第36話 園長、あるいは人質。


 夕食には小暮も、園長もいた。こんな時間まで監視とは、ご苦労なことだ。


 連中は俺のほうに目を向けない。俺のことなど眼中にない、自分は関係ない、って顔をしている。ふてぶてしい連中だ。俺がどんな思いをしたと思ってんだ。


 長机を出し、食器を並べ、食事の支度をしていく。

 何も知らない顔ってしやがって。待ってろよ、俺はもう何も恐れない。俺を締め付けるストレスは元から断ち切る。ここで終わらせるんだ。


「優しい社会に、豊かな世界に、園長先生に感謝!」


「いただきます!」


 号令がかかり、いざ食事が始まるこの瞬間、みんな無防備になる。

 それに合わせて俺は飛び出し、あっけに取られた園長に駆け寄った。


「動くな!!」


 ズボンの下からガラス片を取り出し、園長の首筋に突き立て、そう叫んだ。

 ここにいる全員、何がおこったか理解できず、硬直する。


「テメェ、なんのつもりだよ!」


 水を打ったような静けさの中、小暮はジリジリと俺に詰め寄ろうとする。


「動くな、つってんだろ!」


 園長のシワシワの皮膚に、ガラスのナイフが食い込む。こうしてる限りは、誰も手が出せない。

 やったぞ、園長を人質に取れた!


「こんな馬鹿なこと、やめるんだよ?」


 目の前には押さえつけた園長の頭。タバコ臭いのと皮脂臭いので、むせ返りそうだ。


「お前……後でどうなるか分かってんのか?」


「戸津床くん?我々としても法的手段に出させてもらうよ?」


 入所者が園長を脅迫してる場面を前に、園長も小暮も意外と冷静だ。

 我ながらけっこうな乱心、一生に一回見れるかどうかの修羅場だと思うんだが。

 もしかして、入所者がキレることも想定してたのか?だったら今までの仕打ちは確信犯的にやってたってことか?だったらマジで頭おかしい。


「いいか?お前らはクズだ。俺もクズかもしれないけど、お前らほど腐ってない」


 指導員を牽制するように、そう吐き捨てる。


「お前らも聞け!」


 呆然と見てる入所者たちにも。


「言っても分からないだろうが、言ってやる。全部が狂ってる。何の正当性も無いんだよ、ここには。お前らはいくら真面目に仕事をしても、頑張って奉仕しても納得しない。どんな正論を言っても握りつぶすよな?服従するまで!」


 入所者たちは、まるで別の世界の話を聞いてるかのようにポカーンとしてる。

 俺はお前らみたいなボケにも言ってるんだぞ?おい、お前だよ、お前。


「そんなに施設側の人間が偉いのか?こいつらが恐いのか?こいつらの給料は、俺たち入所者側から出てるんだぞ?俺たちが、俺がこいつらを」


「おい、立場が上の者が偉いのは当たり前だろ。お前らはただの入所者。だから、まず目上の者を敬うのがここのルール……いや、それ以前に社会のルールだ。それくらい守れ。わかったんなら、もうやめろ」


 俺の必至の訴えをさえぎる形で、小暮が口を挟んでくる。

 そんなに施設の序列を守りたいか?ふざけんな。


「何が敬うだよ!殴って蹴っての恐怖支配だろ!敬ってほしいんなら、まずお前らが尊敬されるような人間になれよ!ここも、お前らも、頭おかしいんだよ!」


 自然と声に熱がこもる。


「何が更生施設だ!規則や契約なんて、あってないようなもんだ。何が社会復帰だよ!お前らは欺瞞ばかり。ルールもなにも、まずお前らが守らねーじゃねーか!……もういい、うんざりだ。お前らみたいな悪人にならなきゃ生きていけない世界なら、人生なんて無意味だ。もう死んでもいいよ。このクソ野郎と一緒に」


 そう、場合によっては死ぬ覚悟がないと、こんなことは出来ない。本当は博巳や室長たちもぶっ殺してやりたかったんだけど、とりあえずはこんな施設の園長から消えるべきだ。


「話があるならきちんと聞くから、まずはその物騒なのをしまおう、ね?」


 しかし園長は、まだ自分のほうが立場が上だと思ってやがる。これはイラッとくる。


「何が『話があるならきちんと聞く』だよ。俺がなんと言おうと『お前はどうなんだ?』『批判する立場にない』って言って、切り捨てるんだろ?お前らの考えることなんてわかってるんだからな?だから俺が、お前らに教えてやる!」


