迷宮 IV
『やあ、おはよう
聞いたことのない言語……と言うよりは、呪文に近い声。
それにどう答え、どうすれば正解なのか、と言うかそもそも正解などあるのか。
緋色は思考を巡らせるが答えなど出るはずも無く、ただその場に立ち尽くす。
『……ふむ。どうやら彼には言葉が通じてないらしい』
変な音が数秒聞こえた後、緋色は体をまさぐられるくすぐったい感覚を感じた。
『あーあー。どうだい
「な、日本語!?」
よく分からない不思議言語から、一転して今度は透き通るような声の日本語に変わる。
いきなり分かる言葉が出てきたのと、鎧が話しかけてきたことの両方に、声を大きくして驚いてしまう。
鎧に性別があるとは思えないが、あったとしたら男である事には間違いないだろうという声音だ。
驚いて固まる緋色の状況を察してかおもむろに鎧は語り出した。
『相棒にはこの国の言葉が通じなかったのでな。少し体に失礼して、こちらの言語を理解出来るようにさせてもらった』
言葉通りに受け取るなら、体を弄られたということになるが、緋色はそんな事より鎧が喋っている事が気になっていた。
『まあ要するに、相棒の脳に自動翻訳機能を付与させてもらったのさ』
少し自慢げな口調で語られるが、緋色は何処から突っ込んでいいの分からない。
「……お前何なんだ? 喋る鎧なんて愉快な物、聞いたことないぞ?」
漸く落ち着いて、最初に口から出たのは疑問だった。
緋色の言葉を聞いて、鎧はおや? と何処か意外そうな声を上げた。
『相棒はここがダンタリオン迷宮だと知って来たわけではないのか?』
「ダン……なにそれ?」
『ダンタリオン迷宮。世界有数の巨大迷路であり、天才魔術師アルシェーラの作った一番目の“
ダンタリオン迷宮、天才魔術師アルシェーラ、
聞き慣れない単語がいくつか出てきた。
どれも聞いたどころか、耳を掠った事すらない。
強いて上げるなら、ゲームでダンタリオンと言うモンスターが出てきた事がある程度だが、ゲームのそれとは違うものだろう。
緋色の脳内には、嫌な予感と仮説が浮上し始める。
『と言っても、私の記憶は八百年近く前のことだ。世界の情勢が変わってしまっているなら、相棒がここの事を知らないのも無理はない事かもしれないな』
世界の情勢とは、自身の仮説を確信付けるには、それを聞き出す必要があった。
逸る気持ちを抑えながら、思考を整理するため静かに口を開いた。
「……あー。えっと……鎧、でいいのか?」
『ん、あぁすまない。自己紹介がまだだったね。私はラグナロク。先程話した
「じゃあラグナロク。一つ質問? 」
『なんだい相棒。答えられる範囲でなら答えよう』
問い掛ける前に、すぅっと軽く息を吸った。
「この……!」
星の名は、そう聞こうとしたが、緋色の声を遮ってドガァァンッ! 巨大な音とともに地が揺れた。
一度だけではない、轟音はなり続ける。
まるで岩を壁に何度も叩きつけているみたいに、一定のリズムで揺れ動く。
こんな事が出来るのはあの化け物しかいない。
浮かび上がった化け物の肖像に、総毛立った。
『この揺れ……。化け物ダンタリオンの奴は、どうやら君の事を嗅ぎつけたらしいぞ。あいつの嗅覚は馬鹿にならないな』
鎧の、もといラグナロクの呑気な声が嫌にはっきり聞こえる。
揺れから考えて、緋色の通ってきた小さな穴を無理矢理こじ開けようとしているのかもしれない。
「質問変更だ! ラグナロク、この迷宮から脱出する事は出来るか?」
この世界の事を知るよりも先に、生き延びることを優先とした方向に思考をシフトチェンジさせる。
『ああ、可能だ』
「そうか、ならその道を教えてくれ!」
『いや、それ出来ない』
「はあ! なんで!?」
緋色の声に焦りが混ざった。
『勘違いをしないでくれよ、私は君を脱出させる気がない訳では無い。やろうと思えば、迷宮そのものを私の力でぶち抜いて最速で出ることが出来る。だが……』
「だが……なんだ?」
『この迷宮をぶち抜くにしろ、出るにしろ君が来た道をもう一度通らなければいけない』
それはつまり、この祭壇がある部屋の通路へ、化け物が居る入口へ戻らないといけないという事になる。
あの化け物から逃げたいと言うのに、わざわざそいつの元まで行かなければいけないとは、本末転倒すぎる。
戻ればたちどころに、脆いガラス細工の如く、粉々にされるのは目に見えていた。
「いや、それだけは駄目だ! 今この部屋をぶち抜くけねぇのか?」
『無理だ。この部屋とこの部屋に通ずる通路には、特殊な術式が掛けられている。内側からの物理攻撃や魔術などの内的要因では傷一つ付けられないような、そんな厄介な代物さ』
打つ手無し、その言葉がぐるぐると頭の中で回り出す。
傷と疲労で体力も限界だ、酷いぐらい足が笑っている。
例えるなら、生まれたての子鹿みたいに。
「くそっ。ここで終わりなのか?」
ギギギとやるせない思いから、壊れてしまうのではないかという程、奥歯を噛み締めた。
死ねない、そんな今の緋色を突き動かす気持ちが、覚悟と言う確固たる意志に集約されていく。
『……おいおい
リュックを背負い直してから足を踏み出すと、後ろのラグナロクが緋色を呼び止めた。
「あ……? そうしなきゃならないってお前が言ったんだろ」
『確かに通路を出る必要があるとは言ったが、何も生身で行けとは言ってないぞ?』
「……何か方法でもあるのか?」
含みのある言い方に緋色は聞き返した。
訝しげそうに眉間にシワを寄せた緋色の疑問に、あぁ、と短く答える。
今度は一際大きく、鳴動した。
隙間を広げることは出来ずとも、地震の余波であの隙間が崩れ落ちた岩で塞がれるかもしれない、そうなっても駄目だ。
……時間が無い。
『手短に話すぞ。──私と契約を結べ』
「契約……?」
『そうだ。相棒の所有者登録は完了した。後は契約さえすれば相棒は私を使える。私を使えば、
ドゴォォン──ッ!!
