第31話 師匠誕生

 王妃の葬式から一年後。


 ジンはいつものようにアルガ・ロンガ国中から集めた魔法書をファツィオの小さな屋敷で読み漁っていた。


 そこに無遠慮なほどの大きなノックの音が響く。


「入っていいよー」


 ジンの許しで執事が静かにドアを開ける。ノックの音と対照的な動きだが、あれぐらい大きい音でノックをしないと、本に集中しているジンが気付かないことが多いためだった。


 執事は一礼すると用件を言った。


「お客様です」


「私に?誰だい?」


「お会いになれば、すぐに分かります」


 もったいぶった言い方にジンが顔をしかめる。


「えー、なんか嫌な予感がするな。私は不在だって伝えてよ」


 ジンの言葉に執事が背後から椅子を取り出す。その動作だけでジンは慌てて読みかけていた本を机の上に置いた。


「会う!会うよ!だから椅子は止めて!」


 執事と椅子のセットに良い思い出がないジンは立ち上がると走って部屋から出て行った。


「お客様は応接間でお待ちです」


 執事がそう言った時には、すでにジンの姿は消えていた。





 走って応接間に到着したジンはそのままの勢いで飛び込んでドアをしっかりと閉めた。そしてドアに耳を当てて執事が追ってきていないことを確認すると安心したように息を吐いた。


「まったく。で、私に用事があるのは誰……」


 応接間でそれ・・と対面したジンは言葉を詰まらせて驚いた顔をした。


「ど、どうして、ここに?」


 どうにか声を出したが態度から狼狽していることが分かる。だが相手は気付いていないのか平然と一通の手紙を差し出した。


 ジンは黙って手紙を受け取り内容を読むと、頭を抱えて床に項垂れた。


「調子が悪いのですか?」


 ジンを心配したそれ・・が声をかけるが返事はない。しばらくしてジンは意を決したように立ち上がった。


「返品する!」


「は?」


 ジンはそれ・・を小脇に抱えると全速力で城へと走り出した。





 ジンは顔パスで城内に入ると質素な執務室へ行き、ドアを蹴破った。


「パトリィツォ!どういうこと!?」


 ジンの予想通り机で書類仕事をしていた王が顔を上げて不思議そうに首を傾げる。


「どうしたのだ?突然」


「白々しい!わかっていて言っているでしょ!これ!私はいらないからね」


 ジンは小脇に抱えていたそれ・・を王の眼前に突きだした。


「おや、レンツォ。何かジンを怒らすようなことでもしたのかい?」


「いいえ。私は父上のお手紙をお渡ししただけです」


 少し色素の薄い金髪を可愛らしく揺らしながら子どもが答える。

 ジンが両手で抱えられるほど小さい子どもは三歳ぐらいの体格をしていた。ただ話す言葉はしっかりとしており、年齢には似合わない聡明さが感じられる。


「では、ジン。何が不満なのだ?」


 王の問いにジンが盛大に首を振る。


「どうして私が子育てをしないといけないの!?しかも君の子ってことは王族だよ!そんな重大なことを私はしたくない、というか、なんでしないといけないの!?」


「レンツォは生まれつき魔力が強くてな。しかも頭も良い。王室の家庭教師では相手にならないのだ」


「だからと言って私に預ける前に、もっとやることがあるでしょう!」


「私はこれが最善の策だと思ったのだが」


 心外そうな顔をする王にジンが詰め寄る。


「王妃の葬儀の時に起きた事件を忘れたの?私とパトリィツォが仲良くしているのを快く思っていない貴族が、私を殺そうとしたのを!子どもを預けたりなんかしたら、ますます目をつけられるじゃないか、わたし・・・が!」


 私(・)を強調したジンに王が笑う。


「相変わらずだな、ジンは。まあ、そこは自分でどうにかしてくれ。君なら、どうにでも出来るだろ。それに、これはレンツォの亡き母の望みでもある」


 王の言葉にジンが目を丸くして口を閉じる。


「王妃は魔力が強いレンツォの行く末を気にしていた。できればジンの元で魔法を学んでほしいと望んでいたのだが」


 何も言えなくなったジンに王がニッコリと微笑みかける。


「さて、どうする?」


「……数年前、褒美を授けるから欲しいものはないかって聞いてきたよね?あれ、まだ有効?」


 それは以前、デルヴェッキが計画していた王の暗殺を未然に防いだ褒美の話だった。


「あぁ。何か欲しいものが出来たか?」


「家が欲しい。さすがに子連れでファツィオの家に住むのは申し訳ないからね。小さくて良いから、見繕ってよ」


 ジンの答えに王が満面の笑みで頷く。


「では、すぐに探させよう。ついでに従者も数人つけるぞ。男一人と子ども一人ではまともに生活も出来まい」


「そこも任せるよ」


「よし。ではレンツォ、ジンの言うことをよく聞くのだぞ。たまには城に帰って顔を見せなさい」


「はい」


 レンツォと呼ばれた男の子は王に一礼をするとジンを見上げた。


「よろしくお願いします、ジン殿」


 碧い瞳がまっすぐ見つめてくる。


 ジンは諦めたように頷いた。


「わかった。でも、私のことは師匠と呼ぶように」


「ししょう?」


「あぁ。魔法を教える先生という意味があるんだよ」


 ジンの説明にレンツォが嬉しそうに笑う。


「はい!師匠!」


 それは元気の良い素直な子どもの声だった。

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