第3話 柱右衛門

 小典と卯之介は、本格的に聞き込みを開始した。

 漁村とはいえ、この長浜村だけで、五十軒ほどの家々が軒を連ねている。漁師小屋や道具類を入れる小屋を入れるともっと建っている。それらは雑然と迷路のように入り組んでいた。狭い路地からは子どもらの声があふれている。加えて、昼間は、商売人を含めてひっきりなしに外から人々が出入りしている。

 小典は、どこから手を付けてよいかわからず、途方に暮れていた。

「たしか卯之介の手下も動いてくれてたんだよな?」

 一縷の望みを込めて小典は、卯之介を仰ぎ見た。

 卯之介は小典よりも頭一つ分ほど背が高い。目つきは鋭いが、存外、優しい心根の男であるし、何よりも頭が切れる。今回も先回りして、できる限りのことはしてくれていた。

「へぇ。舎弟を数人、前日から忍ばせていやしたが、今のところこれといった怪しい奴らを見聞きしたと報告はありやせん」

「そうか……」

 肩を落として小典は言った。

「これは地道にやっていくしかないな」

 諦めたようにつぶやくとぬかるんだ地面を歩きだした。



「は?知らないね」

 冷たく言い放った中年の女は、そう言うと小典の足元に大きな盥を投げた。中には、水と鮮魚が数匹入っている。

「お、おいっ!」

 地面に盥が投げおかれたので、その勢いで小典の袴に盛大に水しぶきがかかった。

 抗議の声を上げる小典に中年女は、面倒くさそうに一瞥し、

「あら。これは申し訳ないねぇ」

 とそんな気持ちは微塵もない言い方をした。

「そんなところに突っ立っているとますます汚れちまうよ」

「な、なにっ!」

 いきり立つ小典の肩に大きな手がかかった。

「旦那。引上げやしょう」

 卯之介であった。小さくうなずいて引くように促している。

 小典はしぶしぶであったが、踵を返した。

「まったくどいつもこいつも」

 先ほど盥の水をひっかけられた路地から抜け出ると小典は、憤慨した。

「探索に協力するどころか、お上を邪魔者扱いしやがる。いったい誰のために駆けずり回ってるのかってんだ!」

 冷たくあしらわれたのは初めてではなかった。ほとんどの住人たちが、小典たちを胡散臭い目で見ていたのである。

「元来、漁師たちは気が荒いうえにお武家さまが嫌いですから」

 卯之介が言った。その言葉の中に何か揶揄するような響きがあった。

 小典にも覚えがあった。それは、昨年の春頃のことだ。御家人の本山忠郷一味と漁師たちが乱闘騒ぎを起こしたのだ。

 事の発端は、道を譲る譲らないで押し問答になり、本山忠郷が太刀を抜く騒ぎを起こしたが、その場は、何とか収まった。だが、後日、御家人の本山忠郷の息のかかった者たちが、漁師たちを闇討ち。それをうけて、今度たちは漁師たちが仲間を募り、本山忠郷たちを白昼堂々襲撃し、本山忠郷一派と乱闘になり死傷者十人近くを出す大事件となったのだ。

 実は、小典も報せを受けて南町奉行所の役人として、現場に急行し、双方の仲裁をしたひとりであったのだ。

 濃密な血の匂いと怒号と悲鳴とすすり泣く声が相まって、現場は騒然としていた。

 この件には、腕っこきの与力同心たちを引き連れて、南町奉行である重藤公連自身が出張った。そして瞬く間にその場を収めた。興奮し、従わない者たちは引っ立てられた。御家人の本山忠郷自身も手傷を負っていたが、命に別状はなく、目付の井澤大和守預かりとなった。

 その後、本山忠郷は切腹。一味も謹慎となり、漁師たちも武器を手にした者たちは獄についた。しかし、それでも漁師たちは不服であったらしく、不穏な空気は流れ続けていた。

 もちろん、ここ長浜村とは別の漁師たちの話であるが、同じ江戸の漁師であることには変わりはない。お上と漁師、どちらに肩入れするかと言えば、それは漁師だろう。となれば、お上を嫌う理由はうなずける。