緋色に迷っている暇などなかった。
「契約はどうすればいい!?」
『まずは私の胸部に触れるんだ。そうすれば契約の詠唱文が頭に流れてくるはずだ! 後はそれを読めばいい!』
急いでラグナロクに近寄って、言われた通り掌で胸当に触れた。
すると何かが入ってくる気色の悪い感覚と一緒に、文字が、言葉が、術式が溢れ出てくる。
凡そ人には理解の及ばない──神秘の啓示。
緋色が己おのが意思で言葉にするよりも、口が勝手に動いた。
──目覚めよ、理を隔絶せし星よ。求めよ、因果の星よ。解き放て、始まりの星よ。我は
黒い光が緋色を包み込む。
眩い光は目を開けられぬほど強くなり、苛烈さを増していく。
あまりにも激成した黒の極光は、迷宮全てを飲み込んだ。
*
時は少し戻り、緋色がダンタリオンの巣で目覚めた頃。
迷宮の外では、迷宮への入口付近に無数の人間が野営をしていた。
ただの人間ではない。
ダンタリオン迷宮から東へ八十kmに位置する、アルスティア皇国の軍人達だ。
「元帥様、偵察対が先程帰還なさりました!」
立ち並ぶテントの中でも一番目立つ大きなテントで若い青年兵が敬礼をしたあと、声を張り上げ椅子に座る人物に報告をする。
「そう、分かったわ。すぐに偵察隊の隊長をここに呼びなさい。彼の口から結果を聞くわ」
「はっ!」
青を基調とした軍服に身を包み、青年兵に目もくれず書類を見ている銀髪の女性。
名をエスティア・オーレリア。
アルスティア皇国が誇る四大元帥の一人であり、此度のダンタリオン迷宮攻略の遠征を指揮する人物だ。
青年兵がテントを出て数分後、一人の偉丈夫が入ってきた。
エスティアは動かしていた手を止めて、彼の方に視線を置く。
「待っていましたわ。無事で戻って来てくれて良かった、とでも言うべきかしら?」
「いえ、自分の任はただの偵察。無事を前提としたものであり、そのような言葉を頂くほどでは……」
「まったく、貴方はいつも堅いわねルドルフ」
「……」
ふふっと笑うエスティアに対し、少し困った顔をする男。
男はルドルフ・ランドルフ。
エスティア直属の部下であり、偵察隊を率いていた隊長だ。
「まぁいいわ。……それで、あなたの見た迷宮の様子を教えなさいな」
「はっ。迷宮入口から四階層までは、特に異常はなく迷宮魔獣ダンジョンモンスターもさほど強くはありませんでした。五階層から六層は、迷宮魔獣が圧倒的に少なくなり。今回降りられなかった七層より下は魔獣が居ないと予想しています」
「魔獣が居ない……というのは、やはりあれの?」
「はい。この迷宮の名の由来となった怪物、ダンタリオンの縄張りである事が他の魔獣を寄せ付けていない理由かと」
「そう。ありがとう、もう下がっていいわ」
そう言って机にあった書類に目を通そうと、再び手を動かすと、
「エスティア様、一つ気になる事が……」
と言い。
ルドルフは先程の真剣な顔つきとは変わって、迷っているような喉に魚の骨が引っかかってしまったかのような、釈然としない面持ちである報告をした。
「何かしら?」
「迷宮の偵察を行った際、最下層付近に魔力の揺らぎのようなものを感じた。と私の部下が仰っていました」
「……なんですって?」
僅かに目を見開き、疑念の声音を漏らす。
「それは、可笑しいわね……」
エスティアは考え込むように、腕を組む。
その顔からは動揺と剣呑。
彼女が面食らったのも無理は無い。
何故なら、この世界の何処にでもある筈の魔力。
それがダンタリオン迷宮には無いにも関わらず、魔力が揺らいだのだ。
それは水の無い海のようなもの、水なくしてどうして海が揺らぐというのか。
そんな矛盾に等しい事だった。
エスティアはすぐさま起きた現象が引き起こすかもしれない
──異変が起きたのは、そんな時だった。
「……っ」
「……む!?」
迷宮が胎動した……。
呼応する様に、世界が揺れる。
突然の事に困惑したエスティアとルドルフだが、それも数秒の事。
すぐさま状況を確認する為に、急いでテントを出ると、そこには異様な光景があった。
見上げていたのだ、全ての兵が。
魅せられた様に、ただある一点を黙って見つめている。
「なに……を……」
そこから先の言葉が出なかった。
エスティアも見てしまったのだ。
迷宮から夜天を突く、幻想的な黒の極光の御柱。
夜の空よりも尚暗い美しい黒。
だが、なぜだか眩く惹き込まれる様な印象受けた。
エスティアを含めたアルスティア軍人全員が、不気味な静寂の中黒き極光の御柱が消えるまで、縫い付けられたようにその場を動けなかった。
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