その僅か後に蒼白い粒子の様な者が発生し、浮遊する粒子は一つの塊を構築し、驚くことにリュックへと姿を変えた。

 緋色が驚いていると、補足するようにラグナロクからの説明が入った。


『相棒の魔力を使って、荷物を格納していたのさ』

「魔力ね……。へぇ、なるほど。本当に便利だな」


 不思議で便利な機能にも驚きだが、そもそも自身に魔力があった事自体に緋色は驚いていた。


「でも、魔力でどうやって収納してんだ?」

『原理は難しいが、簡単に説明するなら。魔力を燃料に私の力を使って物を分解して、それをこことは少し違うズレた次元に仕舞っている』

「な、なるほど?」


 簡単に、とは言っているがそれでも緋色には難しく、ラグナロクには悪いがなんとなく凄い事程度にしか理解出来なかった。

 その後はもう一度リュックを次元へと収納し、日が暮れるまでラグナロクに付けられた機能を確かめていた。


 *


 同日の夜。

 黒の空には地を蒼く照らす月と、瞬く星々が天を彩っていた。

 緋色はテントを出て、野営地を歩いている。

 足取りは決して軽いものではなく、どこか迷子になった子供のようにも見えた。


「ラグナロク、飛べるか……?」


 テント群を抜けて、人っ子一人いない森に少し入ったところで緋色は言った。


『あぁ飛べるが、どうしたんだ?』

「すこし、この世界を見てみたい」


 星を見つめながら、消え入りそうな声を吐き出す。


『いいが、あまり無茶はするなよ。傷は治っていないんだからな』

「分かってる」


 それ以上の言葉は出さず、ラグナロクは鎧を展開させた。

 緋色を包む淡い光が実態を帯びる、緋色が瞬くと次には質量を感じさせる鎧を纏っていた。

 これの使い方が体に流れてくる。

 慣れた感覚で、鎧に付いている翼を靡かせ空へ舞い上がった。

 赤紫色の粒子を振り撒き、数分もしないうちに視界に捉えた崖の上に降り立つ。


「……ぁぁ」


 緋の色をした二つの双眸が移した景色。

 広がる平原と連なる山。首を動かしてみれば、遠くに見たことの無い鋭角な地形。

 これだけで既に、地球の景色でないとわかる。

 しかし何よりも緋色の目を引き付けたのは、彼方に根を下ろし天を支える柱の如き、巨大な樹であった。


「本当に異世界に来ちまったんだな……」


 その声音に含まれた感情は、故郷過去への哀愁か。

 それともまだ見ぬ異世界未来への恐怖か。

 どちらにしろそこに期待や未知への好奇心と言った、前向きな感情は存在しなかった。


 *


 その胸に果てにある景色を焼き付け野営地に戻ると、若き青年兵からエスティアの元に来るよう支持を受けた。

 呼ばれる理由が思い浮かばなかったが、エスティアが名指しをした以上何らかのワケがあるのだろう。

 特に考えることも無く、黙って指示された大きな天幕に向かった。


「あら、遅かったわね」


 中に入っての一声がそれだった。

 どうやらエスティアは、前から緋色を呼び付けていたようだ。

 緋色に声をかけた兵士が汗まみれだったのは、緋色を探して走り回っていたからだろう。

 緋色は先程まで空中散歩や景色観賞に耽っていたので、兵が濡れる程汗まみれになっても見つからないのは仕方の無いことだった。


「悪い。待たせた」


 手間を掛けさせたことに軽く謝り、簡易机の前に立つ。

 エスティアはそれまで動かし続けていた手を止めて、緋色の方を向き直り腕を組んだ。


「昼がたにも思ったのだけれど、目上に対しての言葉遣いがなっていないのではなくて?」


 本題に入る前に、エスティアが思った事を口にする。

 エスティアは知らぬ者がいない程の名家の生まれ、貴族と言われる人種だ。

 軍人として身を置いているとは言え、礼節作法の類を忘れた事は無い。

 そんな彼女からすれば敬語を使わない緋色は、学のない少し粗野な人物に思えたのだろう。


「……悪い。敬語とかそう言うのは苦手なんだ……」

「そう。まぁいいわ。それはおいおい覚えていけばいいでしょう……」


 どこか引っかかる言い方に、少し眉を吊り上げる。

 言っておくが、緋色は軍人でもなければ貴族でもない。

 なんの変哲も無い中流家庭の生まれで、敬語はともかく礼儀作法など知らない。

 しかしエスティアはそれを求めている、もしくはこれから教授させるような口振りだった。

 不思議なもので、人とは嫌な予感程当たるものだ。


「……それで、俺を呼んだのは理由は? 今の会話と関係があったりするか?」

「察しがいいわね」


 ニヤッと、エスティアは口角を釣り上げた。


「まさか俺に軍人になれと言うつもりじゃないだろうな……」

くはなってもらうつもりよ」


 行く行く、つまりは今すぐの話ではない。

 だったら何が目的だ、話の見えなさに警戒心を上げる。

 エスティアは聡い女だ。

 緋色をぞんざいに扱う事はないだろうが、悪用はされる可能性はある。

 ましてや神器霊装アストラルという、一個人が扱うには過ぎた代物を所持しているのだ。


「そうね。長い前置きは好みでは無いの、だから単刀直入に言うわ」


 一拍置いて、エスティアの瞳に鋭さが増した。


「──貴方にはオーレリア家の養子になってもらうわ」


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