第4話 昼餉

「ふぅ」

 小典はため息をついて、浜辺近くの奇妙に曲がっている松の根元に座った。

「今日も収穫はなしか」

 誰に聞かせるでもなくつぶやいた。今日は、聞き込みのため長浜村だけではなく、近隣の村々まで足をのばした。だが、いつも供をしてくれている卯之介はいなかった。なんでも大工の仕事が立て込んでいるとか。卯之介の生業は大工だ。聞くところによるとその界隈では腕のいいことで知られていて、人望も厚いらしい。それだからだろう、このところ大工仕事の依頼が多いみたいである。

 卯之介は気を使って大工仕事を誰かに代わってもらうようにしたらしいが、小典が大工の仕事を優先するように言ったのである。では、代わりの者を、と卯之介の舎弟を連れていくようにと言ったが、小典はそれも断った。舎弟たちも生業がそれぞれあるだろうし、今回の探索は賊による凶事などではなくだ。自分ひとりでも大丈夫だと考えてのことであった。

 小典は懐から手ぬぐいを取り出して額ににじんだ汗をぬぐった。季節はまだ冬だというのにここ数日は妙に生暖かい。まるで春の陽気だ。海から吹く潮風と波の音が火照ったからだと耳に心地よい。

「ん?」

 何かを感じて、ふと顔を海岸と反対側、家々が立ち並ぶ長浜村のほうを見た。

「昼餉の刻限か」

 家々から煮炊きの煙がたなびいている。同時にいい匂いもしてきた。小典は、腹をさすった。

「腹ごしらえでもするか」

 そういって立ち上がると村へと向かった。



「休み……」

 張り紙が戸口の雨戸に張り付けてある。のたくった字で判別しにくいが、故郷へ行く旨がかかれている。しばらくの間、休業だそうだ。

「……間が悪い」

 肩を落としてそう言った。ここ、長浜村で唯一の飯屋が閉まっていたのである。

「隣村に飯屋はあったか……?」

 記憶を探ってみたが見た覚えはなかった。そうすると昼餉のために見知った場所まで戻らないといけない。しかしそれは面倒だ。飯を我慢するという手もあるが、すでに腹が飯を欲している今となってはそれも難しい。

 はてどうするか、ときょろきょろと辺りを見回した。

「あの時のお武家様ですね」

 と横合いから声がかかった。

 声のするほうへ顔を向けるとそこに見たことのある人物が立っていた。

「あんたはたしか……」

 中肉中背、これといった特徴のない面貌だが、その小さい瞳に見覚えがあった。

「はい。柱右衛門です」

 男――柱右衛門は、自ら名乗った。

「なんでも偶然通りかかったところ、お武家様が飯屋の前で肩を落としてらっしゃるので、何ぞ難儀なことでもおありになったかと思いまして」

 柱右衛門の言葉に小典は苦笑いでこたえた。

「難儀と言おうか、昼餉を食おうと来たところ休みらしくてな」

 小典は、雨戸に貼ってある紙を指して言った。

「ああ、そこの飯屋さんは二、三日前からお休みですよ」

「みたいだな」

「もしよろしければ、今から拙宅で昼飯なんぞをいかがですか?」

「いいのか?」

「もろんでございます。ちょうど良い貝が手に入ったところで」

 柱右衛門の手には桶がある。その中に大ぶりの蛤が入っていた。

 確かに旨そうであった。

「では、よろしく頼む」

 小典は、柱右衛門の後についていった。



 長屋の内部は殺風景であった。

 土間と四畳半の畳部屋だ。せんべい布団が隅にちんまりと畳んである。ところどころはがれかけた土壁には着物がいくつかかかっていた。

 小典は、部屋全体を一瞥した後、土間に立つ柱右衛門の背中を眺めた。

 柱右衛門は、かまどに向かって料理を作っている。

 しかし、いったい何を作るのだろうか。火すらおこしてない。土間には大盥がいくつも置かれていて水が張られている。ぴっと水が跳ねるところを見ると貝が入っているのだろう。だからなのか、濃い潮の匂いが部屋中に充満している。

 柱右衛門は、先ほど、その盥の中から貝を獲っただけでかまどに向かっている。

 小典は、訝りながらも待っていた。だが、沈黙に耐えかねて言葉をかけようと口を開いたとき、

「おまちどうさまです」

 と柱右衛門が振り向いた。その手には、小さな椀が乗っている。

 柱右衛門は、それを小典の前に置いた。

 そこには見知ったものが入っていた。

「これは……青柳か?」

 大ぶりで色つやの良い貝の身が五つほど入っている。

「ええ。青柳の刺身です」

 柱右衛門は答えた。

「ほう。刺身か」

「お嫌いですか?」

「いや。好物だ」

 青柳は小典もよく食べる。というよりも多くの江戸の民にとっては値段が安く、よく食卓に上がる貝のひとつだ。小典の家も例外ではない。

「それにしても……」

 小典は、まじまじと小鉢の中身をのぞいた。身が艶を帯びて張りがあるのである。まるで生きているみたいに新鮮に見える。ごくりと唾を飲み込んだ。

 箸を手に取り、身を一つ持ち上げる。

「艶があるし、大ぶりな身だな」

 そうなのだ。小典が知っている青柳のそれとは大きさも身の厚さも桁違いに大きい。

「これもそこの浜でとれたものなのか?」

 小典の問いに、柱右衛門は笑顔で首を縦に振った。

 そうか、とつぶやいて小典は、青柳の身を口に運んだ。

「……旨い」

 驚いた。身は弾力があり、何よりも塩味とほんのり酒のような味がする。

「柱右衛門、これは……」

「これもどうぞ」

 いつの間に取ってきたのか柱右衛門は、茶碗を小典の前に置いた。

「粥か?」

「はい」

 白濁した水分の中に米粒が浮いている。大ぶりの青柳の身に胃の腑が刺激されたのか、小典は、椀をかきこんだ。

「なんと」

 小典は驚いて、柱右衛門の顔を見た。

 ただの粥かと思ったのだが塩気と出汁が効いている。

 小典の表情のみで得心したかのように柱右衛門は答えた。

「以前、酒蒸しをした貝の出汁を粥の中に入れております」

「だからこんなに旨いのか!」

 小典は感嘆した。

「こんな旨い粥も青柳の刺身も今まで食ったことはない」

「おかわりはいくらでもあります。ご遠慮なさらずに」

 柱右衛門の言葉が終わらぬうちに、小典は、粥をかきこんでからの茶碗を柱右衛門に差し出していた。

 結局、小典は、粥を三杯、青柳の刺身を二杯平らげた。

 


 








 

 




 


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