第19話 特別なカリキュラム part1


「……んんっ」


 格子付きの窓から、薄暗い三号室に差し込む朝日で目がさめた。

 こうやって目覚めるのも、もう十回どころではない。一ヶ月くらいになるかもしれない。

 そんな一ヶ月目になっても慣れない。相変わらず気分は最悪。これから施設での日課が始まるのかと思うと、げんなりする。


 それもそのはず、今朝も巡回に来た小暮に「なんだその布団のたたみ方!そんなんだからクズになるんだぞ!」と殴られる。

 布団のたたみ方が人格形成に関係するなら、ベッド派は全員クズってことになるぞ?と思いながら布団をたたみ直していると、「態度が素直じゃない」とさらに殴られた。

 うん。今日も朝から頭おかしくなりそう。


 そんな場所で、俺はいまだに脱出する方法を見つけられずにいる。


 まだ心の折れてない、脱出する気まんまんマンの俺は、鍵を奪って脱走……その後、警察の保護を受ける!という案を考えていた。

 これは協力者が複数いれば簡単に成功しそうな作戦である。

 しかしその協力者のうちの誰かがチクるかもしれないのだ。っていうかその可能性が非常に高く、到底実行できるものではないことがわかった。


 他には仮病を使って指導員を騙し、外界に出ることも考えた。

 病院に運ばれ、診察を受ける時にスキを見て脱走、警察の保護を受けるプランだ。しかし、これには医務室担当の坂田先生を騙す必要がある。


 唯一の女性指導員である酒田先生は優しい。そのうえパートで来ているだけの一般人。

 彼女の診断からの病院→脱走のコンボを決めてしまうと、確実に彼女の立場が悪くなる。今の生活が無くなるかもしれない。いじめられるかもしれない。

 酒田先生に優しさをかけられた俺だ。だから「彼女には迷惑をかけられない」と考えてしまう。あんな連中にいじめられたら自殺モンだし。


 そんなこんなで、俺の脱走計画には、何の進展もないのだった。

 そうして時間ばかりが過ぎていってる。


 午前の勉強の時間。今日も広間に集められた入所者たち。

 しかし今日はなんだか様子が違う。

 いつもの人を小馬鹿にしたような、小学生向けの問題集がない。


「これからお前たちには、ディスカッションをしてもらう」


 小暮が前に出て、そう告げた。いつもの勉強じゃないらしい。


「またこの時が来たかのか……!」


「な、何を臆することがあるんだ。これは、僕たちのために必要なことで……」


 なんだ?みんなの様子がおかしい。何をビビってるんだ?


「この授業は、お前らのこれまでの人生を省みる授業だ。何がいけなくて引きこもりやニートになってしまったかを考えろ。そして、ここでの生活を通して自分がどう変わりたいかを、同室の仲間と話し合え」


 指導員の話では、今日やることは自分の非を考える授業。それをみんなと話し合っていくのが課題ということだった。

 本を読み、話し合って自分の過去の過ちと、直したい心の歪みを作文するのだという。


「今週末に発表だからな」



 そして週末に、その作文を発表するのだそうな。なんとも面倒なイベントだ。

 小暮は「偉い学者たちの本を読んで、自分の間違いを認識しろ」と言って沢山の本を用意していた。

 それらの背表紙のタイトルをざっと眺めてみる。


『現代の病巣・甘えという病』

『スパルタ教育が日本を再生させる』

『人権をなくせば子供は勝手に歩き出す』


 そこには頭痛薬が欲しくなるようなタイトルが並んでいた。

 ここに来た頃、園長に「これを読んで、自分の曲がった自意識を直すんだよ?」と言われてた本たちだ。「誰が読むかよ」と心の中でツバを吐きかけた本たち。


「戸津床くんは初めてだったよね。僕たちが教えるよ」


 困惑する俺を前に、博巳がそう言ってきた。


「いやいや、俺は別に必要ねぇし」


「ハハハ、また公太郎の意地っ張りが始まったぞ」


「――――ひとりじゃ、無理だよ」


 皆、なぜだか笑ってる。

 いやいや、何が可笑しいんだ?


