三章

第24話 虚ろなる者


 あれから何も起こらないまま、さらに一月くらいが経過していた。

 その間、俺は何のアクションも起こす気がなかった。


 気力が衰え、ダレてしまったのだろうか?この施設の日常に慣れてしまったのかもしれない。考える気力すらわかない。脱出を考えても頭が回らない。以前みたいに集中できない。

 なんというか、行動力と思考力が沸かないような状態だ。でもゼロになったわけじゃない。施設での日常はこなせる範囲ではある。

 ただ自発的に考え、行動する意欲がまったく沸いてこない。まるで置物にでもなってしまったかのような心持ちだった。


 そんな俺は、指導員の小暮に「お前、ずいぶんと素直になったな」と言われ、醜くも「へへへ……」なんて愛想笑いしてしまうほどだった。

 自分でもそんな態度は良くないと思う。

 だけど、こんな時にどう反応をしたらいいかわからないんだ。

 以前の自分が、こんな時にどんな顔をしていたか、どうしても思い出せない。



………………



「オラァ!全員集合だゴルァ!!」


 くもり空の薄暗い日、唐突に小暮の怒鳴り声に呼び出され、広間に集められた。みんな折り目正しく正座して待っている。

 いったいこれから何をされるのか。

 こないだの小学生の件もあるので、ビクビクしながら待っていると、隣の魁斗がつぶやいた。


「新入生かもしれないな」


 ああ、そうか。新入生が来るってこともあるのか。

 そういえば俺がここに来たときも、みんなこうやって正座して待ってたな。

 すると玄関先からキャンキャンわめく声が聞こえた。ものすごい剣幕だ。

 で、連れてこられたのは、まだ若い、髪の長い女の子だった。まだ十代だろうか?


「いやいやありえない!ほんと意味わかんないから!なんなのここ!?」


 連れてこられた子は喋り方からしても若い感じ。ほんと高校出てすぐくらいの歳。

 パーカーとショートパンツという、しまむらで買った感まるだしの部屋着のまま連れてこられてる。


「What the f○ck are you doing!?」


 その彼女は、急に耳慣れないトーンで喋りだした。

 「え、英語?」と、一同は面食らってるが、俺にはわかる。こいつはたぶん……痛い子だ。


「私たちはこの『かがやきの国』の先生たち。引きこもりだった君を、一人前の人間に育て直す者だよ?」


「ハ、ハァ?私が?ここで?」


 ずいぶんと威勢がいい彼女だが、『引きこもり』と言うフレーズにギクッと顔をひきつらせた。

 それを俺は見逃さなかった。


「私はそんなクズじゃないし!Streamingすれば稼げるし、芸能事務所からの声もかかってるんだけど?今も配信を待ってるファンだっている!こんなことしてたら……私のlistenerたちがここを特定して、炎上させるよ?いいの!?」


 彼女は自らを配信者と言い、その威光を振りかざした。

 俺にはわかる。この子は困惑し、取り乱してる。焦って虚勢を張っている。

 おそらくだが、事務所とかファンとかもフカしてる。

 それをニヤニヤしながら眺める俺。その瞬間、気づいた。


『そうだ、俺も同じだったんだ』


 俺もここに来た時、虚勢を張って取り乱したんだ。そして他の皆がニヤニヤ笑ってた。今度は俺がニヤニヤする側に回ってるんだ。


「私は必要とされてる!引きこもりじゃない!こんな気持ち悪い所、いられるわけないじゃん!」


 彼女はそう言って入所者たちを一瞥した。てか気持ち悪いって俺らのこと?


「うちの親がなんて言ったか知らないけど、私はもう帰るから!」


 出入り口の方へ向かって歩いていく。園長と小暮がドアの前に立ち、それを制止した。


「何が先生だよ!このヤクザ!!」


 今度はイカツい風貌の小暮を、真っ向から睨みつける。この子、もしかして俺より強情っ張りかもしれないな。


「帰るのは駄目だよ~?それと、先生たちを馬鹿にするのも駄目だよ~?」


 園長はニコニコしてるが、目が笑っていない。

 俺にはわかる。指導員たちはもう本性を表す寸前。このままいくとキレるのは時間の問題だ。ここからどう突き落としてやるかを考えているだろう。

 ここはそういう場所。しかし彼女はそれを知るはずもなく……


「Get lost away!」


 パシン!


 道を塞ぐ園長に対して、手を上げた。見事な平手打ちが決まった。


「あっ……」


 広間の時間が止まる。やってしまった。皆が息を呑む。


「ずいぶん暴力的だね?教師に危害を加える子は、強制的に黙らせなきゃいけませんよ?」


 園長はそう言って合図を出し、小暮が彼女を見下ろす。


「な、何よ?」


 彼女を待っていたのは、小暮による圧倒的な制圧。

 壁際から思い切り突き飛ばされ、広間の中央まで吹っ飛ばされる。体重が軽い女の子は、面白いほどすっ飛んだ。


「これからお前の、過剰な自意識を叩き出すからな」


 小暮はそう言いながら、彼女のもとへ歩み寄る。


「……ひぃぃっ!」


 それから反射的に逃げようとするが、すぐに捕まり、髪の毛を引っ張られる彼女。


「やめ……っ!私っ、違うん……だって!」


 彼女には彼女の積み上げてきた人生がある。その中で形成されたプライドがある。だから存在を賭けて抵抗する。

 だけど暴力の前に、そんなものは関係ない。無思慮だから暴力なのだ。華奢な彼女が倒れ込むほどのビンタを食らい、そのまま顔を床にゴリゴリ押し付けられる。


「あっ、がっ……ちょっ、ほんとに、誰かっ、警っ……察……」


 助けを求めようとしても、この空間には誰も助ける者はいない。

 揺り起こされたかと思えば、バチーン!バチーン!と平手で顔を殴られ、息も絶え絶えだ。


「オラァ!テメェ!自分の立場分かってんのか!!」


 小暮は広間中に響き渡る声で、彼女を怒鳴りつけた。

 眼前で凄まれた彼女の顔は、恐怖に引きつっている。瞳孔が収縮し、悲鳴を上げる声も出ない様子。

 ふと小暮が目線を落とした。つられて床を見ると、彼女は失禁していた。


「この桑名海唯羽さんは、中学から不登校で、5年間引きこもりの18歳。自分をネットアイドルだと偽り……」


「あ、あっ……!」


 桑名海唯羽と呼ばれた彼女は、プロフィールを読み上げられて口をパクパクさせる。

 これはたしかに恥ずかしい。俺もやられたからわかる。

 そして彼女は、とっさに園長の読んでいる原稿を奪い取ろうと手を伸ばすが、小暮がそれをさえぎる。とたんに彼女は身をすくませた。

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