向日葵が枯れるまで
望月葵
第1話 喜
僕の幼馴染である七瀬朱里は「普通」ではなかった。
情緒不安定で、ちょっとした事ですぐ爆笑し、激怒し、号泣していた。それだけならまだしも、 バレバレな嘘をついたり、空気の読めない発言をすることが多かった。
自由奔放なくせにかなり頑固で、一度決めたことは意地でも譲らなかった。傍から見れば、自己中を極めた人格で協調性なんてまるでない。人々は彼女を「変わった人」と言い、疎ましく思っていた。
だがそれは、彼女がもつ「発達障害」によるものだった。その中でも彼女の場合は広汎性発達障害という分類の、アスペルガー症候群というのに当てはまるのだとか。
僕がそれを知ったのは三年前のことだった。
*
僕が住んでいるのは緩やかな山の麓にある小さな町。バスや電車も一時間に一本。見渡せば田畑ばかりで、面白みも何も無い場所だ。
「ケーンーちゃーん!」
茹だるような暑さの中、終業式を終えて学校から家に帰る田んぼ道を歩いていると、聞き覚えのある声が背後から近づいてくる。振り返ると、七瀬が僕に突進をかましてきた。
「痛っ!何するんだよ」
「あのね、大事な話があるんだけど、長くなるからケンちゃんのお家で話すね!」
ここしばらく学校を欠席していた七瀬は、別段変わった様子もなく、元気そうに跳ねている。
「え、何いきなり……てか、家に来るとか勝手に決めるなって」
「いいじゃん、ほら早く早く!」
話についていけずに困惑していると、七瀬は俺の家の方向に走り去ってしまった。
「お邪魔しまーす。わあ、小学生以来だなぁ。ケンちゃんの家来るの」
さすがに幼稚園児の時からの幼馴染で互いを異性だと意識することがないとは言え、もう中学三年生だ。自分の部屋に案内するのも気が引け、リビングに向かった。僕の親は二人とも仕事に出ていて、部屋には誰もいない。
「何か飲む?」
「ジュースは?」
「オレンジならあるよ」
「じゃあ、それで」
昔、七瀬がよく遊びに来ていた時に毎度していたこのやり取りが、今ではひどく懐かしく感じた。
ジュースをコップに注いで七瀬に手渡し、テーブルを挟んで反対側の椅子に座る。改めて向き合ってみると妙に緊張してしまう。
「二週間も学校休むんだから、ついに不登校にでもなったのかと思って心配したよ」
「はは、心配してくれるんだ。やっさしー」
「それで、大事な話って?」
からかわれるのが癪なのでさっそく本題に切りかかる。
「あ…えっと、それがねー……」
七瀬は一瞬僕から目をそらし、誤魔化すように笑った。そしてしばらく唸ったあと、深呼吸してから言った。
「私ね、あと1ヶ月で死んじゃうんだって」
「……は?」
七瀬はゆっくり事の顛末を話し始めた。
どうやら、彼女は末期の脳腫瘍を患ったらしい。生存率は極めて低いのだとか。
最初はただの風邪だと思っていたら、あまりにも頭痛と微熱が長引くので、県外の大きな病院で診てもらったところ病気が判明したらしい。他にも症状がどうとか、脳の部位がどうとか何やら小難しいことを話していたが、情報が多すぎて頭に入ってこなかった。
「マジか…」
「病気が分かったときに、『あ、ケンちゃんに言わなきゃ』って思ったの」
「他の人は知ってるの?先生とか、その…クラスの人とか」
「言ってないよ。夏休み明ける前には死んじゃうし」
ジュースを口にしながら淡々と告げる七瀬に対し、僕は少なからずショックを受けていた。
中学校に入学してから疎遠になっていたとは言え、昔はよく遊んでいた幼馴染が一ヶ月以内に死ぬなんて現実味のない話をそう簡単には実感できなかった。
僕が頭を抱えているというのに、七瀬は「大事な話ってのはここからなんだけどー」と、一気にジュースを飲み干しお構い無しに話し始めた。
「あのね、ケンちゃんにお願いがあるんだ」
「お願い?」
ふふーんと鼻を鳴らし、得意気な顔で俺を見つめた。嫌な予感がする。
「私をデートに連れてって!!」
「…………は?」
本日二度目の予想外の言葉に先程と同じ反応をしてしまう。話の筋が読めないのは昔から変わらない。その言葉の真意よりも気になることがあった。
「あのさ、デートの意味分かってるの?」
「男子が女子の好きなところに連れていくこと!」
「まあ、あながち間違いではないけど…」
悲しいことに僕は十五年間生きてきて、七瀬以外の女子とまともに話せたことは無い。まして誰かと付き合ったことなど一度もない。デートなんてものも経験するはずもない。
「そういうのって、好きな男とかと行くもんじゃないの」
「えー、そうなの?でも私、ケンちゃんのこと好きだよ!」
「それ絶対違う意味でしょ」
色々訂正したい気持ちを抑える。一つ一つにツッコミを入れていたらキリがない。
「今日から夏休みでしょ?だからね、死ぬまでに色んなところに行きたいの」
「それは分かるけど……なんで僕と?」
「んー、だって…」
「ケンちゃんは親友だから」
親友。心の中でその言葉を反芻する。腹の底から湧き上がってくる罪悪感を押し戻すかのように唾を飲みこむ。
部屋には沈黙が流れ、野外の蝉の鳴き声が余計に五月蝿く聞こえた。七瀬はずっと純粋な目をこちらに向け、ただ黙って僕の答えを待っている。とても断る気にはなれなかった。
「分かった。もう好きにしてよ」
「やったぁぁ!ありがとう!」
七瀬は両手の拳を上に突き上げ、耳に響くような高い声で歓喜している彼女をよそに、得体の知れない不安を抱え、ため息を吐く。
さて、これからどうしようか。しばらくは七瀬に振り回されることになりそうだ。
そんな考えていると彼女が残り一ヶ月で死ぬ病気を患っていることなどとうに忘れていた。
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