第29話 好機、好転。
「クワマァーーン!」
「は、はい。すいません」
今日も広間で、おばさん室長に呼びつけられる桑名海唯羽。
彼女に対する女性入所者たちのいじめは、まだ続いてる。
しかし、目につく範囲なら俺が仲裁に入るので、だいぶ沈静化していた。
でも奴らとしては、いじめのターゲットという事実が欲しいから、半ばヤケクソみたいな状態でもいじめるしかない。
まるで消えかけの火をふたたび燃え上がらせようと、無理やり風を起こしてるような状態だ。
桑名さんとしては、それに従うしかない。
「お前ら、まだやってんのか」
しかし奴らがいくら風を起こそうと、俺の炎は消えないぜ?
「もうやめとけよ。からむ理由が無いだろ」
「こいつが生意気だから、アタシたちが教えてやってんだろうが!」
「彼女が生意気なことが一度でもあったか?」
俺の至極まっとうな正論に、ムキーー!と金切り声を上げるおばさんたち。猿かな?
「どうした?入所者同士のケンカは両成敗だぞ」
その猿山を思わせる騒ぎを聞きつけ、指導員の小暮がノッシノッシとやってきた。
「いえ、大丈夫です。施設の理念に反する行為があったので、注意してたところです」
俺はつとめて冷静に、状況を説明する。
「何のことだ?それは?」
「彼女たちが、同室の生徒に過剰な『しつけ』をしていたんですよ」
しつけとは、いじめのこと。
あくまで施設内のしきたりに従って、慎重に言葉を選んでいく。
「……おい、それは本当か?」
「それは、その……コイツが生意気だから……」
桑名さんを指差すおばさんたち。俺はそれを遮るよう、すぐさま口を開く。
「彼女は入所からずっと一貫して大人しい入所者で、生意気な態度なんて取っていない。それは『先生』たちもご存知のはず」
「…………」
小暮は女たちをギロリと睨んだ。そして、俺のほうにも一瞥をくれる。
俺はこの施設に来て初めて、指導員のことを『先生』と呼んだ。
「お前ら、やりすぎんなよ」
小暮はそう言葉を残し、この場を後にした。
あの小暮が折れた。これ、ほとんど俺が勝ったようなもんだろ。
くぅ~~~また桑名海唯羽を守ってしまった!また結果を出してしまった!
深々と会釈しながら自室へ戻っていく桑名さんを、ルンルン気分で見送る。
「戸津床くん、あまり親密になりすぎるのは良くないよ」
そこへ博巳が近づいてきた。
こいつは俺たちのことをよく思ってないみたいで、ちょいちょい口を挟んでくる。今もそう。騒ぎが収まったら、すぐに近づいてきてこれだ。
室長の立場上、ってやつだろうか?風紀が~みたいな。
でも、他にも理由はあるだろう。
こいつは桑名さんのこと、ずっとジロジロ見てたから。僻みもあって口を挟んできてるはず。ま、今じゃそれも心地いいけどね。
………………
最近なんだか日常生活に張りが出てきた気がする。
その夜、自室でそんなふうに思っていた。
逃げ場がなくてしょぼくれてた俺とは違う。かといって以前の苛立ってたとのも違う。
なんつーか前向きになった?
思い起こせばあの子、桑名海唯羽に手を貸すようになってからだ。
海唯羽を助けるためならなんでも出来る。なんでもしてやりたいって気持ちになる。
まぁぶっちゃけ、彼女にカッコイイところを見せたいってだけなんだけど。でも、そのためならいくらでも頑張れる。
好意を持った女の子のために、こんな気分になるなんて知らなかった。
俺ってこんなにこんなに単純だったんだ……と思わないでもない。
どこからか気力が無尽蔵に湧いてくる。今ならいくらでも頑張れる感じがする。なんか超サイヤ人にでもなった気分だ。
この歳になって、こんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。
「フンッ!フンッ!フンッ!」
「ええっ!?どうした急に?」
部屋でいきなり筋トレをはじめて、魁斗をドン引きさせてしまうほど気力が充実してる。
こんなにやる気マンマンなのはあれだ。中学生の頃、一日に何回オナニーできるかチャレンジしたとき以来なものだ。
“彼女を助けてあげられる”という自信から、ずいぶん余裕を持てるようになったと思う。
今の俺は、暴力が全然怖くない。
朝イチ、指導員に怒鳴られての起床にもビビらなくなった。
ビクビクしないからだろうか、指導員に絡まれることも減った気がする。
「フフフ……」
ついつい余裕の含み笑いが浮かんでしまう。
「な、なに笑ってんだよ?」
筋トレしだしたり笑いだしたりする俺を、同室の人間は大いに気味悪がっていた。
このように精神のリソースが空いたようで、余裕の笑みを見せられるようになった。
怒ったりすることも出来るようになった。この施設で感情を表出できるやつなんて、ほとんどいないのに。
となると相手に反論する気持ちも戻ってきた。意気消沈していたやせたかなしい俺から、まるで勇気の鈴がリンリンリンといった案配だ!
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