空からの迎え

 ショックで俺が固まっていると、その間に、梶本は階段を上り始めた。行ってはいけない――そう思っているのに身体が動かない。菊川雪乃、というか、彼女だった青緑のゼリーから10本近くの触手が現れる。それは梶本を迎えるように、奴のほうに伸びていった。


 行っては駄目だ、梶本――。そう言いたいのだが声が出なかった。身体も不自然に動かない。ゼリーからは濃い青のオーラが湧き上がっている。どうして身体が動かないのか、俺は焦り始めた。これも菊川雪乃の力なのだろうか。隣を見ると、白石も苦悩の表情をしている。彼女も動けないんではないかと俺は思った。


 梶本はゆっくりと階段を上っている。触手はうごめきながら、さらに伸びる。ついにほとんど触れるほどになった。歓喜の声が聞こえてきた。菊川雪乃の声だ。


「嬉しい――。私と一緒に来てくれるのね。そう、私は信じていた。あなたが裏切らないことを。私は――私たちは――」


 しかし、その瞬間、上空の巨大な物体から再び光が放たれた。光に打たれて、ゼリーは身を震わせる。触手が引っ込められた。梶本の身体も止まる。


 俺は、自分を押さえつけていた何かが、弱まったように感じた。腕に力を込めてみる。動く。それを知ると同時に、俺は梶本へ向かって走っていった。隣の白石もだ。二人で先を争うにように階段を上る。そして、ぼんやりしている梶本を捕まえて、力づくで下ろした。


 触手は今度は上空へ、謎の巨大物体へと向けられ、声は歓喜から怒りへ変わっていた。菊川雪乃の抗議の声が辺りに響く。


「どうして邪魔をするの。そう、規則があることは知ってる。でも私たちは愛し合って、誰も私たちの仲を引き裂くことは――」


 怨嗟に満ちた声はそこで途切れた。またも上空から光が放たれたのだ。今回は、今までとは比べ物にならないくらい大きな光だった。辺りが真っ白になる。俺は衝撃を受け、よろめき、そして意識を失った――。




――――




 次に気付いたときは病院のベッドの上にいた。親や教師やらが集まっており、説明されたところによると、俺たちは、俺と白石と梶本は、クラブハウスの側で倒れていたらしい。たちまち救急車が呼ばれ、学校は騒然とした。病院へ運ばれ、しばらくして、意識が回復した、そうだ。


 検査をしても、倒れた原因はわからなかった。たぶん、熱中症のようなものだろう、ということになった。暑い日だったし。あまり日向にいてはいけない、とか、水分を小まめにとるように、とか、そういうことを言われて、俺たちは退院した。


 一体、あの日俺たちが見たものは何だったんだろう、と、後で白石と話し合った。人間が青緑のゼリーになっただの、空から巨大ラグビーボールがやってきただの、そういうことはとても信じてもらえそうにないので、誰にも言ってない。俺と白石は、あの日のことを、そして、菊川雪乃のことを話し合った。で、以下のような結論が出た。


 菊川雪乃は宇宙人だったのだ。


 突拍子もない、どうかしてる結論だってのは、俺たちもわかっている。でもそうとしか考えられない。俺たちが見たものが、幻影でもなんでもなかったのなら。


 流星群の翌日、梶本は植物の種に擬態した菊川雪乃を拾ったのだ。そして彼女を植木鉢に植えて、大事に育てた。その愛情に感動して、彼女は梶本に恋をする。梶本に好かれたい一心で、彼好みの分身を作り上げた。


 彼女はやがて故郷の星へ帰らねばならないが、梶本と離れるのは辛かった。そこで彼も連れていこうと思ったのだ。けれども決まりがあって、地球人をみだりに連れていくことはできない。彼女は仲間たちが来る前に、なんとか梶本を手中に収めたかったのだろうが……しかし、仲間たちのほうが早かった。彼女は強制的に宇宙船に収容されたのだろう。


 そう考えてみると、菊川雪乃も気の毒だったのだな、と思えてくる。が、梶本が連れていかれるのを黙って見ているわけにはいかない。宇宙の遥かかなた、遠い遠いよくわからん星に連れていかれて、果たしてそこで梶本が幸せになれるのかどうか……ひょっとしたら幸せになれるのかもしれないので、謎ではあるが、友人としてはそこは阻止したいという気持ちがあるのだ。


 ともかく、宇宙の彼方にさらわれるという危機を、梶本は回避した。しかしそのことを梶本がどう思っているのか、そこはよくわからない。この一件に関して、さっぱり語ろうとしないからだ。


 謎の植物は綺麗に消えていた。植木鉢の土は真っ平らで、まるでそこに最初から何も植わっていなかったのようだった。梶本は無言で、大事そうに、その鉢を抱えて帰ったのだった。




――――




 7月の、それは美しい午前のことだった。俺は、俺と白石と梶本は部室にいた。小さな窓からはほんの少し空が望める。しみじみと青い。雲一つないんだ。


 ただ、その分暑くはあった。けれども俺の心は幸福だった。明日から――夏休みなんだ!


 一学期の最後の日、これほどまでに楽しい一日があるだろうか。明日から始まる幸せの日々に思いを馳せる。何をしようかと――何でもできそうな気がする。夏休みは40日ほどしかないが、それが果てしもなく長い40日に思えてくる。

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