第11話 終章
「旦那!」
小典は、身体を揺さぶられて目を覚ました。
「うん?ああ。卯之介か」
小典は、大きくのびをして起き上がった。
「おや?ここは……」
「ここは、長浜村の監視小屋として借り受けた長屋ですよ。寝ぼけているんですかい?」
卯之介の言葉に、「ああ、そうか」と言って、小典は起き上がった。周りを見渡す。
土間と竈、そして四畳半の畳敷きだけがある典型的な貧乏長屋の間取りだ。
「卯之介、ここは誰か見知った者が住んでなかったか?」
小典の問いかけに、卯之介はいぶかる表情をした後、
「いえ。大家から借り受ける際にずっと空き家だったと言われたじゃあありませんか」
と答えた。
確かに大物の賊〝夜霧の丹三〟を追いかけてこの長浜村まで来た。しばらく、見張りが必要ということで、長屋の主にしばらく借り受けたのであった。その際にそう言われたような気はする。
「うん。確かにそう言われた気はするが……」
そう言って、再度狭い長屋の中を見渡す。何てことない長屋の中である。
一瞬、良い匂いがした。脳裏に忘れていた何かが横切った気がした。喉元まで言葉が出かかる。すると、
「鞍家さま、夜霧の丹三が……」
引き戸の外から声がした。捨松の声だ。
途端に小典の脳裏に浮かんだそれは消え去った。
急いで、引き戸を開けると卯之介と共に外に出た。
「例の盗っ人宿の前で丹三が倒れていると村人が」
走りながら捨松が説明した。
「旦那!あっしは一足早く行って人払いを」
そう言うと卯之介は疾風のごとく走り去った。
小典は、息が上がり始めた。日頃の鍛錬不足のせいだろうか。
とうとう、歩き始めてしまった。
「捨松、すまぬが先に行っててくれ。小休止したらすぐに行く」
心配そうな顔の捨松にそう言うと、捨松はひとつ頷いて走り去った。
小典が荒い息を整えていると
「もし。大丈夫ですか」
と声をかけてきた者がいた。
振り向くと柔和な表情の男が立っていた。特徴のない顔の見知らぬ男である。
「ああ。大丈夫だ。ただの鍛錬不足だ。ちと息がな」
小典は苦笑してみせた。
男は、柔和な表情のまま頷くと「では」と礼をしてきびすを返した。
しばらくすると、小典は振り向いた。
「……空耳か」
声が聞こえた気がしたのだ。後ろを振り返ってもすでに小典に声をかけた男はどこにもいなかった。
首をひねりながらも息を整えて、小典は卯之介と捨松の後を追うべく走り出した。
走りながらも小典は考えた。
「〝御礼は後日に〟って何のことだ?」
小典にはそう聞こえたのだ。
―五日後
小典が奉行所で事務作業をしていると、同僚に呼ばれた。
何事かと騒がしい正門前に行くと、大八車に桶をうずたかく積んだ大勢の漁師たちがいた。
「これは……」
困惑していると、漁師たちの中から、見知った顔が現れた。
「長浜村の惣兵衛じゃないか!」
惣兵衛は長浜村の村長である。
驚く小典にむかって、惣兵衛は大きな笑顔を見せた。
「鞍家さまが賊を捕縛してからというもの、長浜村だけえらい大漁が続いているんでさぁ」
惣兵衛の話によると蛤を初めとする貝類、蟹、海老、鯛などありとあらゆる海鮮が大漁なのだという。これはきっと、小典が悪人を捕縛したことで運が開けたのだろうと村民皆で話し合って、それならば、小典に採れた海鮮を分けようと言うことになったのだという。
「ありがたいが、まさか」
小典は笑って否定したが、惣兵衛は真面目な顔つきになり、小典の耳に顔を寄せた。
「大きな声じゃ言えませんが、あの日の翌日、一日中〝蜃気楼〟が見えてたんです」
「蜃気楼?」
「ええ。それはそれは綺麗で美しかったですぜ」
惣兵衛は、夢見る表情になった。
「七色に光り、まるで天女が踊っているようでした。そしたら大漁続き。これこそ神仏が言祝いでいる動かぬ証拠でさ」
惣兵衛はそう言って笑うとバンと小典の肩を叩いた。
「皆さまのぶんも存分にありますぜ!」
惣兵衛が集まってきた人々にむかって大声でそう言うと大きな歓声が沸いた。
小典は、苦笑いしながらも皆の喜んでいる姿に嬉しくなった。
ふと、何かが引っかかった。
「確か、最近、似た名を聞いた気がするな。しん……とかなんとか」
記憶を探るが思い出せない。考えあぐねていると、
「これはいい蛤ね。鞍家どのは蛤は苦手。その分私が頂くわ」
声が聞こえた。
黒葛桃鳥が惣兵衛と話しているとこだ。
「ちょ、ちょっと!桃鳥さま!いつ私が蛤が苦手などと言いました?」
勢い込んで二人の間に割って入る。桃鳥は、チラリと横目で見て、
「あら。いたのね」
と冷たく言い放った。
「惣兵衛、桃鳥さまは下魚の鮪が好みだと伺う。脂ののったやつを頼む」
鮪は脂っぽいとほとんど捨てられる魚だ。
「小典、言うわね」
桃鳥は恨みがましくそう言うと、
「惣兵衛、鞍家どのは海藻と岩にこびりついている亀の手だけでいいわ。あとはわたしが頂いていくわ」
とやり返した。
二人のやりとりに周囲から笑いが漏れた。その笑いはとても温かく、殺伐としている奉行所内の空気を溶かし、皆の頬を存分に緩ませずにはおかなかった。
日差しの中にその笑い声はいつまでも残っていた。
了
鞍家小典之奇妙奇天烈事件手帖~貝の柱右衛門~ 宮国 克行(みやくに かつゆき) @tokinao-asumi
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