アルツ・サイミヤ

M.A.L.T.E.R

第1話

私、彩宮飛鳥は世界から必要とされなかった。


三歳の頃、

「ねえねえ、飛鳥。今日のご飯はなーんだ?」

「えっと、たまごのふりかけのおにぎりと~、ブロッコリーでしょ~。それと~たまねぎとにんじんのがーりっく? なぁにこれ」

「!!! す、すごいわね……」

夕飯の内容を完璧に言い当てた。


七歳の頃、

「おかわりじゃんけんじゃんけんポン!」

私は、相手がパーを出すからチョキを出した。

「あすかちゃん、つよーい! いっつも勝っちゃうよね! なにかコツとかあるの?」

興味津々に私の方を見て聞いてくる。

「コツ? え~、……相手が何を出すかしってるから……勝てるんじゃないかな?」

「えっ……なにをいってるの?」

そう言うと、その子は面食らった様子でいた。


十歳の時、

「朱莉は好きな人とかいる?」

友達の景地優子が訊く。

「好きな人……いないかなぁ」

平里朱莉は頬をかきながらそう返す。

「え? 朱莉ちゃん、秀樹君が好きなんじゃないの?」

「!! 誰にも言ったことないのに……どうして分かるの……」

ボソリと私の方を見ないようにして言ったらしかった。

「おっ、平里じゃん! そこでなにしてんの?」

歩いてきたのは、当の秀樹君。

「ん~? 恋バナってやつ。朱莉、秀樹の事が好きだってよ」

と言うと、秀樹は顔を赤くして、

「は、はあ!? オ、オレ別に平里の事、す、好きじゃねえし! 嫌いだし!!」

私は好きなくせになんでそう言うのか全く理解できなかったが、その言葉は朱莉ちゃんの心に深く突き刺さったようで、

「うううっ…………」

泣き出してしまった。

「……キライだ。飛鳥なんてキライだ! 人の心が読めるなんて気持ち悪い! 二度と近づくなぁ!!」

そう吐き捨ててどこかに行ってしまった。


私は心が読めるらしかった。でも、自分じゃ分からない。

でも、医者に行っても、虚言癖と診断されるだけ。何度も行っているうちに受診拒否されるようになってしまった。


十二歳の頃、

「あなた、いつも夜遅くまで大変ね……」

「お前こそ、土曜日も出勤なんて大変だなあ」

「お母さん……夕飯は?」

二人が話しているところに私はそう尋ねた。

「……お母さん、新助さんとデートってなあに? ……お父さん、今日も広子さんの所に行くの?」

私は、一瞬で険悪になったその場の雰囲気を感じたが、時すでに遅し。

「な、何を言ってるんだ?」

「あなた……」

私の言葉を聞いて、にらみあう二人。

「今の話は本当なの?」

「ち、違う。お、お前こそ浮気してんじゃないかっ!」

「~~~~!」

もし、片方でも包丁を持っていたら、殺し合いになりそうな視線は急に私の方を向いて、

「また私たちを騙したのね!」

「この疫病神めっ!」


黒く深い憎しみの瞳は、私が邪魔者であることを示していた。

「あんたなんかいなくなればいいのに……!」

「そうやって、私たちの反応を見て楽しんでるんでしょ!」


家族からも、友達からも、私は隔絶された。

そうして私は人と話さなくなった。

家族にも会わず、執事が食べ物を持って来る以外人と接しなくなった。

私は裏がなく、表しかない勉強や筋トレを延々とやり続けた。


今日は約束の三月三十一日。私が家から出ていく日。

行き先などどこにもない。


───────────────────────


僕、ネフトは世界から必要とされなかった。


僕は新時代のロボットとして、感情を持たされて製造された。

最初こそ世界中に『いよいよ人間になれるロボットが完成か!?』と喧伝されたものだが、実態は

「どうして、感情が芽生えないんだ!」

「やっぱり、ロボットには無理なんだよ……!」

と言うように失敗だった。その他の性能は所詮十年前レベルだったので、以来僕は共に作られた兄弟と共に延々と単純作業をするロボットになった。


だが、ある日僕は彩宮涼也という人間によって引き取られた。

さらなる実験と称して、僕は様々な事をやらされた。

「どう、この映画?」

「技術的には中々ですが、僕にはどうしてこれが感動的なのか分かりません」

「………………」

感動的であると言われる映画を見させられたり、


「この料理美味しくない?」

「辛味49、苦味11、酸味12、塩味65、甘味9、旨味145。……きっと美味しいのでしょう」

「『きっと』ってなによ……」

美味しいであろう料理を食べさせられたり、


「有津ってさ、笑いもしないし怒りもしないよな~」

「………………」

「でさ、オレらにはとれねえ点獲って喜ばねえとか腹立つなあ!」

挙げ句の果てには「有津海人」という戸籍を取って高校にも行かされたが、授業の内容は元からインストールされていることのみ。そのうち、頭空っぽのアホたちに物を隠されたり、腐った牛乳をかけられるようになった。


