第13話 引きこもり支援施設の暮らし part1


 ここに来て十日以上、もしかしたら半月くらいが過ぎたかもしれない。

 本来、こんなところにいるべきじゃない俺は「今日こそは……今日こそは脱出する!」と思って日々を過ごしている。だから事細かに日数なんて数えていない。

 どうせすぐシャバに戻るんだから、そんなの数える必要もないってわけだ。


 そんなある日の朝。朝食の後、俺たちはいつものように広間に集まっている。午前中は勉強をすることになっているからだ。

 この日もいつもと同じように、問題集のコピーを与えられた。


「社会復帰のためには、読み書きや計算が必要なんだぞ?」


 そう言って新羽が持ってくるのは、漢字の書き取りや計算問題。いずれも小学校でやるレベルのもの。


「最低限の常識もないお前たちには、必要な勉強だからな」


 こいつらはナメくさってる。義務教育を受けたなら誰でもできるようなやつだ。こんなのやっても何の役にも立たない。それが俺たちに必要って、ほとんど侮辱だろ。

 だけど、そんな問題集でもやらないといけないのが、入所者のつらいところ。

 指導員に殴られないためには、どんなに低レベルなものでも頑張ってやってる体裁を取らなきゃいけない。

 だが、その退屈さときたら想像を絶する。

 普通にウンウン悩みながらやってる魁斗が羨ましい。


 もしかするとこの勉強の時間は、簡単な問題を与えることで相手をバカ扱いし、自尊心を貶めることが目的なのかもしれない。

 現に子供がやるような算数ドリルを渡された時、ものすごい憤りを感じたし。


 しかしこいつらときたらどうだ。俺以外の入所者十数人を見ると、漢字の書き取りや算数ドリルを嬉々としてやってるじゃないか。

 しかも、ただこなすだけじゃない。きれいな字を書くことに執心したり、算数ドリルを解いていくスピードを競ったりしてドヤってる。明らかに熱中している。


 こいつらはアホ。確定的にアホ。

 バカ扱いされて真面目にやってるとか、救いがたい。何のつもりだよ、それじゃバカのつもりじゃないか。

 これなら不真面目なやつのほうが、まだ真っ当な人間だ。


 しかしこいつらが真面目にやってるのは、このあとのためかもしれない。

 後に控えている厄介事のため、今この時を少しでも楽しんでおこう、と思ってる可能性がある。


「よし、これで勉強の時間は終わりだ。次の準備をしろ」


 勉強のあとの時間とは、反省の時間。 


 新羽に準備するようにうながされ、長机の脚を折りたたんで広間の隅にしまう。そして今度は俺たちが広間の中央で足を折りたたむ。

 そうして十数人が一同に正座し瞑想するという、僧院もかくや、といわんばかりの光景が完成する。


「今日もじっくり反省するんだぞ」


 この時間は、正座させられながら、じっくり自分と向き合う時間。

 自分のやったこと、どれだけ周囲に迷惑をかけたか、を反省するという時間なのだ。もちろん俺も正座させられている。

 この時間は、とにかくずっと正座。日によっては午前中を過ぎ、午後まで食い込むことがある。


「……ぐぎっ」


 足の痛みとしびれに、思わず顔が歪んだ。最初の三十分は本当につらい。

 こんな苦行が待ってるから、みんな少しでも午前中を楽しもうとしてる。その結果が算数ドリルにかじりつく青年たちの図なのかもしれない。


 この時間、最初の頃はガチでつらかった。

 最初の頃なんて足の痛みで転げ回った。

 でもうっかり正座を崩そうものなら、反省の時間を延長させられる。このあとの昼飯をヌキにさせられることもある。もちろん連帯責任で同室の連中が全員。だからやらざるを得ない。


 十日以上にもなると、その痛みもいくぶんか麻痺していた。

 正直、耐えられないほどではない。むしろ、これがまるごと無駄な時間である現実がつらい。ひたすら苦しいだけで何もない。空虚なだけの時間だ。最終的には、虚しさとの戦い。


「…………」


 その間、指導員は竹刀を持って、ずっと監視している。

 この時間はいつも一人だ。足が自由にならない連中なんて、一人でも充分ってことか?

 指導員の新羽はパイプ椅子に腰掛け、ずっとスマホをポチポチやっている。完全にナメられてる。

 そんなのの言うことに従って、何時間も正座してる入所者たちも大概だ。


 でも彼ら入所者は、俺よりずっと前から殴られ、脅されてきている。

 そんな生活をするうちに心が折れ、指導員たちの言いなりになってしまったのだろうか?


 そんな中で俺は、自分が『自分で思ってたよりタフだった』ことに驚いている。

 俺はまだ自分を失ってない。

 この施設のクソさを客観的に見ている自分がいる。

 今はさも入所者の一人であるかのように生活しているが、それは奴らをあざむくため。ここから脱出する意思は消えてない。


 でもさすがに、あいつら指導員が繰り出す暴力は怖い。あいつらの一挙一動にビビってしまう。それはみんな同じだ。同室の三人もそう。


 …………チラッ


 隣で正座させられてる魁斗を見る。横目で。

 魁斗はヤンキーだ。態度や口調でわかる。あとなんか顔つきも。

 聞いた話ではヤンキーはヤンキーらしく非行をくりかえし、困り果てた親によってこの施設に入れられたとのことだ。

 そんな魁斗でも、ここで繰り広げられる理不尽な暴力の前に心が折れたのだろう。指導員の言うことには抵抗していない。


 室長の博巳は、指導員たちに恭順を示し、施設の理念についての理解が深い。というよりは、かなり心酔している部類に入る。

 俺が「理不尽すぎるだろ」と、ちょっと不満を漏らしただけでも博巳は「そんなことない!それを乗り越えてこそ、立派な人間になれるんだ!」と声を荒げるほど。

 そんなんだから、この部屋の室長を任されるに至ってる。


 坊ちゃんは、その面長のぬぼーっとした顔の通り、いつも呆けている。

 だから基本的に言動が2~3テンポ遅い。なのでいつも割を食っている。

 そんな彼、ここに来た時には百キロオーバーの巨体だったそうだ。しかし過酷でストレスフルな環境のもと、ガリガリにやせ細ってしまったのだという。

 急激に痩せたため、ところどころ皮膚が余ったその姿は、修学旅行で見た上野動物園のゾウを連想させた。大きな図体とは裏腹に、なんとなく「このまま殺処分されてしまうのではないか?」といった儚さを感じさせる、もの悲しさをたたえた男だ。


 そうだ。坊ちゃんだけじゃない。俺たちはいつも「殺処分されるのでは?」という心配を抱えながら生活しているんだ。

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