お嫁さんになりたい

 中世ヨーロッパ風異世界はたくさんあるから、近世ヨーロッパ風異世界の話を書こうと思ったのだ。けれども書いてて気づいた。俺は、近世ヨーロッパについてほとんど何も知らないということを! それをいうなら、中世ヨーロッパについてだって、知らないが。


 そのことを白石に言うと、白石は少し考え、真面目な顔になった。


「自分の知っていることを書いたほうがいい、っていうよね」

「まあ、知らないことについては書けないわけだしなあ」

「私が昔読んだ児童書、なんだったか……タイトルは忘れちゃったけど、とにかく、主人公が作家を目指してるのね。で、書いた作品を人に見せる……のだけど、君は自分の知っていることを書きなさい、って言われちゃう。だから、主人公は自分の身辺雑記みたいな小説を書いて、それで高評価を得る」


 白石はそこでいったん言葉を切り、難しい表情で続けた。


「それ読んで、私はなるほどな、とは思った。思った……けど、私なら身辺雑記はやだな。だって、自分のことなんて、面白くないと思うもの」

「まあそうだなあ」


 白石はともかく、俺は、どこにでもいる普通の男子高校生だ。まあ将来、ライトノベル作家として開花する……かもしれないけれど、今のところは平凡で、客観的に見るならば、あんまり垢抜けない……地味な……存在で……。確かに面白い話が書けそうにない。いや、書き方次第でなんとかなるのかもしれないが、ともかく、俺が書きたくない。


 白石は言った。その口調には熱がこもりつつある。


「私は男性同士の恋愛が好きで……。そうね、実際の男性同士の恋愛についてはほとんど知らないのかもしれない。でも、私は、それが好きなの! 男同士の、愛だけじゃなくて憎悪や妬みや苛立ちや、でもさらにそれらを凌駕する真実の愛の世界というものが! 私は! それを! 書きたいの!!」

「う、うん……」


 白石は普段はクールなのだが、突然熱くなる。その冷静そうな容貌の奥に、たぎる情熱を秘めているのだ。白石の書くBLを読んでみたことがあるが、もれなく熱い。男二人がイチャイチャしてるだけじゃなく、何故か妙に憎みあったり、その反動で(?)激しく愛し合ったりしている。なんというか、暑苦しいような気がしなくもない。白石の友人たち(こぞって腐女子なのだが)には評判はいいようだが。


「それでヒロインの件なんだけど」


 いきなり話が元に戻った。そして既に白石は落ち着いている。さっきのはなんだったんだと思う。


「池谷はキャラにこだわりすぎだと思う」

「どういうことだ?」

「小説ってキャラだけじゃないでしょ。ストーリーも重要でしょ」


 それはそうなのだが……。しかし俺は反論する。


「ライトノベルにおいてはキャラクターはとても大事なんだよ」

「でもさ、例えば妹キャラって世の中たくさんいるけど、私たちはそれらを一つずつ、違うものだと認識するでしょ? 恐らくそれは、彼女らがそれぞれ持っているストーリーが違うから。そこでキャラクターの差異というのも生まれる」

「うーん……」

「池谷の小説は、キャラが出てきて、その紹介はあるんだけど、ストーリーが進まないっていうか、なんか話が進みそうだなーってところで終わっちゃう」


 ……うん、それはつまりきちんと完結させろと……話がループしてないか。俺はそこをあれこれと指摘されたくなかったので、白石に向かってきっぱりと言った。


「ともかく。それはそうだけど、ラノベというのは、魅力的なキャラによって、何倍も何倍も名作になると思ってる。魅力的なキャラ……つまりなんていえばいいのかな、まるで作り物のような気がしないキャラ。あ、作り物だけど、こちらがあんまりにも心奪われているので、こいつ、ほんとにどこかに存在してるんじゃないか!? どこかの誰かが、頭の中でこしらえたものとは思えない! と叫びたくなるようなキャラ」


 そういうキャラは確かにいるんだよなあ……。俺は、歴代心を奪われた二次元の少女たちを思い浮かべながら、話を続けた。


「こういうキャラはもう、「嫁」なんだよ。「嫁キャラ」っていうあれ。俺の作り出したキャラクターも誰かの「嫁キャラ」になりたいんだ。そう、「嫁」って言ってほしい。つまり、お嫁さんにしてほしい」


 いや、俺が、じゃないけどさ、と喋りながら思った。うっかりと、腐女子である白石を喜ばせることを言ってしまったような気がする。しかし、白石の顔を見ても別に喜んではいなかった。むしろ大真面目だった。


「うーんまあ、なんとなくわかった。でも「嫁キャラ」か……。難しいね。好みは人それぞれだろうし」

「そうだけど」


 そうだけど、多くの人の心をかっさらう、ぶっちぎりの魅力を持つキャラクターがたまに出現するじゃん、と言いたい。


 白石は何かを考え、そしてくすりと笑った。


「梶本の好みだったらわかりやすいね」


 それは確かにそうだった。俺は梶本が書いた作品の数々を思い浮かべた。いつもヒロインは共通している。長い黒髪、小柄で華奢な身体、抜けるように白い肌、ぱっちりとした大きな目、頬に影を落とす長い睫毛。そして性格は大人しく控え目で、世間に疎くて、でもしっかりしたところがあって、庇護欲をそそられるのに、何故か彼女に無限の包容力も感じてしまう。そういうタイプなのだ。

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