第5話 夜霧の丹三

「うーん。これはうまいな。醬油と山椒がよく効いている」

 小典は、上機嫌に言った。

「それはようございました」

 柱右衛門が笑顔でこたえた。

 柱右衛門の長屋の中である。近頃、小典は、長浜村での探索や近隣の村々での聞き込みをすると必ず、昼餉を柱右衛門の長屋で馳走になっていた。

「これは焼き蛤か?」

 小典は、改めて今、食べた小鉢の中身をのぞいた。丸みを帯びた大ぶりの貝の身がまだ三つ入っている。

「はい」

 と柱右衛門が答えた。

「多少焦げ付いていますが、味は良くなっているはずです」

「確かに、醬油や山椒ではない何か香ばしい匂いがついているな」

 小典は、蛤の身を口に放りながら言った。

「松ぼっくりを入れて焼いておりますので」

「松ぼっくり?」

 訝しむ小典に、柱右衛門は説明した。

「焼く際に松ぼっくりを入れて一緒に焼くと蛤の味がよくなるといわれているのです」

 ほう、と小典は感心した。

「なぜ味がよくなるのだ?」

「理由はわかりませんが、おそらく松ぼっくりの油分でよく火が燃えるからではないでしょうか」

 なるほど、そうかもしれないと小典も思った。

 すると長屋の戸口に気配がした。

「卯之介か?」

 戸口の人影が微かに動いた。

「へぇ。旦那、少々お話が」

「わかった」

 と声をかけつつ、柱右衛門に向かって、

「目明しの者だ。入っても構わないか?」

 と聞いた。

 柱右衛門は、うなずいて、

「わたくしが席を外しましょうか?」

 と言った。

「お主の家だ。そこまで気を使わなくて大丈夫だ」

 小典が言っている間に卯之介が音もなく入ってきた。

「お耳を」

 小声でそう言うと卯之助は耳打ちした。

「わかった。すぐに向かう」

 小典は、厳しい顔で卯之助にそう伝えた。

「柱右衛門、馳走になった」

 残っていた焼き蛤をほおばってから柱右衛門に礼を言った。

 柱右衛門は常とは変わらない笑顔で頭を下げた。


 卯之介は、柱右衛門の長屋がある横道から出たところで立っていた。

「卯之介、すまんな。して、先ほど言ったことは本当なんだな?」

「へぇ。舎弟の捨松の言なれば間違いないかと思いやす」

 卯之介の舎弟のひとりである捨松は、以前、夫の仇である片地帯刀かたちたてわきを討たんとする人形遣いの大荒目縹おおあらめはなだの事件の際に京橋近くの造り酒屋、岩松屋にて小典、卯之介とともに敵と相対した男である。捨松は生まれつき目が見えないのだ。それ故に人や生き物、はては文物まで気配で感じ取っているという。しかも、一度、感じた気配は決して忘れないし、間違いないのだという。

 岩松屋の見張りの際にもいち早く気配に気がついて、小典の身を得意の鉄扇で守ってくれたのだ。

 その捨松が間違いないというのである。小典も疑う余地はなかった。

「では、捨松は、”夜霧の丹三”に遭ったことがあるのだな?」

「へぇ。捨松は一度、按摩をしたことがあるらしいです」

 捨松の生業は、按摩だ。

 捨松は、あの片地帯刀の棒手裏剣をいち早く気がついて叩き落した男だ。その感覚は、目が見える者以上に鋭いのは小典も知っている。

「四年ほど前のことになるそうです。浅草の女郎屋の一室に呼ばれて、按摩をしたそうで」

「それが”夜霧の丹三”だったと?」

「へぇ。横にいた女郎がささやいたそうです。夜霧の旦那、と」

 ふむ、と小典は考えた。

 ”夜霧の丹三”は、裏家業の世界では、ひとり働きで有名な賊だ。その名の通り、霧の如く現れては消える。凄腕の輩だ。

 それがこの寒村へ何しに現れたのだろうか。

「盗人宿の確保か。して、いったいどこで会ったのだ」

「その場所へ案内いたしやす」

 卯之介は機敏な動作で歩き出した。

 小典も追った。


 














 


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