結局、四年間程この彩宮邸で暮らしていたが、感情という芽は一切出ることなく、僕は見捨てられる事になった。その日は、三月三十一日。つまり今日。この満杯の買い物袋を届けたら僕は屋敷から出ていかなくてはならない。

行き先などどこにもない。


───────────────────────


有津は今にも雨が降りそうな低く垂れ込めた空の下、何度も歩いてきた道を等間隔な歩幅で歩いていた。

両手には屋敷に住む執事たちへの賄いにする分の食材が詰め込まれた買い物袋が吊り下がっていた。

当然、ロボットなので全く揺れる事なく苦しい表情を一切見せず、歩いていく。


春の風が吹き抜ける中、交差点に差し掛かる。この横断歩道を渡って右に曲がった先の坂をただ登ればお屋敷に到着する。

しかし、人通りの少ない交差点に差し掛かった人影はそれを許さなかった。

(……黒のお下げに、赤い瞳、身長156.2cm、体重48.6kg……虹彩、指紋共に登録番号03『彩宮飛鳥』と一致)

その人影に眼を合わせると、頭の中に解析結果が表示される。

しかし、彩宮飛鳥はここ三年間は外出していないはずである。今日になってどうしてこんな所を歩いているのか有津は分からなかった。

近づきながら、観測を続ける。

彩宮の足は段々交差点に近づいていく。

赤信号であるが、何故か辺りを見回していた。確かに、重い音を響かせてやって来ているのは、バス。

渡るつもりなどないはずなのに、三秒ほど遠くのバスを見た後、顔の筋肉を一切動かさず、歩道の境界線を踏み越えようとした。

(……あれは自殺……!)

瞬間、有津は高速で横断歩道を突っ切り、

(この速度では止まれません……押し倒しましょう)

頭のコンピューターで演算を行った結果、そう結論付け、彩宮を押し倒した。

「……飛鳥様、自殺しようとしたのですか?」

「………………」

押さえつけながら有津はそう問うたが、彩宮は有津を凝視したまま何も答えなかった。

その反応から、この沈黙は肯定だと判断し、

「……飛鳥様、貴女のような総合能力で同世代のうち百万分の一に入る人が、自殺するというのは世界的に見てもったいないかと思われます」

「………………」

そういう風に説得をしてみるが、やはりだんまりだった。

(……さて、先ほどから沈黙ですが、そもそも何故飛鳥様は外出しているのでしょう)

沈黙どころか、人形のように動かない彩宮を見やりながら、有津は「記録」を検索し始めた。

十秒程すると彼の頭脳は、「今日は、飛鳥様が放逐を食らう日である」という表示を出していた。

「なるほど……。確かに普段からふさぎこんではいますが……」

ここ三年間は有津は彩宮に会ってない。なので、理由はよく分からなかった。

「きっと、人生辛くなって……とかよくある自殺理由なのでしょう。やっぱり止めておいて正解でした」

そう漏らすと、手の下の体がピクリと動いた。

「どうかしたのですか?」

「………………」

やはり黙っていた。


「しかし、どうしましょうか。このまま家に帰るわけにもいかないでしょうし……」

有津もほとんど同じ状況であった。

「となると……孤児院でしょうか? でも、質問に全く答えないようですし、彩宮家は有名な財閥グループでしかもその娘となると誰も引き取れないでしょう。野垂れ死ぬか犯罪者になる確率が非常に高いです。…………僕はこのまま朽ちるつもりでしたが……飛鳥様を育てるのも悪くはないかもしれません」

