第6話 夜霧の丹三 其の二

 その場所は、長浜村からほど近くの荒れ家であった。

 家と言っても雑木林と竹林の中に半ば埋もれているといったほうがいい風情で、よく目を凝らさなければ家が建っているなどとは、一見しただけではわからない。

「こんなところに家が……」

 小典は、卯之介についていきながら竹や木々の中に同化するように建っている家を見たとき、半ば呆れた。

「ほとんど朽ちてるな。これでは周囲の者たちも近づいてこない」

 家の戸口は傾いており、屋根は半分以上落ちかけていて、家の中から竹が数本、屋根を突き破って生えている。

「へぇ。盗人宿としては恰好のあばら家で」

 卯之介の言葉通り、盗人宿とは、裏の稼業の人間たちが集まって密談する家や場所のことを指す。時には、盗んだ宝や殺した死体すら隠すのだ。人が寄ってこないことを第一とする盗人宿としてはもってこいだ。

「今は誰もいないのか?」

 小典は聞いた。

 頷く卯之助は、捨松から聞いたことを話した。

「すれ違ったのは長浜村の入り口近く。すての奴はすぐに気がついたそうです」

「それが夜霧の丹三だと?」

 卯之介は頷いた。

「それで、後を付けたそうです」

 聞くところによると、捨松は、普通の与力や同心、探索にかかわる者たちが容疑者をつけていく数倍の距離を空けても気配を察知して、後を付けられるのだそうだ。さすがの夜霧の丹三も目の見えない者に後をつけられていたとは思うまい。

「それでこの場所へ行きついたと」

 ひとりごとのように呟いて、小典は考えた。

「夜霧の丹三はひとり働きの盗人。仲間はいなかったのだな?」

「それが……」

 珍しく卯之介が口ごもる。

そうなんですが……」

「どういうことだ?」

 卯之介曰く、捨松は、人以外の気配を感じていたのだという。

「人以外の気配とはなんだ?」

「それが、捨の奴も初めて感じる気配らしくて、うまく言えないらしいです。しかし、人ではないのは確かだと」

 小典は、頭を抱えそうになった。

 物の怪の原因を探索している最中にその名を知れたひとり働きの賊が現れた。しかも、人ならぬ気配をまとっているという。

 しかし、賊をほっておくわけにはいかない。

「まさか、丹三がこの物の怪騒ぎの主犯格、などとは思わないが……卯之介、すまないがひとっ走り奉行所に行って事の次第を知らせてくれ」

 卯之介は颯爽と走っていった。


「そうか。”羅刹女のお恵”の件か」

 奉行所から戻ってきた卯之介の報告を受けて小典は、嘆息した。

 高気様からの指示を受けて、物の怪騒ぎを探っていたが、思わぬ大物の盗人が現れたとなれば、奉行所に知らせなければならない。それに万が一に備えて、助っ人も願いたかった。取り逃がしたとなれば面目にもかかわる。しかし、卯之介からの報告で、奉行所の人間は、大方、羅刹女のお恵の捕り物で出払っているという。

 それもそのはず、”羅節女のお恵”は、ここ数か月、奉行所が慎重に内偵を進めていた案件だ。

 羅節女のお恵はその名の通り、女である。女の盗賊は決して珍しくはないが、大概は、下女として盗み先の店に潜入し、時が来れば、盗賊一味を引き込む役を任せられる。もしくは、女の身体を利用して盗み先の主人や奉公人をたぶらかす。そのどちらかだ。女の盗賊が主体的に盗み働きをするのは珍しい。なぜなら、斬った張ったやお宝を運び出すのに力が必要だからだ。女の身にはどちらも難しい。その両方をいとも簡単にやってのけるのが、“羅刹女のお恵”なのだ。その名を一躍有名にさせたのは、今から三年ほど前の黒鉄の権蔵一味との大立ち回りだ。羅刹女のお恵と黒鉄の権蔵一味の間で、仲間割れが起きた。その時、お恵は、権蔵一味の荒くれ男たちを五人ほどのして、お宝をかっさらいまんまと逃げおおせた、というのである。この話は、その道の者どもの間で瞬く間に話が広がり、当然、密偵たちの口から奉行所の役人たちの耳にも入っていった。

 その羅刹女のお恵が江戸に現れた、との密告があったのが半年前ほどだ。奉行所としては、最重要案件として、お奉行重藤公連を筆頭に、腕っこきの与力同心、密偵たちもかかりっきりとなっていた。

 その羅刹女のお恵の件に動きがあったとのことだ。

「これまた間が悪いな」

 思わず苦笑してしまった。

「やはり人はいないか?」

 卯之介はうなずいた。

「ほとんど出払っておられるそうで。黒葛さまも」

 小典の脳裏にふふふと笑う、うりざね顔の色男の表情が浮かぶ。確かに心の中で桃鳥さまを頼っている自分が確かにいた。最近はよくともに行動していたから猶更だ。

「やるしかないな」

 自分に言い聞かせるように呟く。

「して、捨松はいかがした?羅刹女のお恵の件で駆り出されているわけではないのだろう?」

「へぇ。捨ての奴は、浅草の上客のところへ行っておりやす。一両日中にはこちらへ来るそうです」

 そうか、と答えつつ、夜霧の丹三も羅刹女のお恵に負けず劣らずの名の知れた盗賊だ。それを小典と卯之介、捨松の三人だけでひっ捕らえることができるのか。特に、丹三は、夜霧、とあだ名のつくくらいの神出鬼没の賊であるという。

 チリチリと胸に不安の炎がくすぶりだすのを小典は短く息を吐いて追い出した。



 



 












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