7.君の逃避も紐解く
まず、今日の現代文の時間。三度目の現代文なんて、暇で仕方がない。三度目ともなれば、もはや呪文のようにすら感じる。
上手く乗り切らなければならない。
いつもなら寝てしまうのだろうけれど、あの場面を夢に見そうで、ただ怖かった。
委員長の合図で授業が始まる。僕はそれと同時にルーズリーフを取り出す。
前回寝ている僕に気づかなかったということは、今回も何をしていようと気づかれないということだ。
今日起きることと、気になっていることをひたすら書き出していく。
「板書ではなさそうね」
「大切なことを、ちょっとね」
いつの間にかルーズリーフは裏も埋まっていて、そこには僕の覚えている範囲の今日の出来事が細かく書き込まれている。
時系列順に箇条書きにされた部分、黒く染まりそうなほど書かれているそこには、不自然な空白があった。
どうしても思い出せない。忘れている、というよりは、元から無かった、という方が正しいぐらいに綺麗さっぱりと。
結局、その部分は埋めることが出来ないまま授業の終了を知らせるチャイムが鳴る。
「次は体育ね」
「そうだね、早く着替えないと」
そう言いながら、僕の頭の中ではこれから起こることをどう回避するかで溢れていた。
パス練習をしている時に、ボールに当たったはずだ。
これを回避するのは簡単で、要はパス練習する場所を変えればいいだけの話である。
「なあ、なんかあったのか?」
「え?」
唐突に真が真剣な声で話しかけてくる。
その言葉があまりにも核心をついていたので、僕は思わず間抜けな声を漏らした。
「いや、別にいつも通りだよ」
「……ま、妙な詮索はしねぇけどさ、なんか悩んでることあんならすぐ言えよ?」
「そうするよ」
僕は綺麗に微笑んでみせる。
長い付き合いの真にはこれだけで通じるはずだ。これは、僕の、僕だけの悩みであるべきだということが。
「ところで真、今日って傘持ってきたりしたか?」
「ん? あー、持ってきてるぜ、なんか彩花のヤツが持ってけってさ」
「そっか、良かった、僕も丁度今日は持ってきてたんだ」
実に平和に体育の時間を終える。
途中、どこかにボールが飛んでいくというハプニングはあったみたいだけれど、そこでパス練習をしていた二人は見事にそのボールを避けたらしい。
ここからだ。ここからが、本番だ。
一日の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
放課後特有の喧騒が広がっていく中、僕は震えそうになる体をなんとな平常通りに保ちながら帰りの用意を済ませた。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
いつものように滝さんと挨拶をする。
声は震えなかった。
ルーズリーフの空白を思い出す。僕がどうしても思い出すことが出来なかったのは、雨が降り出す帰り際までの放課後、何をしていたかだ。
滝さんと挨拶を交わした後、記憶はどう辿っても帰り道にしか繋がらない。
帰り道にいくまでの放課後、何をしていたか思い出せないのだ。とても、とても大切な記憶だったはずなのに。
そこまで考えて、扉を開くため手をかけようとしたところで、扉が勢いよく開く。
「おーいっ! 彩花さんが呼びに来てあげたよー!」
「彩花、今日は部活無いのか?」
「そーなの! なくなった!」
「あのさ、今日本屋に寄りたくて、真には悪いけど二人で帰らない?」
「え? あ、うん! いいよ」
別にこういうことは長い付き合いの中でさほど珍しくもない。
時間もずらした。本屋のある方向ならあの場所も通らない。
大丈夫、大丈夫なはずだ。
それに僕は、彩花に聞きたいことがある。
少し曇っているが、まだ雨の降っていない空の下、僕らはゆっくりと歩きながら本屋を目指していた。
「聞きたいことがあるんだけど」
「んー? 何?」
「なんで今日、雨が降るって思ったの?」
本来繰り返していないはずの彩花が、今日雨が降ることなど知りようがないはずなのだ。
知っていては、いけないことなのだ。
しかし、僕が予想していた答えとは裏腹に、彩花は軽く笑った。
「それね、なんだろ、こう、あるでしょ? 胸がざわつくってゆーか、なんてゆーかそんなの! 私、勘は大切にしてるの」
「本当に?」
「もー、私の勘が信用できないってかー?」
そう言った彩花の顔に嘘は見えない。
彩花が自分の運命を知らないことに、心底安堵した自分がいる。
聞こえないように、独りで自嘲気味に乾いた笑いを漏らす。
「もうすぐ本屋着くよー、何買うの?」
「特に予定はないんだけど、眺めてれば見つかるよ」
余りにも順調に行き過ぎていた。
些細な事を変えることができたせいで、車が通ることができるような場所ではなかったせいで、僕はどこかで思っていたのだろう。
不自然に、何かが揺れる音がする。
音のする方向を見れば、恐らくもう使われていないであろう店舗の古ぼけた看板が今まさに落ちてくるところだった。
「彩花!!」
咄嗟に彩花を突き飛ばす。
自分がこの後どうなるとか、そんなことを考えられるほどの余裕はなかった。
ただ襲ってくるであろう衝撃に身構える。
しかし、その衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
——看板が、僕に当たる直前、あまりにも不自然に、それでいて何よりも自然に、その軌道を変えたのだ。
本堂彩花の、いる方へと。
嫌な音を引き連れて、看板が地面に落ちる。
ぽつり、と水滴が頬を撫でて、アスファルトを濡らしていく。
雨が降り始めたのだ。
僕はどこかで思っていたのだろう——本堂彩花を救うことができる、と。
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