迷宮 Ⅱ

 歩き回って数時間近くが経とうとしていた。

 歩けど歩けど、出口らしきものは見つからない。

 探索、と言うよりはもはや彷徨っていると言った方が正しい様相を呈している。

 しかし何も収穫がなかった訳では無い。

 宛もなくただ直感で足を進め、一つ分かったことがあるのだ。


(これは洞窟というより、迷宮ダンジョンだな)


 途中で道がいくつかに分かれて、内部の構造が複雑になっている。

 これまでにいくつかの分かれ道を見つけては、緋色は己の第六感を信じて先を進み、何時間も歩き続けたのだ。

 結果は見ての通り、出るどころか更に迷子になっているが……。

 それでも何も分からなかったよりはマシだろう。


「やべぇな、出れる気がしねぇぞ」


 滲み出てくる焦燥に嫌な汗を垂らし、それでも足を止めることはなく歩く。

 こうして更に二時間が経った頃、ドーム状に開けた場所に出た。

 天井までの高さが二十メートル程でそれなりに広く、目の前にはさらに奥に通ずる道。

 右手側には湧き水で出来た泉がある。


 透き通った綺麗な青色の泉。

 光量が少ないこの洞窟改め迷宮の中では、泉が美しい青色に見える事などありえない。

 水そのものが青色なのか、何処からか光を吸収、屈折させそう見せているのか、今の緋色に調べる手段はなかった。


「……! 真水か、ありがたいな……」


 指をつけ泉の水をひと舐め、特に問題が無いことを確認し、この水が飲める水だと分かると緋色は嬉しそうに笑った。

 ここに来るまでに、手持ちの炭酸飲料飲み物が底をついてしまった為、水分を取れることに喜んでいるのだ。


「ング──」


 ゴクゴクゴクと口を直接つけて、水をがぶ飲みする。

 行儀は悪いが誰かに見られている訳では無いので、緋色は気にせずに飲み続ける。

 カラカラに乾いていた喉に、水分が行き渡り潤いが満たす。

 充分な量を飲み終えると、懐中電灯を横に起き今度は空のペットボトルを取り出し、その中に水を貯めていく。

 いい水場を発見した、とほくほく顔でいた時だった。


 ──ドゴンッ!


 地鳴りのような音が鳴り響いた。


「な、なんだ……!?」


 音だけではない、この迷宮も僅かにだが揺れている。

 自然的に揺れる地震とはまた違った、生き物のように意思のある不自然で不気味な揺れ。

 それは次第に大きくなっていき、比例して音も巨大になっていく。

 ペットボトルをリュックに仕舞い、辺りを見回す。


「……収まったのか?」


 途端に振動と音が止んだ。

 耳を塞いでいた手を外し、ポツリと呟く。

 ──次の瞬間だたった。


「ッ!」


 凍りつくような不気味な感覚が背筋を襲った。

 心臓をぎゅっと握られた感覚に陥り苦しくなる。

 細かに刻まれていくメトロノームのように呼吸が早く、浅く、荒くなっていく。

 暑くもないのに汗が滝のように流れ出て止まない。

 背後に鎮座する嫌な気配。


 錆び付いたブリキ人形を連想させる動きで、顔を震わせながら、自身が来た方の道をゆっくりと見た。


「な、なんだよ……あれ……」


 そこにあったのは『眼』だった。

 暗い闇の向こう側で蠢く無数の眼。

 一つ一つがギョロギョロと違う動きをし、そのうちのいくつかが緋色をじっと見つめていた。

 眼に凝視されている緋色は、力なくその場に崩れ落ち、尻餅をついてしまう。

 滑稽に空いた口から必死に酸素を取り入れようとするが、上手くできず潤った口内が一瞬で乾いていく。


 無数の眼が近付いてきた。

 ドゴンドゴンと地を揺らし、音を立てながら近付いてくる。

 先程の地震と地鳴りはこの化け物が立てていたのだと、緋色は今になって理解した。

 急いで逃げなければ、そう思うがまるで石にでもなったかのように体が動かない。

 置いていた懐中電灯に照らされて、眼の化け物はその姿を現した。


「おぇっ……」


 自身の瞳が映した化け物のあまりにも気持ち悪い姿に、緋色は吐き気を模様し、両手で口を抑える。

 トカゲのような巨躯に、八本の足、車を丸呑みに出来るほどの大口、そして無数の眼と──背中から生えた大量の人間。

 それが醜悪すぎる化け物の姿だった。


 ──ギョロッ。


 忙しなく動き続けていた眼球郡が、一斉に緋色にその焦点を合わせた。


「ギ、ギギャァァァァァァ!!」


 化け物が人間の悲鳴の様な、不快な鳴き声を上げるのと同時だった。

 緋色は懐中電灯を広い立ち上がり、奥にあった通路に駆け抜ける。

 幸いな事に、吐き気を催した時に硬直が解け、身体は動くようになっていた。

 身体が動くのならば、後は追い付かれぬよう全力で走るのみ。

 ……迷宮が揺れ動く。

 化け物も緋色を追う為に動き出した合図だ。


(何だ、何だ何だ、何なんだアレ……!?)


 脳裏を駆け巡るのは醜悪な化け物の姿。

 アレはこの世のものでは無い、この世に存在してはいけないものだ。

 姿を認識した途端に、本能が警鐘を鳴らすほどのおぞましい生物。

 いや、アレを生物と称していいかどうかすら怪しい。


 ぐちゃぐちゃになる思考。

 考えれば考える程に恐怖で足が竦みそうになる。

 このままでは追い付かれてしまうと思った緋色は、余計を思考を払拭する為、頭を振る。


 何も考えず、ひたすらに走る。

 今も尚、化け物が起こす揺れは大きく……否、大き過ぎた。

 歩く事すら困難になる程の地震に、緋色は反射的に背後に振り向いてしまう。

 反射的とは言え、それは最悪の行動だった。


「……ぁ」


 掠れた声が、緋色の絶望の大きさを表す。

 緋色の半身程ある巨大な目玉がそこにあった。


「う、うぁ────」


 刹那、緋色が悲鳴を上げるよりも早く、耳を劈つんざく轟音が空気を震わせた。

 一拍遅れて、緋色の全身に稲妻の如き激痛が奔る。


 ──痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイッ!


 ドサッと土埃を舞い上がらせその場に倒れる。

 迷宮内に響き渡った轟音は、化け物の一撃によって壁に叩きつけられた緋色から発生したものだった。

 視界が歪み、呼吸が難しく、指一つすら動かす事がままならない。


「ゴボッ」


 開いた口から溢れ出たのは声ではなく、深紅の塊だった。

 口の中に鉄の味が広がっていく。

 未だに残る激痛に苦しめられながら、あぁこれは死んだな、と緋色は達観した。

 さっき感じていた恐怖という感情は、背後に近寄った死というものにより生の放棄。

 すなわち諦めへと転換してしまったのだ。


 既に緋色の耳には音すら届かなくなっている。

 それでもゆっくりと、緩慢な足取りで近付いてくる振動は感じ取れた。

 視界を塞ぐ大きな影を最後に映し、緋色の意識は途切れた。

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