確かに、有津の思考の通り、孤児院では引き取ってくれない可能性が高い。彩宮飛鳥のような金持ちのご令嬢など執事が世話すればいいからだ。

当然、放っておけば死ぬだろう。


「飛鳥様。提案があるのですが……僕と一緒に過ごしませんか? 彩宮から追放された者同士」

「………………」

何の反応もしないが、彩宮を立たせて歩き始めた。


現在時刻、十四時四十七分。雨も降ってるしまずは家を確保したいところだ。

さっき見たところ、彩宮は五万円を持たされていた。そして有津の財布には買い物の余り金とお小遣い合わせて三万六千二百円ある。

食料は買い物袋をパクってきたので大丈夫だった。

有津は横浜市役所に急いだ。早くしないと入居にたどり着けない。雨に濡れすぎると有津は風邪をひけないが、彩宮はひいてしまう。


市役所は年度の変わり目だというのに、人はそこまでいなかった。

「これまで無用の長物だった戸籍がやっと役にたちましたね……」

速攻で手続きを終わらせ、ポケットに住民票を突っ込んだ有津は不動産会社に急いだ。

物件情報を一通り見た彼は即断即決だったため、不動産会社は驚いていた。

まあ、彼はロボットなので、内覧をせずともどんな部屋か一発で分かるのだが。


そして、やって来たのは今にも崩れそうな錆びた階段があるボロいアパートだった。

「すいません。ここに住みたいのですが……」

木のドアを開けて出てきたのは、化粧が盛られている太ったおばさんだった。

「あら、若い子二人? ……へえ、収入ゼロ? ふーん…………」

彩宮と有津を交互に見た後、有津が渡した紙と二人を交互に見始めた。

「……訳アリなのね? いいわ。明日、重要事項は話したげるから、休んでいきなさい。コンロとかは使えないけどね」

何故かその分厚い唇をニヤリとしながら大家さんは言った。

「恩に着ます。ありがとうございます」

大家の思惑など気にしない有津はペコリとおじぎをして、もらった鍵で、外れそうな鍵穴に突き刺す。

なんだかんだ言って、もう夜だった。


「予想通り、中はそれなりに綺麗ですね。コンロも問題なく動きそうです」

有津は年季が入っているのが分かるが、壊れる気配は全くない壁や床を見てそう言った。


「さて、夕食にしましょう……。いや、食材しかありませんね……すぐに食べられる物は……ない。私とした事が……」

コンロはあるものの、フライパンどころか包丁もなかった。

「お腹すいてませんか?」

「………………」

そう訊くと、彩宮は首をほんのわずかだけ横に振った。


「発熱開始、36℃」

しばらくして有津は彩宮に寄り添うようにして硬いフローリングの上で、睡眠を取り始めた。


次の日、

「さて、重要事項だけどね……」

大家は有津に向かって、話し始めた。

一通り話し終わると、大家は見透かした様に言った。

「それと……家賃とかは来月払えばいいから。彼女さんに使ってあげな」

「……本当にいいのですか?」

「いいっていいって。その代わり楽しいニュースがあったら教えて頂戴」

「はあ……」

有津はどうしてそう言うのか分からずにその言葉を呑んだ。


「ふむ……この包丁、中々いいですね。これで1240円ですか……。買いですね」

お店に置かれている包丁に片っ端から材質解析をかけていき、一番いいものをことごとく選んでいく。


一方、部屋に一人残された彩宮は今度こそ死ぬために自殺できる道具を探し始めた。

時間がかかるものは有津が帰ってくる前に死ねないので、放置である。

まず、毒殺できそうなものはあるわけない。

ここは二階なので、飛び降りても死ねる確率は低い。

刺殺できるものも未だになかった。

絞殺に関しては、ビニール袋の強度が足りない。

という訳で、水死を選んだ。

シンクの栓を閉めて、水を止め顔を突っ込む。

しばらく、泡がぶくぶくと出た後、段々体中の力が抜けて行き、気を失……

「ただいま帰りました。って何してるんですか!」

ちょうど、有津が帰ってきてしまった。

素早く、彩宮を引き揚げ、肺の様子を確認する

「水は入ってませんね……。しっかりしてください!」

有津は彩宮を揺すり始める。

「……! げほっげほっ」

咳き込んだ後、彩宮は起き上がった。

「どうして、自殺なんかするのですか。昨日も言いましたが、飛鳥様は近い将来、世界中から必要とされる人材です。少なくとも僕は評価してます」

肩を強くつかみながら、訴えるように言う有津。

「私が……必要とされる……」

すると、彩宮は普通の人間では聞き取れないほどの小さな声で反芻した。


「しかし、屋敷から仕送りが見込めないとなると、二人で働くしかありませんね……」

「うん……」

有津がそう告げると、彩宮はうつむきながら答えた。

二人は職探しを始めた。

と言っても、有津によってどこに働くか決まっていたし、演算や心を読む事ができる二人にとって採用されるのは簡単な事だった。