「まぁまぁ、僕たちもやってきたことだからさ。悪いようにはしないよ」


「い、いいって。俺は一人でやるから」


 癪に障る。なんだよ、みんなして俺を取り囲んで。


「あのな、お前の作文の出来が悪かったら、連帯責任で俺たちまで罰を食らう。だから一人じゃやらせらんねぇんだよ」


「なんだよ。そのめんどくせぇの」


「大丈夫。僕たちは何回もやってる、きちんと教えるから」


「ハァ……わかったわかった、わかったよ」


 クソみたいな授業だが、やるしか無いのか。


「じゃあまず最初に、自分を見つめ直そう。あ、メモも忘れずにね。それで戸津床くんはここに来るまで何をしてきたの?」


「あぁ?……ニートだよ」


「公太郎、お前は何か夢とかあったのか?本気で取り組んだこととか」


「……ネトゲ」


 この授業は、こんな話をしなきゃいけないのか?これもう尋問だろ。


「――――な、なんで、引きこもったの?」


「決まってるだろ、社会も人間もクソだからだよ。お前らと同じだよ」


 そして、なんで俺は同室の奴らに半ギレなんだろう?


「戸津床くん、その考えは間違ってるよ!」


 ちょっとイライラしてた俺に対し、博巳が熱っぽくそう言った。


「日本は自己責任の国だろ?自分の身に降り掛かったことは、それまで生きてきた自分のツケ。それを他人の責任のせいにするから駄目なんだ」


 魁斗もそれに乗っかって、俺の考え方を責める。


「いや、でも、引きこもるには、いじめられたりって原因があるわけで……」


「いじめられた?それは弱者には弱者のオーラがあるからいじめられるんだよ。いじめられる側にも問題があるんだ。自分に都合のいい解釈をしてちゃダメだよ」


「えぇ……?お前ら、大丈夫かよ?」


 なんか今日のこいつら、様子が変だ。

 この授業では魁斗や博巳が、俺に忌憚のない意見を飛ばしてくる。意見が正しいか間違ってるかなんて無視して、まるで俺を攻撃しに来てるかのようだ。


「――こ、この授業は、逃げない心を、つ、作るものなんだ。だから――――批判から、に、逃げちゃダメだよ」


 この時ばかりは、いつも呆けてる坊ちゃんですら俺に意見する。


「そうだよ戸津床くん。現実を見よう」


 俺が何を言おうと全否定するつもりのように感じる。なんなんだよ?


「ああそうだよ。俺は自意識を守るために、全部他人のせいにしてるかもしれない。プライドに凝り固まった甘えた人間だからな。これでいいんだろ?」


 だったらいいよ。表面上だけでも認めてやるから。


「うん、そうだ。この授業はまず、自分の間違いを認めることから始まるんだ。それじゃあ……とりあえず、このへんの本を読んでみて」


 あっそう、そういう感じ。なるほどね。

 そして一転してディスってこなくなった博巳が、本をピックアップした。

 さっきのクソみたいな本の中のうちの数冊だ。こんな本を見てどうしろと?


 俺は苦虫を噛みつぶしたような顔で本をめくり、そこに書かれているフレーズをチラ見していく。


『日本人は本当の精神的苦痛を知らない』

『全ては自己責任。世の中のせいにするな!』

『自意識を持たないことが日本人の自然な姿』

『精神疾患は甘え。発達障害は甘え病』


 うっ……めまいが。

 頭の中に焼夷弾でも落ちたんじゃないか?と疑うほど香ばしいフレーズの乱舞に、思わず意識を失いそうになる。


「じゃあ、ゆっくり自分の人生と照らし合わせてみて。そしてまた話し合おう」


「はいはい……やればいいんだろ」


 テキトーにやる。一時的に周りに合わせるだけ。

 こんなの本気でやってたら頭おかしくなる。この本に書いてあるようなことを、ちょっとアレンジしてやればいいだけだ。

 俺のルーチンワークセンサーが囁いている。『甘え』とか『自意識』とか『人権』をディスればいいんだ。簡単なことだ。


 気が進まないけど、やらなきゃいけない。

 ここから脱走するためには、なるべく悪目立ちしたくないから。こんなアホな課題はサッサと終わらせたい。

 俺は意を決して本のページをめくった。

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