書きたいものは
そんな女性、三次元にはいないから。なんて声が聞こえてきそうではある。でもいいではないか。二次元の世界、何を書いても。俺だってそういうタイプは好きだし、夢くらい見ていたい。
短編を何作か書いた後、梶本は今、長編に挑戦中だ。異世界に転生した主人公がそこでエルフの姫君と出会い、それが長い黒髪で小柄で華奢で……以下略、なキャラクターなんだ。梶本の好みは徹底している。いっそ潔いと言っていい。
「羨ましい、って思うんだ」
笑いを引っ込めて、真面目な顔になって、白石が言った。
「梶本は、自分が好きなものを伸び伸びと書いてるって感じがする。すごく楽しそう」
「白石はそうじゃないんだ?」
白石も自分が好きなものを書いてるように思えるが。男同士が熱烈に憎みあったり愛し合ったりする話を。
「うーん……。でもそうでもないかな。私は二次創作も書くんだけど、それをネットにアップするんだけど、ほら、投稿サイトとかにアップすると評価がつくじゃない。そうすると、どうしてもその評価を気にしちゃう」
白石は難しい顔をして、続けた。
「自分の好きなものを書けばいい、って思うんだけど、どうしても評価が高くなりそうなものを書いちゃう。でも狙って高評価が得られるわけでもないし、一体どんなものを書けばいいのか頭を悩ませ……。最初はそうじゃなかったんだけど。好きなカプを、このカプ素晴らしいから尊いにもほどがあるから、みんな知って! みたいな勢いで書いてたんだけど。ううん。読者なんて気にしてなかった。私の中にあるこの情熱を、吐き出さないと死んでしまう! みたいな気持ちで書いてたんだけど、でも、いつの間にか……ね」
長い台詞の後、白石はほうっ、とため息をついた。
「だから、梶本は羨ましいんだよね。それでさ、ふと思ったんだけど」
白石をこちらを向く。そして真っすぐに俺を見つめる。
「池谷はさ、一体何が好きなの? ほんとは何を書きたいの?」
うっ……。また直球な質問が来たな。そりゃ俺だって、好きなものはあるよ。書きたいものだって……うん、今はちょっと迷走中だけど、あるにはあるかな。でも、それが読者に受けるかどうかわからない。というかまず、プロになるには、編集の人たちに認めてもらう必要がある。これは世に出していいって、これは売れるって、そう思ってもらう必要がある。
果たして、自分の好きなものだけを書いて、そんな風に思ってもらえるのか……? 俺がそんなことを考えていると、部室の扉が開いた。入ってきたのは、ちょうど話題に出ていた梶本だった。
梶本はたいてい朗らかだが、今日もそうだった。俺たちを見て、にっこりと挨拶をする。俺たちも挨拶を返した。梶本はテーブルの上にカバンを置くと、本棚に近づいた。
本棚の上には梶本の持ってきた鉢がある。そのいくつかの中で、梶本は小さな丸い植木鉢を見た。鉢に植わっているのは一つの花だけ。といっても、まだ咲いてはいない。すらりと茎をのばし、その先端に蕾をつけている。
「もうすぐ咲きそうだなあ」
梶本は言った。白石も側に寄って、一緒にその植物を見た。
「ほんとだ。で、これが一体何の花かわかったの?」
「うーん……それがまだなんだ」
この花にはなかなかロマンチックな由来がある。流星群があった日の翌朝、梶本は通学路でこの種を拾ったのだ。けれども何の種かはわからなかった。とりあえず、部室にあった鉢に植えてみることにした。
植えたところ、しばらくして芽が出、双葉が開いた。しかしやっぱり何の花かわからない。
「新種じゃないの?」
鉢を前に頭を悩ませる梶本に、白石はある時そう言った。けれども梶本はそれに、うん、とは言わなかった。
「俺が知らないだけで、珍しくもなんともない植物かもしれないし……」
「でも新種だったら。梶本の名前が付けられるんじゃない?」
「そうなのかな?」
梶本はじっと鉢を見つめた。その頃には、茎が伸び、葉の数も多くなっていた。
「菊っぽくも見えるけど……。そうか、もし名前が付けられるんだったら……。自分の名前じゃなくてももっとこう……」
「どんなのがいいの?」
「流星群の翌日に拾ったから、星に関する名前がいいな」
花が、というより、梶本がロマンチックなのだ。で、その、謎の花を前に、梶本と白石が並んでいる。
大きな梶本が、せっせと小まめに繊細に世話してきた謎の植物が、ついに開花となるのだ。めでたい。けれども俺はさほど、植物に興味はない。
俺はテーブルの椅子に座った。ノートを開く。執筆はパソコンでするけれど、部室にパソコンはないので、ノートにネタを書く。梶本は部室でもノートに小説を書いている。家に帰ってパソコンで清書するらしい。二度手間なような気もするが、部室は居心地が良くて、執筆が捗るらしい。
シャーペンを握った。何かを書こうと……する。でも何も書けない。何も思い浮かばない。俺はため息をついて、ノートを閉じた。
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