第9話 卯之介と丹三

 丹三が消えた荒ら屋あばらやの前で、卯之介は迷っていた。

 このまま奉行所に一旦戻るか、それとも、ここにとどまり、消えた丹三の行方を追うのがいいのか。

 逡巡するのもつかの間、「兄貴」と声をかけられた。

 捨松がそばまで来ていた。

「周りに気配が……」

 そう言う捨松の頭越し、竹林を囲むように乳白色の霧が発生しているのが見えた。霧か、と思ったが、何かが違う。卯之介の心の奥底が警告を発していた。以前も得体の知れないモノに囲まれて、九死に一生を得たことがあった。

 その霧は静かだが、確実にこちらに向かってきている。

 卯之介は、素早く周りをぐるりと確認する。すでに囲まれてしまっているようだ。加えて、何かモヤモヤとした人影のようなモノが霧から現れだした。

「チッ!すでに囲まれてやがる」

 卯之介は懐に手を入れた。匕首はあるが、どれだけ役に立つか心許なかった。後は、必殺の飛礫がある。

「捨!突破するぞ」

「へい」

 捨松は、すでに鉄扇を構えていた。

 背後から緩慢な動きの霧人間が迫ってきていた。卯之介はすでに走り出していた。捨松も続く。前方にも霧人間が迫る。卯之介の左右の手から飛礫が放たる。ただの石ではない。先を尖らせてある特別にあつらえた石だ。常人ならば、この飛礫が当たれば一発で勝負は終わる。

 飛礫は鈍い音を立てて、霧人間を突き破った。すると、瞬く間に消えた。

「こいつぁ、まだ運に見放されてないとみえる」

 卯之介は走りながら次々に飛礫で霧人間を撃破していく。捨松もすぐ後ろで、遅れずについてきている。横合いから霧人間が襲いかかる。それを、ヒョイと避けた捨松が、鉄扇でなぎ払う。打たれた箇所が霧散する。どうやら、こちらの攻撃も、効くようだ。

 卯之介と捨松は、霧人間たちを振り切った。

「捨、このまま駆け抜けるぞ!」

 卯之介は速度を落とさずに捨松に声をかけた。この村を出るつもりであった。小さい村である。すぐに出られるだろう。

 家々が立ち並ぶ通りにさしかかる。

「兄貴」

 後ろから聞こえる捨松の声に怯えのようなモノを感じた。

「くっ……」

 卯之介は立ち止まった。村の狭い通りにびっしりと霧人間たちが蠢いていた。目や口は見えないのに卯之介たちを凝視していることを感じた。

「兄貴、後ろも獲られました」

 捨松の言葉に嘘はなかった。いつの間にか、逃げ道は全て塞がれていた。

「捨、どうやら閻魔大王の前に出て時が来たみたいだぜ」

 卯之介は舌なめずりをしながら言った。

「お供します」

 捨松は鉄扇を広げて構えた。

 物言わぬ霧人間たちの包囲網が一斉に狭まった。


 

 ひんやりした感触に丹三は目を覚ました。

 慌てて上半身だけ起き上がり素早く回りを確認する。周りは、乳白色の世界だ。自分以外のモノはなにひとつ見えない。

「ここは……」

 丹三は、必死に思い出そうとしていた。

「確か、長浜村の荒ら屋に居た……」

 ハッとして、慌てて懐に手を突っ込む。ふくさに包まれた丸い物体を引っ張り出す。ふくさを剥がすと巨大な真珠が現れた。妖しく濡れたような艶を真珠自体が放っているようだ。坦三は、その輝きにウットリとしながら、盗まれていないことに安堵した。

