長い夜ー3

突然の乱闘が始まってから約1分――


ほとんどの人間が瀧聲に倒された。

集団がボロボロになっているのに対し、瀧聲は汚れどころか息の乱れもない。


「これで満足した?もう帰ってもいいかな?」


そう聞きながらも集団に背を向け、ユウタのもとへ歩き出す瀧聲。

最初から答えを聞く気などないらしい。


「待てよまだ終わってねぇよ……」


よろよろと一人の男が立ち上がり瀧聲に向かって何かわめくが、当の瀧聲は完全無視。


ユウタはその様子をおどおどと見ていたが、男の足元にあるものを見つけて「あっ」と叫んだ。


「兄ちゃんにもらったぬいぐるみ……!」


今の状況をすっかり忘れてぬいぐるみに駆け寄ろうとするユウタ。

しかしその様子に気づいた男は不気味な笑みを浮かべると、ぬいぐるみを靴で思い切り踏んづけた。



「坊主、お金持ちなのにこんな粗末なぬいぐるみが好きなんだねぇ。しかも男なのにぬいぐるみ好きってどうよ、え?」


毒々しく笑いながら、ぐりぐりとぬいぐるみを踏んづける男。

みるみるうちにぬいぐるみが黒く汚くなっていく。


「粗末って言うな!それは初めて友達にもらった大切なぬいぐるみなんだ!やめてよ!!」


怒りで恐怖を忘れたユウタが悲痛な叫び声をあげ、男に向かって殴りかかろうとする。



しかしその瞬間――


パキンッという音とともに、一本の鋭い氷の柱がコンクリートを貫いた。


「うわっ!?」


驚いてしりもちをつく男。

その横でさらにもう一本の氷の柱が地面を貫き、かすった男の腕からつーっと血が流れる。

ユウタも状況が飲み込めず、ただ突然現れた氷の柱を見上げるばかりである。


「あー外しちゃった……」


そう言いながら、ポケットに手を突っ込み、ゆっくりと男に歩み寄る瀧聲。


表情は変わらないものの、周りの空気が恐ろしいまでに冷たく、彼が踏みしめた地面はピキパキと氷づいている。

先ほどとは明らかに様子の違う瀧聲に男がたじろぐ。



「き、急になんだよ……さっきまでガン無視だったくせに」


「僕にだってそれなりの感情はある。今の行為はちょっと、ね」



瀧聲はちらっと汚れたぬいぐるみに視線を向けたあと、再び男に向き直る。



「選択肢をあげる。ここから立ち去るか、それとも今すぐ凍死するか……」


呟くように言いながら歩みを進める瀧聲。

冷たい風に煽られた白いマフラーが、夜明かりをうけて怪しげに光る。

瀧聲の迫力に圧倒され、じりじりと後ずさっていた男にはそれが死神の鎌に見えた。



「僕の気が変わらないうちに選んでよ。さぁ、どっちがいい?」


氷よりも冷たい言葉と共に、鋭い瞳が男を見据える。


「う……」


瀧聲に見つめられて思わず視線をそらす男。


――今ここで立ち去らなかったら俺の命はない……。


完全に命を握られていることを悟った男は、他のメンバーを叩き起こすと、一目散に去っていった。


あとに残ったのは耳が痛いほどの静寂、そして瀧聲とユウタの二人だけ――




「い……いなくなった……?」


半ば放心状態で立ち尽くすユウタ。

緊張の糸が切れて、へなへなとその場に崩れ落ちる。



「よかった、助かった……」



――あの男の人達も怖かったけど、1番怖かったのは瀧聲兄ちゃんかもしれない……。


普段から無表情で、何を考えているのか分かりにくい瀧聲。

相変わらず無表情ではあったものの、彼があれほどまでに感情を表に出しているのを見るのは初めてだった。


――それだけ真剣に怒ってくれたってことなのかな……。


こみあげてくるものを感じたユウタは箱をギュッと強く抱きしめる。



――兄ちゃんは僕を助けてくれた。でもこれから僕がしようとしていたことは……。


肩が震え、涙がこぼれる。

そのポケットからカツンと音を立てて落ちたのは、小さなナイフだった。


ナイフの落ちる音ではっとしたユウタは慌ててしまうと立ち上がり、瀧聲を振り返る。

瀧聲はぬいぐるみを拾っているところだった。



「あー汚れてる……。これはコインランドリーで洗濯するようかなぁ」


パタパタと汚れをはたきながら、ユウタのほうへ戻ってくる瀧聲。

先ほどまでの怖い雰囲気はかけらもなく、普段の面倒そうな口調で呟いている。

ユウタは、お礼を言うよりも先に疑問を口にした。


「兄ちゃん、どうして助けてくれたの?」


「え?どうしてって人を助けるのは当たり前だよ?それに……」


ぬいぐるみをはたきながら、瀧聲は言葉を続ける。



「友達だから」


そう言ってぬいぐるみを差し出す瀧聲。

それをゆっくりと受け取ったユウタは、瀧聲の言葉を含むようにして繰り返す。


「友達……だから……」


急に膝から崩れ落ちると、ユウタは再び泣き出した。


――兄ちゃんはこんなに信じてくれたのに、僕は……独りが嫌だからって兄ちゃんを……。



ポケットの中のナイフにそっと触れると、それを取り出すことなく握り締める。

ナイフは冷たくひんやりしていた。




――やっぱり無理だよ。兄ちゃんにナイフを向けることなんて出来ない。一緒にいてほしいけど、でも僕と同じようになってほしくない……。




友達と呼び信じてくれた嬉しさと、己がこれから行おうとしていた行為への罪悪感――



こらえきれず、ただただむせび泣くユウタを瀧聲は不思議そうに見つめる。

何故ユウタがこんなに泣いているのか、瀧聲には知る由もなかった。

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