ペットボトル

現夢いつき

第1話

 今から私が話しますのは背筋が凍るほどの怖い話ではございません。確かに、その経験をした私は酷く恐怖し、怯えたのは相違ありませんが、けれども、聞き手であるあなたを戦慄させることはできないでしょう。

 文字では到底表せないあの空気をあなたは感じることは不可能なのですから。

 ですから、あなたはあくまでも不可思議な話と捉えて聞いた方がよいでしょう。


 ――これは私が体験した不思議な話でございます。


 私は下宿をしながら大学に通っているのですが、まずはその下宿先の立地についてお知らせしておきます。

 立地を説明することとこの話がどのように関係するのかと申しますと、正直な話、私にも正確には分かりません。なにぶん、私の実体験なものですから、しっかりとした筋書きもございませんので、正体不明の気持ち悪さをそのままに放置されているのです。それゆえ、少しでも関係ありそうなものは拾っていこうと思います。


 大通りをはさんで向かいには大きな病院があります。名前は伏せておきますが、地元では有名な病院でございます。そして、下宿先から見て病院の逆方向には田畑が広がっており、そのまま進むと山へ入る林道が存在します。その林道のすぐ近くには小規模ではありますが、十数基程度のお墓が集まった墓地が存在します。

 それだけ聞けば、あるいはよくある立地条件なのかも知れませんが、その建物は病院と墓地を直線でつないだ時、丁度中央に存在しているのです。


 私がこのことを知ったときは、非常に気味悪く感じました。しかし、契約もすでに結んでおりましたし、何よりその物件は曰く付きでも何でもなかったので、あまり意識しないようにして過ごしました。

 三ヶ月が経った七月の事です。私には二つ下の妹がいるのですが、塾に通うために定期的に私のもとに来ます。


 あの出来事は折り悪くも、二人で寝ている時に起りました。


 夜中の二時――いわゆる丑三つ時と呼ばれる時間にそれは起りました。私はいつも一度寝たら断固として六時まで起きないという人種の者なのですが、この日はその時間帯に意識が覚醒しました。

 覚醒する一瞬前、夢の中でペットボトルが落っこちるという映像が弾けました。それと供に、ペットボトルがカランカランと転がる音。


 ――ああ、何だ夢か。


 私はそう思いました。意識はありましたが瞳は閉じられていて、目の前は真っ暗です。

 ただ、この時点で少し異様な空気は漂っていました。言いようのない不気味さが、ひんやりとした粘液質なモノとなって身体にまとわりついておりました。目を閉じ続けていたことに何らかの理由を求めるとすれば、このことを無意識レベルで感じ取っていたからに違いないでしょう。

 私はもう一眠りしようと思いました。けれども、それを実行に移す前に右隣の布団で寝ている妹から声がありました。


 ――に、二時だけど起きてる?


 そう聞いてきたのです。私は起きてると反応を返しました。彼女はまさか私が起きているとは思っていなかったのでしょう。少しの間驚いたように黙りましたが、しばらくして、ペットボトルが顔に落ちてきたと言いました。

 あれは予知夢の類いだろうか? そうも考えましたが、すぐにそれどころの話ではないと思いました。というのも、彼女の頭にペットボトルが落ちたとして、考えられるのは彼女の頭の近くに置かれているテーブルの上から落下する以外にあり得ないのですが、その日はペットボトルを片付けていたからです。


 その矛盾と、先程から感じている違和感が相まって、私は妹に気のせいだから寝なさい、と少し強めの口調で言いました。これ以上、何かがあってはいけないと、そう思ったのです。


 けれども、私の意図に反して妹は話しかけてきます。怖いと行ってきます。それに対して、私はただ、大丈夫だから寝なさいと言い続けました。

 仮に何かがあった時、どうにかなる算段は全く以てありませんでしたが、一刻も早く寝てこの事を忘却してしまいたい、そう思ったのです。

 何度目か分からないやり取りの中、彼女の言葉が途中で小さな悲鳴に変わりました。私も危うく叫びそうになりました。


 私の頭の上でペットボトルが落ちてきて転がる音がしたからです。


 こればっかりはあり得ないことでした。私の上には何もないのです。机もなければ椅子もありません。移動のための通路として使われていた空間なのですから。

 全身の毛が逆立ち、私達の間に気まずい沈黙が生じました。

 何かをここで言ったら最後、取り返しのつかないことになってしまう。私と妹は無言ながらもそういう共通理解を心の中で共有しました。


 言葉を発するのはダメでも、じゃあ、どこまで許されるのだろう。動くのもダメなのではないのか、いや、もしかしたら呼吸をするのすらダメなのでは? そんな疑心案気の拘束と、違和感から異質へと変貌を遂げた雰囲気の板挟みにあって、いったいどのように寝たのか定かではありません。


 まだしも、極度の緊張状態が続いたせいで、張り詰めていた糸が切れて意識を失ってしまったという可能性の方が高いと思われました。


 さて、朝を迎えた私はこのことを夢か何かだと思いました。三ヶ月にも及ぶ下宿暮らしで疲れていたせいで悪夢でも見たのだろうと、そう思いました。

 現に、目覚めて周りを見渡すとペットボトルなど一つもありません。私はほっとして、胸をなで下ろしました。

 しばらくして、妹が起きてきて言いました。


「昨日のあれ、すっごく怖かった……」


 ゾッとしながら、けれども、まだ違う可能性があると思い、あれとは何か聞きました。


「ほら、昨日のペットボトルのやつ……。あれ、何だったんだろ本当」


 私はドアを開けました。何時もなら、爽やかな風を陽の光とともに運んでくれるはずが、その日ばかりはひどくどんよりしていたということを覚えています。

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