 突如、丹三は、素早く起き上がって身構えた。

「誰だ!そこに居るのは」

 目の前の乳白色の先をにらみつけて怒鳴った。

 程なく、それらを分け入ってくるように二つの人影が現れた。

ひとりは、背が高く精悍な顔立ち。六尺は超えているだろう。曲がった髷がいかにもよく似合う。

もうひとりは、両目をつぶり、杖のような木の棒をついている。盲人のようだ。

 「なんだ、あんたら?」

 丹三は用心しながら手を後ろに回した。匕首が手挟んである。

 背の高い男の焦点がゆっくりと合わさった気がした。

「おっと。得体の知れないモノに襲われたと思ったら、目の前に閻魔大王じゃなくて、夜霧の丹三とはね」

 男の言葉に丹三の身体が緊張に覆われた。

「てめぇ、何者だ?」

 丹三が声を低くして聞いた。

「名乗るほどのもんじゃねぇよ」

 卯之介が答える。

 丹三の瞳が、卯之介の隣に居る捨松に注がれる。

「てめぇは確か……浅草の女郎屋に来た按摩師」

 そう言うと丹三の口がぐいと曲がった。

「ははぁ。分かったぞ。てめぇら、いぬだな。江戸の狗っころに長身の男がいるとは聞いていた」

「へっ。江戸の外にまで噂に上がっているとは、こいつぁ光栄だ」

 卯之介が応じる。

 突然、乳白色の世界を切り裂くように銀光が幾筋も走った。やや遅れて、金属が激しくぶつかる音が数度した。

「くっ!」

 卯之介が大きく後ろに下がる。

 卯之介の表情が驚きのそれに変わる。卯之介の手には匕首が握られていた。

「大口たたくだけはあるじゃねぇか」

 先ほど、卯之介が立ってた場所近くに匕首を構えた丹三が不敵に笑っていた。

 丹三がいつ、間合いを詰めたのか卯之介は分からなかった。丹三の斬撃を避けられたのは、卯之介の天性の勘の良さであった。

「さすがは〝夜霧の丹三〟だ。どうやら、相手にとって不足はねぇみたいだな」

 そう言うと卯之介もスッと腰を落として構えた。

「捨、手出しは無用」

 卯之介の言葉に、

「へぇ。こいつは泣けるねぇ」

 と丹三が言う。

 卯之介が半歩進む。途端に二人の間に緊張が張り詰める。あと半歩進めば、一足一刀の間合いだ。

 殺気がぶつかり合い、二人の周りだけ刻が止まったようだ。

 微かに動いたのは、卯之介だったろうか。

「ひゅっ!」

「じゃぁ!」

 二人から鋭く呼気が発せられた。

 激しい金属音と共に中空に火花が飛ぶ。

 体が入れ替わる。

 卯之介の頬にうっすらと赤い線が現れた。それはみるみる盛り上がり、一粒の血の滴となって流れ落ちた。口の近くまで落ちてきたそれを卯之介はペロリと下で舐めて、ぶっと吐き出した。

 卯之介は無言で睨みつける。

「武者震いしちまうぜ」

 丹三はそう言うと、左胸をなでた。そこには、ジワリと真っ赤な染みが広がっていた。

「!?」

 卯之介の目の前に白い粉が舞い上がった。

 丹三が胸をなでると同時に投げつけたのだ。目潰しだ。と同時に目潰しの粉の下をくぐるように丹三がしたからすくうように斬撃を仕掛けた。

 斬撃を躱そうとすれば目潰しが襲い、目潰しを避けようとすれば、斬撃が襲う。丹三必殺の技であった。

 だが、

「なんと!」

 と驚きの声を上げたのは、丹三の方であった。

 しかも丹三の目の前で鋭い金属音が二度鳴った。

「この目潰しと下段からの攻撃をどちらも避けたのは、お前が初めてだ」

 丹三の声には、まごう事なき賞賛の声が混じっていた。

 卯之介はというと、三間ほど後方に片膝を立てて構えていた。

「軽業の術、見事だ。そして、これは飛礫か?」

 地面に突き刺さった二つの石があった。

 卯之介は、丹三必殺の攻撃を後ろにとんぼを切って避けたのだ。さらに、その途中で飛礫を両手で放ったのであった。

「あんたこそ、俺の飛礫をよく避けたよ」

 卯之介の言葉も賞賛のそれであった。飛礫を両手で投擲した拍子ひょうしは完璧であった。そこいらの武芸者では到底避けられないだろう。卯之介にとっても必殺の技であった。それを見事に打ち落とされたのだ。

「冥途の土産にもう一度、問う。あんたの名は?」

 丹三の声に卯之介は答えた。

「〝射車羅いしゃらの卯之介〟」

 短く答えた卯之介の言葉に丹三の瞳がスッと細くなる。

「射車羅……どこかで聞いた覚えがある」

 呟く丹三に卯之介は、

「そうかい。なら冥途で思い出しな!」

 と叫ぶと滑るように一歩を踏み出した。





 

 


 





 


 




 

 



 


 




 

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