第43話 いわゆる一つの元サヤ


「卑怯かもしれないけど……」


 ある日、そう話しかけてきたのは海唯羽。

 俺たちの様子を見てだろうか、彼女のほうから話しかけてきた。

 室長たちに味方してたはずの彼女が、俺のところへやってきたのだ。すり寄ってくるかのように。

 気持ちはわかる。こっちのほうが和気あいあいだし、殴られないし、気楽にやれる。なにより室長連中にヤラれなくてもいい。そりゃこっち側を選ぶよな。そりゃそうだ。


 目の前で気まずそうにしている彼女は、この数週間でおかっぱだった髪も伸び、ボブカットと呼べるくらいになった。

 そのせいか、ずいぶんと可愛くなったと思う。というか卑屈な顔をしなくなって、綺麗になった。


「本当はね、違うの。私、あんなこと……」


「やらされてたんだよな。大丈夫、わかってるよ」


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


「あんなことがあったんだ。誰でも自分の身を守ろうとする。仕方ないよ。許すも許さないも無い。あの状況じゃ、誰だってそうするから」


 彼女はうるんだ瞳で、真っ向から俺を見つめる。

 よりを戻すじゃないけど、海唯羽が戻ってきてくれた。もちろん受け入れない義理はない。こっち側に来てくれるだけで嬉しいから。


 安全、尊厳、仲間、そして海唯羽……

 ちょっと遠回りしてしまったが、これで俺が求めてたものが全部揃うこととなった。願ったり叶ったりだ。

 だけど今の俺はもう、あの時のような気持ちにはなれなかった。


 この一連の出来事はずいぶんと海唯羽と俺を変えた。もう以前のような俺たちには戻れないと思う。

 でも、いい意味でも彼女を変えたとも思ってる。彼女はもう、一人で生きていけるほどしたたかになった。

 だからきっと俺がいなくても大丈夫だ。みんなの中にいるなら安全だし。

 俺は上目遣いに俺を見つめる海唯羽の頭を、くしゃっと撫でた。


「まっ!?」


「えっ!?」


 俺の行動に対し、海唯羽は変な声を上げた。赤面して取り乱してる。

 その反応に俺もびっくりした。俺、相変わらずウザかったかな?


「あっそうだ!ところであいつら、室長たちはいいのか?」


 話をそらすのに、違う話題を振る。


「もういいの!そのことについては……本当に、本当にごめんなさい!」


「いやいや、責めてるわけじゃないよ。ただ、あいつらを放っておいて大丈夫なの?」


「あ、そっか。そういうこと……」


 なんか気が抜けたら笑えてきた。二人で顔を見合わせて、笑いあった。

 お互い、もう変に意識したりしてない。だからきっと俺たちは大丈夫。これからもやっていける。


「最近あいつら、なんだかイライラしてて……あんまり」


 その彼女の話によると、室長たちは苛立っていて、暴力的になっているとのこと。

 イライラして壁を殴ったり、大声で怒鳴ったり、まるで小暮のように振る舞うこともあるので、彼女の側から拒否することもあったそうだ。


「そうか……」


 それを聞いて、やっぱりか、という気持ちが大きい。

 室長たちと指導員の距離はより近くなっている。しょっちゅう何か話をしている。それは俺たちもよく見ていた。そして行動まで似てきてるとなると、気がかりではある。


 奴らは肉の味を知ったケモノのようなもの。

 俺たち草食動物を前に、大人しくしていられるようなタマじゃない。また何かよからぬことを企んで、こちらを虎視眈々と狙っているかもしれない。

 俺たちは目の上のタンコブ、また闇討ちする計画を立ててることだってありえる。

 でも、少なくとも入所者の四分の三は俺たちの味方だ。


 みんな「もうあんな日々には戻りたくない」と思ってる。だから俺たちに合流してくれている。

 一度自由を知った人間は、二度と不自由には身を置かない。

 そのためなら痛みに耐える覚悟だってある。俺たちみんなは、立ち上がれるんだ。

 あいつらがどんなことをしてきても、この流れは止められないぞ。

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