 小典は、改めて簡素な家々が立ち並ぶ通りを眺めた。

 建物の中から視線は感じるが、どれも警戒しているのがありありとわかった。これでは、いくら話を聞こうとしてもさっきと同じようなことになるだろう。

 小典は、この先のことを考えると思わずため息をついた。

「どうすればいいんだ?」

 愚痴をついたその時、

「おっと!失礼しやす」

 と背中側から声がかかった。

 見ると、天秤棒を担いで褌に半纏、所々どころ破けた編み笠をかぶった男が歩いてきた。行商人だろう。

 小典は黙って道を開けた。

 男は「すいませんねぇ」などと言いつつ通り過ぎる。天秤棒の両端には桶がかかっており、中に何かがぎっしりと詰まっている。

「シジミか?」

 行違う時、中身をのぞいた小典はつぶやいた。小粒の黒い貝たちが時折、ぴっと水を跳ね上げていた。

「へい。先ほど獲れたばかりの逸品でさぁ。小粒だが味は保証しやすぜ」

 男は得意そうに言った。

「確かに旨そうだ。だが、今はお役目中でな」

 小典は言った。

「そのシジミくれ」

 突如横あいから声がかかった。

 男の声だ。しかし、通りには人の姿は見えない。通りに面したどこかの家の中からだろう。

「おや、旦那。毎度ありがとうございやす」

 行商人の男が笑顔で声を張り上げる。戸惑っていないところをみると知っている男なのだろう。

「それで、如何ほどさしあげましょうか?」

 姿が見えない男に向かって声をかける。

「全部だ」

「は?」

「その桶の貝、全部くれ」

「またですかい?」

 半分呆れながら行商人の男は言った。しかし、隠し切れない嬉しさがにじみ出てもいる。

「駄目か?」

「いやいや!とんでもございやせん」

 慌てて行商人の男は言った。

「つい先日も全ての桶の貝を買っていただいたばかり。それは、もう食べておしまいになられたんですかい?」

「ああ、そうだ」

「本当に貝がお好きなんですねぇ」

 驚きつつ、行商人の男は、嬉しそうに斜め前の路地に入っていった。

 小典は卯之介と目を合わせた。行商人の男について路地に向かった。



 あばら家が並んだ路地の一番奥で、行商人の男は天秤棒を下した。

 目の前にある引き戸の障子はほとんど破れている。だが中の様子は、薄暗くてよく見えない。

「旦那!柱右衛門ちゅうえもんの旦那」

 行商人の男が呼びかける。

「ああ。すまんな」

 気配がすると声とともに引き戸が開けられた。

 部屋の中に居たのは、中肉中背の男であった。容貌は特にこれといった特徴はない。強いてあげるなら眼が小さいぐらいだ。

「ここの桶に全部の貝を移してくれ」

 柱右衛門と呼ばれた男が差し示した先には、水を満々とたたえた大きな桶があった。

「へい」と声をかけて行商人の男がせっせと動いた。

「柱右衛門といったな?」

 小典が声をかけた。

 柱右衛門が小典と後ろにいる卯之介に目を合わせた。

「へえ」

「ここに住んで長いのか?」

「一年ほどでしょうか」

「では、ここいらで最近起きている怪異のことは知っているか?」

「怪異……でございますか?」

 小典は、自分の身分とここいらで起こっている怪異について話した。

「奉行所のお役人さまがそのようなことまでお調べに?」

「どうしても、と村長の惣兵衛に頼まれてな」

 はあ、と気のない返事をした柱右衛門は、

「私のところでは特に変わった出来事などはありません」

 と言った。

 そうか、と小典は言った。予想してはいた。

「ところで、そんなに大量のシジミをどうするのだ?」

 嬉々として盥にシジミを移している行商人の男を尻目に小典は問うた。

「いただくんです」

「いただく?食べるのか?」

 小典の問いかけに男はただ笑顔でこたえた。

「お主、女房や子がいるのか?」

「いいえ。おりません。独り身です」

「独り身……」

 呟いた小典は、改めて男の表情を見やった。さして特徴もない顔に笑顔が変わらず浮かんでいる。

「旦那」

 遠慮がちに呼びかける声がした。行商人の男が愛想笑いをしてこちらを見ていた。

「桶の貝、全て移し終えました」

 そう言うと、置いてある桶を見やった。確かにぎっしりと黒々とした貝が詰まっていた。

「ご苦労さん。ではこれがお代だ」

 柱右衛門は懐から一朱銀を取り出すと放り投げた。

「こ、こんなに⁈」

「これからも生きの良い貝が入ったら頼むよ」

 驚いて目を白黒さしている行商人の男へ柱右衛門は言った。

 行商人の男は満面の笑みをたたえて何度もお辞儀をしながら帰っていった。

「ずいぶん気前がいいんだな」

 小典は言った。

「へえ。貝に目がないもんで」

 柱右衛門は、盥を持ち上げると小典に向かってお辞儀をしてから長屋へ入っていった。
















 





 

 






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る