ちなみに、有津はコンピューターセキュリティ会 社。彩宮はデナーズのアルバイトになった。


「よろしくお願いします」

彩宮はデナーズのウェイトレスの制服を着て、自分に色々なやり方を教えてくれるという先輩に腰を丁寧に下げた。

「よろしくね! えーと、彩宮飛鳥ちゃん! アタシは的場冴子。分からない事があったら何でも聞いてね」

明らかに染めたのが分かるが活発な人柄によく合う茶髪のこの人は的場冴子と言うらしかった。思い切りの笑顔を浮かながら、手が伸ばされた。

一瞬迷った後に、彩宮は手を握り返した。

「飛鳥ちゃんって呼んでいい?」

「…………どうぞ」

有津は元執事でもあるので名前呼びなのは仕方のないことだが、ここ最近執事とか家族以外に名前で呼ばれるのがとても久しぶりに思えた。

「も~、表情硬いなぁ。緊張してる?」

「……いえ別に」

彩宮の顔を覗きこむように見つめた後、的場はいきなり彩宮の頬をむにむにと動かし始めた。

「な、何ですか」

「飛鳥ちゃんが、笑顔になるようにって。人間誰でも笑顔の時が一番可愛いんだから」

一分程、むにむにし続けた後、的場は花丸満点がつきそうな笑顔を浮かべた。

「ほらほら、飛鳥ちゃんもこんな風に笑ってみて」

「え? ………………こんな感じですか?」

「そうそう!」

四年ぶりに彩宮の口角が上がる。

すると、彩宮は絶対零度になってしまった心の奥がほんの少し温かくなったのを感じた。


その後、彩宮はマニュアルをよく読み、分からない所は他の店員の心を読んで、誰にも何も聞かずにテキパキと仕事をこなすようになった。

「ねえねえ飛鳥ちゃん。アタシになんか聞いてよ~!」

的場はああ言ったものの、全く自分を頼らず仕事をこなしていく後輩の姿を見て、ふくれながら言った。

「なんか困った事とかないの~?」

「特にはないですね。マニュアルも分かりやすいですし」

「え~、アタシ、アレ理解するのに一ヶ月かかったんだけど……」

後輩のその言葉に、がっくり肩を落とす的場。

「それに、的場さんの顔に全部書いてありますし」

「マジかー」

とどめの一撃に、的場は首までがっくり倒した。


ある日の事だ。彩宮は今にも泣き出しそうな顔をした男の子を見かけた。

「……トイレはあっちだよ」

この店のトイレは少し複雑な所にあって分かりにくい。その上、男の子の身長は低く案内板は見づらいかもしれない。

「! ありがとう、おねえさん!」

男の子はその言葉に純粋な笑顔を向けて、彩宮の指先の方に向かって全速力で走っていった。

その様子を傍らで見ていた的場は彩宮に話しかけた。

「どうして分かったの? 飛鳥ちゃん」

「なんとなくです」

「へぇ~、やっぱりすごいね飛鳥ちゃん」

その言葉に彩宮は頬を少し赤く染めた。


一方、有津の方も

「やっぱり、お前はスゲーな!」

有津の背中をバシバシ叩きながら言うのは、山郷一道。有津と同期の社員である。歳は全然山郷の方が上である。

「そうでしょうか?」

有津は彼の言葉に疑問をかける。

「おう。俺なんてお前の半分の効率しか出ねえよ」

山郷とはこの会社に入社してから同じチームに所属するようになった間柄である。このチームは若い人たちが多く、有津はその中でも最も若いのだが圧倒的な作業効率によって、上司たちも驚くレベルでどんどん仕事をこなしていっている。

当然、ミスなどはない。

「まあ、俺もあれだから。本気だしたらスゲーから」

「その言葉って、仕事が出来ない人が言う言葉だと記憶していますが……」

「うっ……う、うるせえな……」

正論を言われてしまい、反論する声もいつもの大きな声の四分の一ぐらいしか出なかった。


今日もそんな一日が始まる。

「おはようございます。朝ですよ」

「んっ……」

七時ちょうどに起きた有津は、格安の布団で眠る彩宮を起こした。

彩宮が着替えている間に、有津は布団を片付けてちゃぶ台を出す。

「最近、笑顔増えましたよね。何か楽しいことでもありましたか?」

有津は卵かけご飯を掻き込みながら訊いた。

「いや、別に何もないわ……」

彩宮の目には輝きが戻っていたが、何となくごまかしてサラダを口一杯に詰め込んだ。

「では僕は出勤しますので、後はよろしくお願いします」

執事時代から着ているスーツ姿で朝の光に消えていく有津を彩宮はじっと見送る。

直後、彩宮は家を飛び出した。

以前とは違って自殺しに行くとかそう言う事ではない。

彩宮は朝にランニングする事にしたのだ。まあ、体力を鍛えたいというのはなくはないのだが、一番の理由は「家にいても暇だから」である。貧乏一直線な家には娯楽系のものは一切ない。ちなみに、勉強するための教科書やノートもない。

ランニング15km、腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット二百回をこなして、汗をかいた後、有津の作り置きを食べてバイトに行く。


