第26話 たらし

 ジンの言葉に女性が泣きそうな表情になった。


「あ、あの、何が駄目なのですか?」


 おろおろする女性の前にジンが立つ。


「歌っていうのは、そんなに緊張して歌うものじゃないでしょ?力を抜いて。もっと、大きく息を吐いて」


「え?あ、はい」


 女性はジンに言われるまま深呼吸をして力を抜いた。


「ほら、君は何で歌が好きなの?そんなに好きな歌をそんなガチガチになって歌っても楽しくないでしょ?もっと楽しんで」


 そう言ってジンが微笑む。昼の強い太陽の光によって白金の髪が輝いているが、それ以上に琥珀の瞳が穏やかで優しく眩しい。


 思わず目を細めてしまった女性の背中をジンが叩く。


「はい。じゃあ、もう一回。あの空に向かって歌って」


「……はい」


 女性は大きく息を吸うと空に向けて好きな歌を歌った。


 気が付くと、お腹の底から声が出ていた。自分でも、こんなに声が出るのかと驚くほどだ。あれだけ人の目を気にしていたのに、歌うことに夢中になって忘れていた。


 歌い切った女性は晴れ晴れとした表情でジンを見た。


「ありがとうございます」


「?どうしてお礼を言われるのか分からないな。素敵な歌を聞かせてくれて、こっちが礼を言わないといけないのに」


「思い出したのです。私が歌を好きになった理由を。私はずっと一人でした。ですが歌っているときは、そのことを忘れられた。歌の中の人物になれた」


「でも、それが理由って寂しくない?」


 ジンからの素直な指摘に女性がクスリと笑う。


「そうですね。ですが、それから色々な歌を学び、そこから多くのことを知りました。きっかけは寂しいかもしれませんが、色々なことを教えてくれた歌が私は好きなのです」


「なら、良かった。じゃあ、もう一曲聞かせてよ」


 ジンの言葉に女性は嬉しかったが、少し考えて意地悪く言った。


「でしたら、楽譜を書いてきて下さい。そうしたら歌います」


「交換条件?まあ、いいや。じゃあ、また来週だね」


 あっさりと納得したジンに女性は、内心で勝負に勝った時のように両手を軽く握りしめていた。今まで散々振り回されてきたジンに対して初めて優位に立ったと女性は思ったのだ。


 そんな女性の心境など知らないジンは、女性からの返事がないので不思議そうに顔を覗きこんだ。


「どうしたの?」


「え?あ、いえ!なんでもありません!来週ですね!はい、大丈夫です!」


「そう?でも君の歌声は綺麗だから、次の歌が楽しみだな」


 そう言うとジンは女性の眼前で微笑んだ。その言葉と表情に女性が固まる。


「じゃあ、また来週ね」


 ポンポンと女性の頭を軽く撫でたジンはそのまま中庭から出ていった。そしてジンの後ろ姿を茫然と眺めていた女性の顔は徐々に真っ赤になり、そしていきなり走りだしたかと思うと、一直線に中庭から脱走した。


 周囲に静寂が訪れると指を鳴らす音が響いた。


「たらし、ですね」


「しかも天然のね。本人無自覚もいいところだわ」


 芝生の上でお茶を飲んでいるファツィオとリアの姿が現れた。場所は先週と同じであるため、女性が歌った真ん前の芝生である。


「とりあえず来週もここでランチをしましょうか」


 ファツィオの提案にリアが頷く。


「そうね。もう少し気になるし」


「どうせでしたら、毎日ここでランチはいかがですか?」


「そんな時間があるなら、早く仕事を終わらせて、一緒に夕食を食べられるようにしたら?」


 リアの言葉にファツィオは悲しそうに俯いた。


「頑張って仕事を終わらせて家に帰れるようにします」


「頑張ってね」


 明るいリアとは反対にファツィオの中では、このような現状を引き起こしたイラーリオとデルヴェッキに対しての復讐の闇が渦巻いていた。

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