6.ビデオテープを巻き戻した
六月十五日、金曜日、朝。
朝早くにセットしたはずの目覚ましよりも随分早くに目が覚めた。
うるさく鳴る心臓の音に気付かないふりをしながら、携帯で日付と、時間を確認する。
「戻って、る」
汗が頬を伝う。
風呂に入ろうと決めて、布団から出る。
目覚めるには早い時間だったけれど、もう一度寝ようという気分にはなれなかった。
汗を流して、学校の用意を済ませて。
それでもまだ家を出る時間までには充分なほど余裕があった。
本当に、時間が巻き戻っているのか。
信じられないけれど、嫌になるほど鮮明に僕は今日の記憶を覚えている。
「あら? 今日は珍しく早いじゃない」
「うん」
「アンタ、毎朝そうやって早起きすればいいのにねぇ」
「うん」
母も起きてきたばかりだというのに口煩さはいつも通りだ。
どこか夢見心地で、本当は今も夢の中なのではないかと不安になる。
しばらくは朝のニュースを見ながら時間を過ごしていた。けれど、どうしても落ち着かなくて、僕は通学鞄を掴み、幼馴染二人に今日は先に行くという連絡を入れ、家を出る。
もちろん、傘は忘れずに持って。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
通学路に賑わいはない。
雲一つない空が、現実味をもたないまま広がっている。
無言で歩いてきたからか、いつもより短い時間で学校に到着した。
学校の中に活気はない。この調子だと教室にも人はいないだろう。
そう思いながら、教室の扉を開く。
「おは、よう」
「おはよう、今日は随分早いのね」
思わず、声がつまってしまう。
柔らかな光と、静かに吹く風の中、彼女は、滝さんはいた。
時計を見れば、やはり、まだ登校するような時間ではない。
「滝さん、早いんだね」
「そうでもないわよ」
そう言って、滝さんは手元の本を閉じる。
もしかして僕が来たからだろうか。
いまだに夢から覚めきらない気分の僕には、その行動ですらどこか遠くで起きているように思えた。
だから思わず、声に出た。
「滝さんは、今が夢ではないと言い切れる?」
「ええ、勿論よ」
澄んだ、よく通る声。放課後交わす挨拶のように、ただ単純な返答。
普段聞いていれば、聞き流しても仕方がないと言えるほど呆気ない答えだった。
「ここが夢なら、私はきっと、こんなに臆病ではないわ」
「臆病、ではないと思うけど」
「いいえ、私はとても臆病よ……いつでも、自分が傷つきたくないだけ」
そう言い切る滝さんは、とても臆病なようには見えない。むしろ、今の状況に恐怖し、夢だと逃避している僕の方こそどうしようもないほどの臆病者だ。
思えば、今回は三度目の六月十五日。
二度目の六月十五日は、結局全てを夢だと逃避して過ごし、そしてその結果、僕はあの災厄を、見過ごすことの出来ない最悪を、回避することができなかった。
いつまでも、逃げているわけにはいかない。
「それで、私とこんな会話をしているけれど、それでもまだ夢の中かしら?」
「いや、もう覚めたよ、ありがとう」
「いつでも正しいものは答えよ……それが、どんなものでもね」
「答え、か……確かに、どんな事象にも必ず答えはあるはずだ」
幾つか気になっていることがある。
二度目では目を背けていたようなことが。
「滝さん、ありがとう」
「私は何もしてないわ」
滝さんは手元の本を開き、今朝来た時のように読み始める。
その様子に、僕は滝さんらしい、と笑みをこぼした。
時計の針は思ったより早い時間を示している。
それを確認してから、僕は自分の席に座って、本を取り出した。
前に一度読んだことのあるこの本の結末は、ハッピーエンドだ。
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