 手品を見せられたチンパンジーのようなアホ面をしている入所者たちへ、目線を向ける。


「おい、博巳。お前が何をしたか、こいつらに何を命令されたか、皆の前で言え。それと井出と今場、虫井戸、お前らも洗いざらい吐け」


 室長たちは名指しで呼ばれ、慌てふためく。

 入所者たちもざわつく。

 そりゃそうだよな。みんな知ってるし、疑問は感じてる。今、必要なのはこいつらのやったことを自白させ、異常性を認知させることだ。


「そんなことしてもね?君の立場は変わらないよ?」

「もう終わりだ、終わり。やめろ。ガキじゃねーんだから」


 園長がそう言い、小暮はジリジリと距離を詰めてくる。


「う、動くなって言ってるだろ!」


 ガラスに力を込め、首筋に押しあてる。視界の隅で、園長の顔が引きつった。


「こいつらは目障りな俺を、室長たちにリンチさせたんだ!いつもの指導じゃないぞ?入所者同士のリンチだ!そして見返りに……女を好きにさせた」


 同じ入所者同士、いわば同胞同士で殺し合いをさせるのがこいつら。そして室長たちは実行犯。女だって容赦なく傷つける。こいつらはそもそも頭がおかしいんだよ。


「テメェ……」


 小暮は頭に血が上り、今にも飛びかからんとする様子。悔しかろう。


「おい園長。いや、伊佐坂。どうせお前がやらせたことなんだろ?」


「な、何のことだい?」


「とぼけんじゃねぇよ!喉でも切られないと喋れないか?」


「と、戸津床くん!き、君は何か勘違いをしているよ!?」


「あっそ、この期に及んでしらばっくれる感じ?最低だよ、お前ら」


 やっぱりこいつらのほうが異常だ。

 どうせ入所者同士でリンチさせることも、女の子を犯すことにも何の疑問も抱いていないんだろ?

 散々やった後も、知らぬ存ぜぬで貫き通せると思ってるんだろ?甘えんなよ。


 ちくしょう、俺はなんでこんな奴らに……なんでここまで悩まされなきゃいけないんだ。

 なんでこんな奴らに説教されてたんだ俺は。

 パトラッシュ、なんだか虚しくなってきたよ。

 

 気が抜けた。ここのところずうっと頭にのぼってた血が、ストンと落ちたような気がした。


 こいつらは殺す価値もない。

 こいつを道連れに死ぬなんて、まっぴらゴメンだ。

 もうこんなことやる必要もない。

 でも今、人質を解放してもボコられるだけだ。だからどうにかしないと。


 とりあえず建設的に考えて、ここから脱出しよう。

 今はさいわい人質をとってるから……車を出させる。

 そして街中で下ろさせて、警察に駆け込むとかでもいいかもな。洗いざらい喋って、保護を求める。

 結果的に俺も逮捕されるかもしれないが、ここにいるよりはマシだ。 


「いいか、コイツを殺されたくなかったら、俺の言うことを聞け。そうだな、まずは……」


 もうこんなバカどもは知らん。俺はここから脱出するんだ。

 クールダウンだ、頭を切り替えていこう。

 そして落ち着きを取り戻したら、急にあちこちが痛いな、これ。目も霞むし。今まで気にならなかったが、今の俺はかなり汗だくだ。

 つい無意識で顔を拭おうとした、その瞬間。


「……ッラァ!!」


 小暮が飛び込んできて、俺のナイフをふっ飛ばした。


「ッダッラァア!!」


 意味不明な咆哮と共に、殴り飛ばされ、ふっ飛ばされる俺。

 そしてすぐさまマウントを取った小暮が、拳を振り上げる。


 しまった。やってしまった。失敗した。

 こいつらがしょうもなく思えてきて、気が緩んだ。その一瞬のスキを、小暮は見逃さなかった。


 こいつはやっぱすごいわ。自分の仕事を全うすることにかけては一流だよ。

 良心の呵責は1ミリもないけど、仕事だけはきっちりこなす。俺なんかは足元にも及ばない、まごうことなきクズだ。

 骨が折れるほど殴られながら、そんなことを考えていた。

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