床が鳴るのがもはや確定演出になっているこの家に先に帰ってくるのは有津だった。

就職して以来、毎日頼まれた仕事どころか、やるべき仕事を全て終わらせてしまうため、五時に帰宅するというサイクルが出来ていた。

両手には今日の分の食材が入ったビニール袋が握られている。

「さて、今日は唐揚げにしましょうか」

小さな台所から規則的な音が聞こえ始める。


「ただいま~」

ご飯が出来上がる頃、ドアを開ける音が聞こえる。

「お帰りなさいませ。飛鳥様。もうすぐ夕飯が出来ますよ」

食卓に並ぶのは、ボリューミーかつ栄養満点になるよう計算されたもの。

と言っても、サラダが彩る唐揚げは食感のよさが、ご飯も出来立てだから湯気がつやつやさを引き立てている。味噌汁も脇役と侮るなかれという気配が漂っている。

「ん~~! やっぱりあなたの作る料理はどれも最高ね!」

赤い瞳をつぶり、手をぶんぶん振りながら言う彩宮。

「それは光栄です。それよりも朝よりも楽しげですが、何かあったのですか?」

相変わらず平坦な語調だが、彩宮が自分の料理で喜んでいるのを見て、何故か温かいものを感知した有津は、そんな事を尋ねた。

「そうそう! 私ね。給料上がったの! いつも頑張ってるからって!」

ちゃぶ台を叩いてそう言う彩宮。

「それは良かったですね。貴女の凄さは見てる人は見てるものですよ」

「うん!」

あっという間に食卓から米粒一つ残さず消えた後、座るのにも難儀する狭さの風呂に交互に入り、

「そろそろ寝ましょう」

二人は既にせんべい布団になってしまった布団にもぐり込んで、寝息を立て始める。

壁のシンプルな時計が九時半を刻む音を聞きながら……。


二人とも、こんな日々が続けばいいなと思っていた━━


───────────────────────

それから一年後、ようやく貧乏生活のゴールが見え始めてきた頃、

「そういえば、あすちゃんはカレシとかいる?」

的場の呼び方も「飛鳥ちゃん」から縮められていた。

一方、彩宮は突然そんな事を聞かれてパニクっていた。

「い、いえ、いないですけど……」

首を横に振ったものの、的場はまだ食い下がる。

「え~? 前にさ、あすちゃん、誰かとアパートに住んでいるとか言ってなかったっけ~?」

ニヤニヤしながら言う的場。

「え、あ、いや……あれは……有津は……」

「やっぱりいるじゃん! なになに有津……」

何故か隠し持っていたメモ帳にメモし始める的場。

しかし、その後に聞いたのは名前ではなく、もっと衝撃的な答えだった。

「私の……従者です」

「は?」

的場は口を大きく開けて、固まってしまった。

しかも、その開いた口は塞がる事はなかった。


「警察だ!」

突然、店の扉を思いっきり開けて現れたのは、警察手帳を突きだした厳つい顔の警察官だった。

当然、客を含め、店にいた人全員の視線はそちらの方に向けられる。

彩宮もそちらの方を見ているが、聞こえるものは違った。

最近は心を読む事が減ってきたものの、この一瞬の異物への恐怖で栓が緩んでしまったらしい。

(なんだなんだ?)

(事件か?)

(この中に犯人がいるのか……?)

(怖いな……)

と言った心の声を読み始めていた。


「彩宮飛鳥はいるか」

警察官の冷徹な声が響く。

すると途端に、彩宮の方に店員の目が向く。

(アイツが犯人なのか?)

(マジか)

何の事件かも分からないのに、彩宮に敵意の視線が集まる。

「ひっ……あ、あ……」

彩宮の顔が歪む。当然、犯罪を起こした覚えなどなかった。しかし、心が読める彩宮にとって集まっている視線はただの人間が受けるよりも重く突き刺さるものだった。


警察官は客全員分の視線を集めきって、彩宮がいる方につかつかと一直線に歩いてくる。

「はあはあ……」

「大丈夫? あすちゃん……わっ、すごい汗」

その動悸に耐えられず床に手をついた彩宮は、的場に背中をさすられているものの、瞳孔は開きっぱなしだった。


「お前か、彩宮飛鳥は。ちょっとご同行願いたいのだが」

警察官は、彩宮を見下ろして言い放った。

しかし、彩宮の耳にそんな言葉は聞こえてなかった。


「なに、アイツが犯人なのか」「女子高生なのに犯罪を犯すとは恐ろしいのう」「怖い」

「何てやつだ」

「こんなやつ雇わなきゃ良かった」

「俺、こんなやつと働いていたのか」


「お前なんか、」


必 要 な い



「ゲホッゲホッ、かはっ……はあはあ、ううう……」

普段はそんなに乱れない、彩宮の呼吸が過呼吸気味になる。顔が真っ青になる。心臓も早鐘のようだった。


気づいたら、彩宮はコンビニ強盗殺人事件の現場にいた。

死体はどかされているものの、血が飛び散っている。けれど、彩宮はそれを見て何かを思う事は出来なかった。

全く身に覚えなどないのに、並べられていく証拠たちが指す犯人は彩宮飛鳥を指していて。

だが、彩宮にはそれに言い返す気力はもうなかった。

彩宮の瞳には、集められた容疑者の内一人だけ安心した気持ちになっているのが映っていたが、彩宮は黙ってうなずく事しかしなかった。

マリオネットのように言われるがままにうなずいていく。


私はやっぱりいらない子。

こんな私なんか、刑務所で獄死しろ!


