9.この道を選んだ

どうして、あんなに大切なことを忘れていたのだろう。

幼い頃からの癖で、優人、という名前の僕をまーくん、と呼び。

夕日が差す階段で、昔からずっと僕を好きだと言ってくれた、彩花との大切な記憶を。

しかし同時に僕は向き合わなければならない。

僕を好きだと言って、いつも僕の言葉を聞いてくれた、滝さんと。

滝さんはあの後、僕に返事を求めることもなくいつものように席に座って本を読み始めた。

どちらも選ぶことができない大切な人だ。

けれど、僕の心はもう決まっているような気がする。


四度目の現代文の授業が始まる。

何度も受けていて、本文すら暗記し始めているぐらいなのに、どうしてなのか今日は酷く新鮮に感じていた。


「……滝さん」

「何かしら?」

「いつでも正しいものは答え——僕は答えを出すよ」

「楽しみにしているわ」


それから、先生から隠れて静かに他愛もない会話を交わす。

僕も滝さんも四度目なので、暇を持て余しているのだ。

好きな本の話をしている間に、授業は終了の時間をむかえていて、今までの中で一番この授業を短く感じた。


体育の時間、やはりボールに当たることは避けたいので、前回のループと同じ場所で真とパス練習をする。


「なんかスッキリした顔してんな、優人」

「まあね、色々あったんだよ」

「んだよー、幼馴染の俺に隠し事かー?」

「すぐにわかるよ」


また僕の表情一つで心を読まれてしまったのが悔しくて、不思議そうな表情をしている真に、少し強めのパスを出す。

それでも軽々と止められてしまうので、つくづく僕はこの幼馴染には適わないのだと思う。


一日の終わりを告げるチャイムが鳴る。

いつもなら僕はここで滝さんに挨拶をして、彩花が呼びに来るのを待っていた。

けれど、今日は違う。


「滝さん、今時間、いいかな?」

「……ええ」


どのループを思い返しても、こんな表情の滝さんは見たことがない。

僕は屋上へと滝さんを連れて向かう。

ここの屋上は基本立ち入り禁止なのだけれど、今回は天文部に頼んで、屋上の鍵をあけている。つまり、自分たち以外には誰もいない。


「こうやって滝さんと二人で風に吹かれてると、違う世界に来たみたいだ」

「連れてきた本人がそういうことを言っているのもどうかと思うけれど、確かにそうね」


風に靡く髪を抑えながら滝さんは屋上からグラウンドを見下ろす。

けれど、その視線の先はどこか遠く、目の前の風景は何一つ写っていないように見えた。

静かに息を吸い込めば、どこからともなく爽やかな檸檬の匂いが風に乗って、鼻腔をくすぐる。


「まずは、このループの終わらせ方を教えてくれて、僕の話を聞いてくれてありがとう」

「大したことじゃないわ」

「僕にとってはとても大きなことなんだよ」

「けれど、やはり私はお礼を言われるようなことは一つもしていないわ」


息を大きく吸い込む。


「僕は、滝さんの謙虚なところや、優しいところが好きだ」


声が震えることはないし、言葉が詰まることもない。僕の心は決まっていたのだ。

それも、とっくの昔から。


「けど、それはきっと友達としての好きであって、僕は……恋愛対象として、本堂彩花が好きだ」


これが、僕の答え。

このどうしようもない六月十五日を終わらせるための決意だ。


「ありがとう、平野くん……それじゃあ、また明日」


そう言って滝さんはどうしようもなく、綺麗に笑った。


教室の扉を開けると、窓側隅の僕の席に頬杖をつきながら彩花が座っていた。


「遅いよ〜、どこ行ってたのー?」

「ごめん、ちょっと用事があって」

「そっかぁ、用事なら仕方ないか! ねぇ、今日私、部活無くなったからさ、一緒に帰ろ!」

「うん……あ、本屋寄っていってもいいかな?」

「いいよー! じゃあ真には悪いけど先に帰っちゃおっか」


彩花は素早く携帯を操作してから席を立つ。

どうやら真に先に帰ると伝えたようだ。

そのまま彩花は歩き出す。その横に並ぶようにして僕も歩き始めた。


「ねぇ、まーくん、私ね何だか忘れちゃいけないことを忘れてるような気がするんだ」

「忘れちゃいけないこと、ね」

「そーなの、断片的だけどなんか感じるんだよね……あれ? 私今ものすごく電波系? やばい?」

「いや、僕も今から大切なものを見つけにいくところなんだ」

「ふーん、大切なものねー、どんな本なの?」

「ん? ああ、そうなるか、そうだね……誰がどう読んでもハッピーエンドの本だよ」


夕暮れに影が広がる。雲が太陽を隠し始めたのだ。

僕は、他愛もない会話をしながら、滝さんの言葉を思い出していた。

このループを終わらせるための方法、というやつを。


「もうすぐ本屋に着くよー、見つかるといいね、その大切なもの!」

「うん、見つけるよ」


不自然に何かが揺れる音が響く。

古ぼけた看板が運命に、決められた未来に従って落下してくるのだ。

彩花を抱き寄せる。

その時、僕の脳内では滝さんの声が何度も繰り返されていた。


——解決法を教えて欲しい

——いいわよ、それは……それは、本堂さんと一緒に死ぬこと。


それがこのループを、終わらせるための方法だと、滝さんは確かにそう言った。

彩花を抱きしめて、耳元で僕はたった三文字を囁く。


「好きだ」


看板が僕らを覆う。

けれど、彩花を死に誘う嫌な音を聞くことも、彩花からの返事を聞くこともなく、僕の意識はただ幸せなまま堕ちていった。

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