───────────────────────


一方の有津はいくらなんでもそんな事を感知できようはずもない。普通に業務を続けていた。

そして、定時の五時に帰宅しようとする。

「今日は珍しく俺も早く帰れるな。そうだ」

山郷の言うとおり、彼が五時に帰れるのは珍しい。

「何ですか急に立ち止まって……」

「いやな、折角だし飲みに行かないかって」

山郷はジョッキをぐいと飲む手振りをつけてそう誘った。

「行きません。僕は未成年です」

その誘いは残念ながら届かなかったらしい。

「そうじゃなくてさ、別にオレンジジュースでもいいよ! 当然俺の奢りだって。どうよどうよ」

しつこく誘うが、その言葉のどれも有津の心は揺さぶれなかった。

「行きません。僕は五時に帰らなくてはいけないんです」

有津はきっぱりと断った。

「……そういえば、お前いつも五時に帰るよな。どうして?」

山郷は手を振るのを止めて、そう訊いた。

「家に待ってる人がいるんです」

表情を変えず、家の方を見てそう答えた。

「ふーん……」

有津は事実を言っただけだが、事実とは得てして曲解されやすいものである。

「じゃあ、彼女さんと一つ屋根の下で頑張れよ」

山郷が手を振りながら歩き始めると、その背に驚愕の言葉がかかる。


「彼女? いえ、飛鳥様は僕のご主人ですが?」


「はい? え、えーと…………」

すると、山郷の足が一気に加速して、あっという間に有津の視界から消えてしまった。


一年経ち、来たときよりも僅かにボロ度が上がったアパートに帰って来た。

部屋の中も絨毯やちょっぴりオシャレなちゃぶ台が置かれるようになり、元からあるものもへたり始めていた。

「焼き時間12.7分。完璧です」

フライパンの上で焼かれている魚を見て、うなずく有津。


「そろそろ飛鳥様が帰ってくる頃ですね」

最後の過程に入った料理を見てそう呟いた有津。


しかし、どのタイミングでも扉は開かれず、ご飯は出来上がってしまう。

「帰ってきませんね……」

有津は友達とおしゃべりでもしながら楽しく帰ってきているのかと思ったが、食べ終わっても来ない。

ご飯が冷たくなりきっても来ない。

「ラップが必要でしょうか?」

有津は一人ごちた。


しかし、十時になっても彩宮は帰って来なかった。

「いくらなんでもおかしいです。探しに行きましょう」

有津は家を飛び出して、すっかり暗闇になっている道をぴったりたどり始めた。


「どこにもいません……」

眼のカメラどころかセンサーにも彩宮の姿は確認できないまま彩宮が働きにいっているデナーズのお店についてしまう。

「すいません。ここでバイトをしていたはずの彩宮飛鳥って人はもう帰りましたか?」

事務的な「いらっしゃいませ」を言ってきたウェイターにド直球に訊くと、

「彩宮さんですか? ………………あ、えと、その……昼頃に警察に捕まりました……」

名前を出した瞬間に暗い顔をされ、店の端の方へ引き寄せられ、耳に口を当ててひそひそ話をするように言った。

「……もしかして、彩宮さんのお知り合いですか?」

「ええ」

「でも、彩宮さん、犯罪なんて犯す人じゃないと思うんです。だって……私が困ったときはいつもいて助けてくれるんです……。そんな彩宮さんが……」

そのウェイターは身長が高い有津の眼を見上げながら、弱気ながらも訴えた。

「……ええ、安心して下さい。飛鳥様が犯罪を犯す確率は0%です」

店の外に見える月を見てそう言う有津。


「さて、飛鳥様は多分留置場にいるでしょうから明日行きましょう」

家に帰ってきた有津はそう判断して布団を敷いて天井を睨み付けた。

「飛鳥様……あなたがいなくなっては困ります……」



翌日、

「すいません。今日は早く上がってもいいですか」

有津は、部長にそう頼んだ。

「ん? ああいいぞ。いつも頑張ってるしな。今日だけなら構わんぞ」

するとその会話を聞いていた山郷が、

「お、今日は早く帰んのか。珍しいな。なんかあんのか?」

と興味津々に聞いてきた。

「いえ……何でもないですよ」

そう答えると山郷は事情を知らないくせに分かったような顔をして

「そーか、そーか! 頑張ってこいよ! はっはっはっは~~」

と笑っていた。


「急がないと留置場が閉まってしまいます」

留置場が開いているのは、午後五時十五分まで。

(……飛鳥様は心が読める。しかも心が不安定な時は強く負の感情だけを拾ってしまうようです。そこから導き出される結論は……一年前と同じく自殺に走るでしょう。具体的には獄死)

一年間も一緒に暮らしていた有津は彩宮の考える事など全てお見通しであった。

「刑務所なら僕が追えないとでも? 甘いですよ飛鳥様」

不敵にそう言いながら、暗くなり始めた横浜の道を走っていく。

基本的に逮捕された人は、留置場で尋問を受ける。この場合、強盗殺人事件なので、間違いない。

さすがに、起訴されてしまうと有津らには弁護士を呼ぶお金がないので詰んでしまう。

強盗殺人事件ともなると刑罰は無期懲役か死刑、本当に獄死か刑死する事になる。


しばらく走っていると、留置場のある神奈川県神奈川警察署の門に着く。

門番をしている警察官に「面会しに来ました」と伝えると、後ろからヒールの走る足音が聞こえた。

どうやらこの肩から上着がずり落ちている女の人も誰かの面会に来たらしい。

有津にぴったりくっついて来るからだ。


世界一飾り気のない空間の一つであろう警察署。有津は、横に並んだ窓口でこう言った。

「「ここにいるはずの、彩宮飛鳥に面会に来たんですけど……」」

言うタイミングまで一緒だった。

「はい?」

有津は右耳のセンサーが拾った音を予測できず、固まってしまった。

「え?」

一方の女の人も、汗びっしょりでメイクが崩れかかっている眼を大きく開いて有津の方を見た。


「あなたも……あすちゃんに会いに来たの?」

「……あすちゃんって、もしかして飛鳥様の事を言ってるのですか?」

「様? 多分そうだと思うよ?」

有津にとってその答えはあまり嬉しいものではなかった。

「同じ日に二組の面会はお受けできません」

受付の人の無慈悲な言葉が、シンとしたホールに響く。

「……どうしよう」

女の人は困ってしまったらしかった。

しかし、有津も帰る訳にもいかない。

なので有津はこの女の人を論破してお帰り頂いても良かったが、彼女もきっと何かを言いに来たのだろうと思い、

「……一つ提案があります」

「なあに?」

「ここは、二人ともお互い知り合いであるということにしましょう。そうすれば、一組として入れます」

「なるほど……わかった」

彼女は有津の提案にこくりとうなずいた。

「僕は、有津海人といいますが、貴女は?」

「的場冴子だよ。」

「では、的場さん。これから僕たちの間柄を聞かれるので、友達と言いましょう。いいですか?」

「オッケー」

名前を教え合い、口裏合わせを終わらせると二人はもう一度窓口に近づいた。

受付の人と話しながら、的場はこの横に立つ白髪の青年の名前に聞き覚えがあった。

(んー。有津ってどこかで聞いた事あるような?)

しかし、頭の中で引っ掛かって出てこない。

「失礼ですが、お二人は彩宮飛鳥とどう言った関係で?」

「同居人です」

と有津は答える。その言葉を聞いて的場はやっと有津の事を思い出した。

「勤務先の同僚です」

と的場も答える。

「では、お二人の関係は」

「「友達同士です」」

的場が口を開くのを見て完璧に被せる有津。

「分かりました、面会可能か調べてきますね」

そう告げて、受付の人は引っ込んでいった。


「なるほど、あなたがあすちゃんと一緒に住んでるっていうカレシか~」

引っ込んでいる間に的場はそう漏らした。しかし、有津にとっては「またか」という感じだった。

ため息をつきながら、これまでの経緯を話していく。


すると、何故か的場は興奮したのか鼻息が少し荒くなっていた。

そして、有津が話し終わるのと同時に窓口の人は戻ってきて言った。

「本日の面会は可能との事です。それではご案内します」

人がおらず、蛍光灯もチカチカ光っている不気味な廊下を三つの足音が通っていく。

「彩宮飛鳥の部屋は奥から三番目の部屋です」


留置場と書かれた札の下のドアを開け、更に進むと、ちょうど奥から三番目の部屋の所で扉の前の警察官に呼び止められた。

「有津海人と的場冴子だな? 面会時間は二十分だ」

「はい。分かっています」

的場が野太い警察官の声に緊張しているのが分かったので、有津は的場をかばうようにして答えた。


ガチャン


すりガラスの扉の向こうには、物静かで妙に広く感じる部屋が広がっていた。

ガラスで仕切られた向こう側に少女は座っていた。

表情は一年前と同じく、真っ黒。


見張りの警察官と的場に見られる中、有津はその前に置かれた椅子に座った。

「飛鳥様、どうしてこんな所にいるのですか?」

有津の質問は、後ろの二人こそ目を丸くしていたが、的を射ていた。

「………………」

しかし彩宮の口は、垂れ下がった黒髪に埋まったまま動かない。

たが、有津はそんな事は気にせず話し続ける。

「僕は知っています。飛鳥様は犯罪なんか犯せっこありません」

「…………うるさい!! あなたに何が分かるのよ!!」

だんまりを決め込もうとしていた彩宮だが、有津のその無表情がまるで自分を見透かされているような気にさせた。

「分かりますよ、飛鳥様。一年間ずっと一緒に過ごしてきたんですよ? 分からない方がマヌケです」

「うるさいうるさいっ! そんな訳ない! 私は……私は、十五年も必要とされてこなかった、極悪人なんだっ!」

十五年が歪めた性格を丸出しにして全力で拒否しようとする彩宮。

「それは違います」

きっぱりと否定する有津。

「飛鳥様は僕に生きる意味を与えてくれました。一年前のあの日、飛鳥様があそこにいなければ、僕は独り朽ち果てるつもりでした」

その言葉に、彩宮は淡々と言う有津方を振り向いた。

「けれど、そこには貴女がいた。捨てられた僕に生きる意味を与えてくれました。そんな人のどこが極悪人なのですか?」

「それはあんただけだっ!」

彩宮はまだ噛みついていく。

認めたくなかった。許されないと思った。

だって、私はいらない……

「違う。それは違うよあすちゃん。……アタシだってあすちゃんと働いてて、とても楽しかった」

「っ!?」

その言葉に彩宮は驚愕した。

「そ、そんなわけ……」

「それにね……、店の皆もあすちゃんがいて助かってるんだよ? 店長もアスちゃんの帰りを待っていたよ。お客さんだってアスちゃんを心配しているんだよ? ほら覚えている? あのトイレの男の子。あの子も『ねえ、あのおねえちゃんどうしたの?』って言ってた」

私は……私は?

いらなく……ないの?


「うう……私なんか」

目に涙を浮かべながらもなおも否定しようとする彩宮。

「これでもまだ、『私なんて必要がない』とか言うのですか?」

「ううっ……うわああああああ!!」

有津たちの嘘など微塵も含まれない言葉に包まれて、彩宮は突っ伏してついに泣き出してしまった。

その涙は止まらない。その号哭は止まらない。


涙で顔を水浸しにした彩宮は顔を上げた。

「これで、分かりましたか? 皆、貴女の帰りを待っているんです。それに……飛鳥様がいないご飯は美味しくないんです」

「……ん。分かった」

有津が浮かべた笑顔ににっこりと笑い返して、彩宮は首を縦に振った。


ちょうど時間になり、有津と的場は留置場を出ていった。


「あれで、大丈夫かなあ?」

別れ際に的場が聞くので、

「大丈夫です」

と大きく頷いた。


三日後、安物テレビが告げる「速報:横浜強盗殺人事件の真犯人逮捕!!」というニュースを聞いて、有津は二人分の料理を作り始めた。

そして、楽しそうに彩宮の好きな唐揚げを満載した皿をちゃぶ台に置いておく。

その音に合わせて、階段を登る音が聞こえてくる。

そして、その音が途切れると、有津は扉の方を向いた。


ガチャリ


「た、ただいま……」

「お帰りなさいませ。飛鳥様」

彩宮が黒髪を指でくるくる巻きながら恥ずかしそうに言うのに合わせて、有津は微笑みながら答えた。

その笑顔はプログラミングされたものでは無くなっていた。

しばらく、玄関先に立っていた彩宮は突然、有津に飛びかかるように、ぎゅっ、と抱き着いた。

「どうしたのですか?」

ほんのり涙を浮かべる。すると、彩宮はぼそりと言った。

「これからは飛鳥様じゃなくて、飛鳥って呼んでくれない?」

「ええ。構いませんよ。飛鳥」

有津は目をつぶりながらささやくように返した。


しばらく抱き合っていると、有津は口を開いた。

「さ、夕飯にしましょう。今日は飛鳥の好きな唐揚げですよ」

「うんっ!」


ボロボロだからなのか、普段よりも楽しげな声が大きく響き始めた。

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アルツ・サイミヤ M.A.L.T.E.R @20020920

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